Phoenix LiveView が六年越しに最初の正式なバージョンをリリースした。というニュースをみた1

二年前くらいにいちど挫折した。こんどは素朴な Todo リストを書いて動かせた。ひどく低いハードルを越えられた。いろんなところに不便をおもってまた挫折しかけたけど、生成 AI に並走してもらってなんとかいちばん突破できたようだ。

使い慣れた道具が便利なのをいきなり上回って、この領域でだけならすぐにでも使えそうだ、という感触はまだ見つかっていない。むしろ、どうして使い慣れた道具でならたやすくできることがこんなに複雑なんだろうとやきもきしてばかりいた。もしかしたらと期待したほどに熱狂することはできなかった。

いっぽうで、たかだか Todo リストごときでも自分で考えてはじめからつくってみると、あんがいわからないこと、無視してきたがむずかしいことの類はおおいにみつけられた。いちどにいくつも知ろうとしないで、ひとつずつだけ理解して、もやもやしていたものが晴れていくプロセスは気持ちよくさえある。もっと現実の、具体的な困りごとをかけてとりくむチャンスがあったら、きっともっと気持ちよくなれそう。

いま仕事でやっていることと同じようなことができるようになるのを目的に Phoenix LiveView をやってみようというより、きっと違う切り口のほうがふさわしそうだ。組み込みプログラミングというのはまったく触ったことがないけれど Elixir から出ている Nerves プロジェクトがとにかくいいらしい。気になっていながら、組み込み技術のパラダイムをなんにも知らないもので敬遠してしまっていたところもありそうだ。知らないものを知るために必要なエネルギーを持つ余裕がなくなっていたともいえそう。

あんまり仕事仕事という感覚が強くならない範疇でたのしみを増やすというのができたらいい。その意味だと Phoenix LiveView への入門は「まあこんなもんか」というここらで止めておいたら、あんまり仕事っぽくさせない。熱中できなかったことは喪失ではない。退きどころがわかったのだって収穫だ。すこしだけつまみ食いして悪いことはない。きれいな色のゼリービーンズをたべてみたら、想像よりも苦かったみたいなもの。

たのしいことはほかにもいろいろなんだし、なにもかもを効率的に手に入れようとしないこと。いたるところ効率をめざすとかえって不毛におちいることを知ること。