金曜日の夜に定期演奏会にいった。年内最後の定期プログラムで、曲目はリストが二曲。交響詩「タッソー」と「ファウスト交響曲」。

ピアノの自作自演家というイメージをリストに向けて投影していた。そのイメージをいっぽうに、プログラムノートはこういっている。「19世紀におけるヨーロッパ音楽の諸相を知りたいと思えば、ひとりフランツ・リスト (1811-1886) の生涯とその業績を追いかければ事足りる」特に「オーケストラ音楽を手掛け始めた以降の後半生が抜群におもしろい」。

1848年にリストはヴァイマール宮廷劇場の楽長に就任する。ライブ活動するピアニストとしてのキャリアはそこで一区切りとなった。音楽家としての墓場にいれられたのではない。ワグナーの最新オペラを積極的に上演して、ヴァイマールを次世代の流行を切り開く震源地に作り変えた。

交響詩「タッソー」はピアノをオーケストラに持ち替えたリストの二作目の交響詩で、楽長の就任二年目に書いて初演した。「ファウスト交響曲」は、若いリストを刺激したベルリオーズの「幻想交響曲」と親戚関係の作曲だという。円熟したリストの到達点の高さが聞こえる。

その「ファウスト交響曲」の最終楽章の最終盤、冒頭から数えて一時間が過ぎたころ、オーケストラが最後からふたつめのピークに向かって高まっていくときに、ステージの両袖から男声楽隊が行進して、背後に控えてあったひな壇にならぶ。率いるのはテナーのソリストで、クリストファー・ヴェントリス。合唱は東京オペラシンガーズ。

そのテナーがゲーテの詩を歌いはじめたとき、高い山のつめたい空気がホールに鮮烈に吹いて、それまではまるでまどろみの市にあったかとおもわせた。はっとした、というほどの余裕さえもない。この清らかさを迎えるすべは心得ていない、この空気に合うようにわれわれは作られていない。このようにおもわせて、穏健でありながらつとめて苛烈な、この世を越えたところからもたらされる声。そういう声を通して音楽をきいた。素晴らしいものだった。

楽章の途中にソリストと合唱団が登壇しはじめたときに、後背で集中力をなくした男たちが評論をはじめてしまった。一階席でも男性観衆が集中力をなくして、足元においた紙袋の居心地をおそろしく醜い音量でガサゴソ気にした。ふさわしからざる所業ふたつ、老いの入口に立って無様をさらす男性たちの、自分ではそうとも気づいてさえいないのがいっそう憎しみを誘う大失態が重なったあとに、素晴らしいテナーがすべて押し流したとおもった。みごとな逆転だった。フィナーレのあと、しっかりと余韻を残したあとのオベーションも、熱狂というよりはパンチドランクの気配があった。ブラボーと叫ばせない圧巻があった。

クリストファー・ヴェントリスは、プログラムノートによると「最高峰のワーグナー歌手として知られ」ているとある。もっと聴きたいとおもってインターネットで資料を探すと、アリアを聴かせる録音はあまりなくて、全曲演奏の録音がわずかにあるようだった。しかしそれもより若い時期の音源で、いまの彼に近い音源はあまりない。ブリテンの『ピーター・グライムス』の新しめの録画があるのがみえるくらいだ。それはぼくはまだ詳しくない。

家でなんども聴き直すことができないのを残念におもったあとに、かえってそのほうが、ホールで聴いたあの神秘が永遠に残るのだと思い直して、それでいいのだと納得した。