機動戦士ガンダムはガンダムシリーズの第一作。1979年にテレビアニメとして流れた。全43話。主人公はアムロ・レイ。ライバル役はシャア・アズナブル。

筋書きはこうだ。人類のさらなる繁栄を旗印に宇宙への植民が始まった架空の未来、フロンティアを求めて宇宙に移民した労働者たち。新世界に分散してもたすけあう人類という理想は、しかし旧世界に根をはった権力が植民地を支配して搾取するというありふれた劇を再演するための方便に過ぎなかった。植民地は独立と自治をもとめる運動の末、じぶんたちの共和国を成立させる。これをジオンと呼ぶ。しかしやがてジオンは軍国主義化、専制独裁化に踏み込んで、地球連邦に宣戦布告する。

人間たちの戦争の話だ。ガンダムをはじめとするモビルスーツは、戦争の道具だ。たがいが国の威信をかけて開発した兵器だ。戦闘機とか戦艦みたいに、個性が奇妙な愛着を誘うことはあっても、ヒーローと呼ぶにふさわしい象徴としてながめるのはやさしくない。そのような呪われた道具が躍動するところに、ねじれた快楽の源がある。

アムロははじめ、辺境の植民地のメカ好きのありふれた少年として登場する。いくつかの偶然が彼をガンダムに乗せて、彼は望みもしないまま地球連邦のパイロットとして戦争を戦いはじめる。未発達な少年の心理が、民間人でありながらエースパイロットの振る舞いを期待されることに反発して、職務から逃げ出させようとすることもある。その弱さの克服が序盤のドラマの山となる。若さにとってありふれた葛藤だが、そこから逃げ出したくさせる対象がなまじ戦争であるから、逃げることを絶対の否としてみることはやさしくない。とはいえ、少年のなかに戦争そのものを疑う気分はない。天才のセンスによって敵のパイロットたちを次から次に宇宙の塵にしていくが、命を奪う兵器をみずから命令することに迷いはどうもない。

ファシストを相手に戦争をして滅ぼすことは、反戦を実現するために絶対に必要なことだということに疑いがない。そのありかたは新鮮だとおもった。それが昭和末期の思潮のいちぶをうまく表現しているのか、それとも同時代にあっても斬新な視点だったのかは、わからない。相対化することの禁じられた悪が存在して、そのために疑いなく戦うべしというのが、現代におなじことを主張するのはやさしいとは限らず、それゆえに不思議と強いメッセージにみえたことはたしかだ。

中盤には、アムロにとって兄貴分にあたる同僚パイロットのリュウが、アムロとガンダムのピンチをドラマチックに救済する捨て身の特攻で殉死する。リュウ自身もアムロよりたかだか数個上にすぎない少年でありながら、軍人とはかくあるべしという主義のためにみずから犠牲になる。それもまた、イデオロギーのために殉死する少年兵の悲劇、人間の戦争を美談に還元する逸話のひとつとして退けることは容易であるはずなのに、不思議とグロテスクな主張の表現にはみることができなくて、素朴な美談をそのまま受けつけた。リュウの死によって、残された少年少女は軍人として一皮むける。ジオンこそ打ち倒さなければと結束する。

いっぽうのジオン軍にも魅力的なシャアがいる。カリスマあふれる職業軍人で、リーダーでありながらエースパイロットとしてみずから戦闘の前線を戦う。誰よりも戦果にこだわって、誰よりもガンダムを苦しめる。自分の能力を証明したいという強いエゴを心の推進力にもっているが、そのエゴをいつも自分自身と立ち向かうべき相手にのみ向かわせて、そうでなければおだやかで敬意にあふれた威厳をみせるのもまた強い魅力を放っている。彼には彼の理由があってジオン軍に勤めているが、その極めて個人的な目的のために無数の命を犠牲にして戦争を継続するということへの迷いはやはりみられない。これもまた特殊で新鮮にみえる。

戦争が男たちを狂わせているということはいつでもできそうだが、言葉にすることのむずかしい、しかし必ずそれを秘めていなければひとは生き抜くことのできない、実存をめぐるおおいなる葛藤が後背にあることを直感にうかがわせる。それは、アムロとおなじ辺境の植民地にいて不意に戦争に巻き込まれ、はじめは避難民として乗り込んだ戦艦に従事して、やがてそれぞれの葛藤を経て軍人に成長して、とうとうジオンとの決戦を生き延びる少年少女にもおなじことがいえそうだ。

終盤にララァという、インド系の出で立ちに演出されたあたらしい少女が登場すると、にわかに画面が神秘づいて、もういちどあたらしい展開となる。ララァを媒介にしてアムロは神がかりの戦闘能力を覚醒させる。ニュータイプと抽象的にあらわされるアムロとララァが超常的なやりかたで精神を通わせる描写は先鋭的で、極彩の光と音のなかに宇宙が溶けてあらゆる境が消えていくさまをみせる。あきらかに連想させるのは映画『2001年宇宙の旅』であるけれども、映画が人類を「すでに乗り越えられたもの」とするような演出を採ったのに比較して、このアニメは人類を「救われるに値すべきもの」としているようだ。アムロは慈悲をもって敵をみとめ、味方を救い、救った味方のもとへと帰る。新人類として究極の覚醒を果たしたあとで彼は、彼を高みに押し上げた仲間たちのうち、死んだものを弔い、生き延びたものに迎えられて、変わらない生命のために涙をながすことができる少年のままだった。

人形の戦争兵器ガンダムがいつも新しい敵に苦しめられながら、最後には活路をひらいて勝利する予定調和を繰り返しながら物語が進行する。ビームサーベルを使って間一髪のとどめを刺すのが印象に残るのは、このアニメが本質的に騎士道や西部劇のフォーマットでなく、時代劇のフォーマットと殺陣の演出技術を自家薬籠中のものにしている、国際的にみれば独特の構成が光っているからかもしれない。

生まれたときにはすでに過去の作品であったもので、実のところはそれほど興味があるわけでもないけれど、お勉強のつもりで観てもみるかと、家事のあいまなどに気楽に流しはじめたものが、はじめに期待していたよりもずっと古典の風格の濃いものだった。実にたのしくながめた。いいものをみた。

なんとなくガンダムをみようとおもったときに、どれをまずみるのが初心者にとっておすすめか生成人工知能にたずねた。

  1. 『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)
    • ガンダムの原点であり、全てのシリーズの基盤となる作品。
    • 宇宙世紀(UC)シリーズの始まりで、ガンダムの世界観や「戦争のリアルさ」を深く理解できる
  2. 『機動戦士ガンダムSEED』
    • 平成時代のリメイク的な位置づけで、現代的な演出とドラマ性が強い作品。新しい世代向けに作られており、初心者にも入りやすい。
    • 主人公キラ・ヤマトと親友アスラン・ザラの葛藤が深く描かれ、青春ドラマ的な要素が多い。
  3. 『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』
    • 完全オリジナルの世界観(宇宙世紀とは無関係)で、国際情勢やテロリズムをテーマにした近未来的なストーリーが特徴。
    • スタイリッシュなデザインとアクションが魅力的で、初めて見る人でもとっつきやすい。
  4. 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』
    • 『ファーストガンダム』の前日譚であり、シャアやセイラの背景が詳しく描かれている。
    • 最新の作画とテンポの良さが魅力。ファーストガンダムを補完する形で楽しめるため、初心者にも分かりやすい。
  5. 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』
    • 戦争孤児たちの成長や絆、社会問題をテーマにした重厚な物語。
    • 従来のガンダムシリーズとは少し異なる、骨太なストーリー。ガンダムを知らない人でも独立した物語として楽しめる。

こう教えられたうち「原点」とよばれるところから着手せずにいられないのが性格で、それがいいことも悪いこともあるが、今回はよきことと転じた。次は『機動戦士Ζガンダム』をみるだろう。