年末の日曜日になんとなく寒気を感じた。厚着をして横になっているうちに微熱となった。解熱剤で一進一退を繰り返すのが一日二日では済まずに、元日の救急病院で検査を受けた。抗原検査はすべて陰性で、悪性の風邪とのこと。五日目にほどほど安定する。

コロナウイルスに罹ったときは六時間おきにロキソニンを飲んで耐えるのを丸二日繰り返して耐えたと日記に書いていた1。このとき 40.5℃ まであがったのに比べて、こんどは 39.5℃ がピークだった。もっとも、その 1℃ のぶんだけ楽だったなんてことはない。つらかった。そしてコロナの超高熱に丸二日耐えたのに比べて、こんどは丸四日、五日間を闘病した。ひどいつらさだった。

初日。鼻水と咳からはじまった。微熱があとにつづいた。吐き気、喉の痛み、関節痛といった症状はないから、いきなりインフルとコロナのどちらかを疑うことはしなかった。横になって本を読むことはできたけれど、厚着をしても寒気があったり、身体がだるくて起きるのが億劫になった。寝れば直るとおもってあまりしない昼寝をしたら、とっぷり日が暮れるまで熟睡していて、しかも熱は 38℃ 台に転じていた。とはいえ、最初の山はロキソニンを飲んで苦もなくやりすごした。

二日目もおなじ症状で、薬を飲めば熱は散る。本を読むこともできる。熱さえなければ空腹感もあるし、食事もできる。散らしても散らしても回帰する高熱だけがうとましくも、病院に電話をかけると「非常に混みますので覚悟なさってください」と消極的なナビゲーションをされて、それなら行かずにおくものとする。熱がぶり返すばかりで症状は軽いようにおもって、明日には治ってくれるはずと楽観することだけを心がける。薬の効きが悪いことがあって、高熱のサイクル間に平熱に戻らないまま次の高熱がやってくると、はたしてこれに終わりは来るだろうかと気が弱る。

三日目。ぐっすり眠っても起きればただちに高熱。薬で解熱すれば朝食をとることができるのも、前日までと変わりない。その朝の解熱後、しばらく安定状態が続いたからすこし回復の望みがでる。あくまで安静に布団にいて、正午から日没まで長い昼寝をすると、ふたたび高熱に。この三日目午後の高熱からは、強い脱水感がともなって、がぶがぶ飲んだ水がすべて汗になるまでのあいだ苦しさのあまり気絶して、起きれば生まれ直したようにびっしょりと濡れて平熱にもどっている、という解熱プロセスをともなった。振り返ればここからが特につらかった。本を読む余裕もなくなった。

四日目、元日。未明から高熱、大発汗、回復。起きれば寝床が濡れていることほど不快なこともないが、単に不快というだけでなく、そんなところに身体を置いて冷やせば治る身体も治らないから、正気にかえるたびに重い身体をあげてずぶ濡れの服を取り替え、湿った布団を取り替える。こんな苦しい労働をもういちど課さないでくださいと祈り祈り休み直して、また高熱がでる。そんなことであれば、わざわざ苦しさに耐えて解熱しようとせずに、好き放題に暴れさせたほうがいっそ楽でないかと、解熱剤を飲むのをボイコットした。すると、それまでの高熱記録をスムーズに破って 39.5℃ が出た。

悪くなるばかりでよくならないから助言をいただこうと病院にいった。わらにすがる気分だった。息絶え絶えになって到着した地域医療センターの受付で、なにかの罰をいい渡されるみたいに暖房のない寒い廊下に立たされたまま、市販の検査キットを試したまえ、市販の薬を手に入れたまえ、あなたをよくする技術はないのだ、など、惨めなゲートキーピングに直面した。情けないばかりの気持ちになりながら、検査をしてください、と申したら、受付の扉がいちど閉じて、なにかを話し合ったあと、検査はできますと申し渡された。受診票だとおもって渡されたフォームは、受診票ではなく「わたしは医療費を滞りなく支払います」というこれもまた情けない同意書だった。署名をする。

検査を待って診察室に通されて、お医者さまはこう申し渡した。インフルとコロナがともに陰性だということ、とはいえ水分を自力で摂取できるから入院させることはできないこと、カロナール五日分を処方するからそれを飲んでしのぐこと。それだけの情報量であってもずいぶん気が楽になったとおもったものだが、あとからおもえば「入院させられない」という部分に奇妙な重みをつけた修辞法をお医者さまは使っていた。検査をしてほしいと申すまで検査さえしてくれなかったのに、検査をすればこんどは入院させられないといきなり飛躍する。加えて救急はたいして混んでもいなかった。冷淡な初動はここで裏付けられて、医療現場は過酷どころかその逆に、事なかれ主義と怠惰に支配されて機能不全をおこしているという印象を強くつけた。それは堂々と嘘をついて、ついた嘘の責任もとらない。しかし喉元すぎれば忘れるのだ、情けないばかりに。

虐待されて帰ってぐったりと横たわって、もらった薬をのんで苦しみのなか気絶する。身体を濡らして目覚めてもまだ熱はさがりきっていなくて、ひどい頭痛も残っているから、濡れた布団のなかで身体のほとぼりが冷めるのを待つ。待てば冷めると知っていたわけでもなくて、動くことができなかった。光を目にいれると頭痛が刺すから、まぶたをあげることも難しかった。幸運はそのまま熱を下げることに手を貸してくれたけれども、そうでなければ不運は汗でできた池のなかでぼくを凍えさせて、もういちど高熱のサイクルをやりなおすように命じただろう。遅い時間にようやく起き上がることができて、げっそりした顔でおかゆを食べているのをみて、こんなにひどい顔面蒼白はみたことがないと家族はいった。しかしこの夜の服薬で頭痛も消えた。ここからはよくなるばかりだ。

五日目の未明、目が覚めて身体にほとぼりを感じた。計ると 37.5℃ あるから処方薬を飲んだ。びしょびしょとまで行かずとも、べたべたと嫌な汗をかいて、寝間着を二度交換した。それまで毎日あった 38℃ 以上の高熱は、そこに至る前に追い払うことができたようだ。そのあともおよそ微熱と呼んでいい範疇でだけ体温は推移した。本が読めるようになった。日記も書くことができている。

悪性の風邪と診断されて、こんなにつらい風邪があるものかとおもったものだけれど、三つの異なる風邪が重なり合いながら襲ってきたとおもえばそのひどさも納得することができる気がする。ひとつめの風邪は気だるさを、ふたつめは渇水感を、みっつめは頭痛をもたらした。みっつかふたつかよっつかはわからないけれど、体温データが同じでも初日の熱はのちの熱よりも軽かったとおもいだすこととか、最後のおおきな熱のサイクルの前後からにわかに頭痛に苦しめられたことをおもえば、ひとつの病気というよりいくつかの病気の合せ技というほうがしっくりくる。

病院にいったせいでかえって症状を悪くするのは不幸だったけれど、それと引き換えにパンデミック後の医療機関がどうやって信用を失ったかという生々しい例を目の当たりにした。独占市場と能力主義の悪い部分どうしが合体して、国家による反競争的な保護と持ちつ持たれつでありながら尊厳のレベルは並外れて高いオンボロの権威、というようにみえる。もっとも、倫理の底が抜けているのはここに限ったことではないから、せめて医療くらいはまともであってほしいと望みをかけたほうが間違っていたようでもある。