トゥガン・ソヒエフはソ連に生まれて、いまとなってはわずかな期間だったとして思い出すことしかできないかもしれない冷戦のない時代に、ヨーロッパの東西で国際的な活躍をはじめた指揮者だ。
豊かなキャリアの前半を走ったあと、彼に国籍をあたえる国家が世界の覇権にとって敵となった。彼はポストを失った。善意の警察が彼から職をとりあげるまえに、みずから職を辞したということのようだ。その逸話は美談のように日本語で書かれてあるけれども、およそ芸術に興味のない手合いのために芸術家がはたらく姿は、学者か聖職者が愚法にあやつられているのをみるのとおなじように気の毒になる。
いい意味にせよ悪い意味にせよ、政治的含意が介入する度合いのおおいプログラムにならざるをえない。それはこの日の演目のショスタコーヴィチ第七番「レニングラード」について、作曲家自身が独ソ戦で守備にまわった折に消防員として貢献しつつしたためたものであること、またその献身的な抗戦の逸話とともに北米にこのスコアがもたらされて、アメリカ初演は市民の戦意高揚のためにあがなわれたことなどをプログラムノートが述べて、交響曲はいまも昔も変わらぬ「反ファシストのメッセージ」であると言い表すとき、いっそうそれらしく虚ろに響くようだ。
うまく聞き取ることができなかったのは、無意識がその「反ファシストのメッセージ」というよくわからないものを聞かせようとして介入して、政治の音のほかを聞かせようとしなかったからか。この日に演奏されたのは政治による変奏曲ではなくて、厳粛な古典だったとおもう。ショスタコーヴィチはゴシップ的な関心でわかるはずがないという確信がオーケストラに備わっていたといってもいいかもしれない。ぼくは「反ファシストのメッセージ」がどれほどのものか見極めてやろうという、それはそれで下品な関心で演奏会にのぞんで、それよりもスケールのおおきいなにかを聞き漏らした。
プログラムは休憩なしの一本勝負だ。指揮者の名前をみて「冬瓜と読めばおぼえやすいわね」といっていたおばあさんは演奏時間が長いことを気にして「いったいどうなっちゃうかしら」とつぶやいていたけれども、客席の集中力はたかく張ったまま、長い演奏時間を飽きさせない演奏だったようだ。退屈さはなかったが、エネルギーの表れかたは、爆発を繰り返すエンジンが載っているというよりも、炭を焼くみたいにゆっくりと火がついて、赤く熱くなっているのが目でみえるけれども最後まで燃え上がりはしないというようだった。もちろん、この炭は燃え上がらせて使うことをそもそも用途としていない。
第一楽章の、小太鼓が最小音を刻んで禁欲のリズムを鳴らすところがよかった。そこからボレロのパロディ式に音が発展していく諧謔は絶品だった。ただ、そこをピークにして、そのあとはフィナーレまでぼんやりとしていたら過ぎてしまった。居眠りしないで静かに座っていることができたところで、なにがわからなかったのかもわからないまま帰るほかない。目をあけて居眠りしているのと同じだったようだ。十のうち一か二でもおぼえやすい部分があるとそれでなにかがわかった気にもなる。その一や二に耳を奪わせる代わりに、十そのものが忍耐強く迫るときに、手がかり足がかりをみつけられないのはこちらの勉強不足に違いない。
感動的な演奏と呼ぶことはできなくとも、次にことなる演奏を聴くときに比較するための基準としてすぐれて上等のパフォーマンスだったということはできそうだ。