金曜日の夜、N響の定演を聴いて満足したあと、バイクで帰る道のこと。ホールから去るたくさんの足は雨のことなど考えもしていなかったし、駐車場を出ていつものように家路につくバイクも同じだった。
富ヶ谷の交差点から山手通りにはいる道で帰ろう、環七に比べてそのほうが走りやすいから、とおもったとおりに、山手通りにはいった。ヘルメットに小雨の兆しがみえたが、目でみて数えられるくらいのものを気にもしなかった。
それが初台に差し掛かるまでにはたちまち豪雨に変わる。さっきの信号待ちのあいだにスマホを車両からリュックサックに移しておいてよかった、などという余裕がはじめこそあったが、すべてをずぶ濡れにされたあとでは、いっそぜんぶぶっ壊れちまえばよかったのに、と投げやりな思いとなった。ポケットに革財布を直接いれていたのもリュックサックに移しはした。それもたいへんな徒労感をもってした。
さっさと帰ろうとして走れば冷たい雨が身体に刺さっていたい。かといってどこに止まって休むにしてもあがる保証はないから、さっさと帰るにこしたこともない。西新宿の交差点にはさっそく小川ができあがっていたけれど、もう走るしかないのだから車両への影響など考えもしないで水を切って走った。
ヘルメットのシールドをあけてとても走れないのに、シールドをしめると外から雨滴で目潰しされるだけでなくて、梅雨の湿度が内から曇らせる。まるでメガネをはずして弱視と乱視の世界で運まかせに運転しているようだった。すさまじい恐怖感があった。そのうえ地面は小川。生きた心地はしなかった。
早稲田通りを折れて進むと、中野駅北の交差点が信号をまたいで車線をひとつ潰す工事をしていて、交通整理はひとつ信号が変わるたびにたった一台だけを通した。なんていじわるなんだろうとおもった。冷えた身体に無理をいわせて足のあげさげと細かい半クラッチを強いられるのに苛立ちはあって、いつもならやらないエンジンを空ぶかしして心をしずめる悪行にもすこしだけ手を出した。
おなじ形式の工事が環七の陸橋下にもあって、つごう十分はこれらの工事のために雨ざらしになった。工事現場で労働をするひとはこんな環境でもカッパを着て働かなければいけなくてたいへんそうとかろうじて同情しようとしたけれども、こちらはカッパも着ないでただ真冬の雨にずぶ濡れになって、裸で道路を走って帰らされているみたいでもある。あまりに情けないものだった。
息もたえだえに家につくころ雨は止んだ。そんなひどい話があるかとおもった。玄関を開けようとすると鍵がまわらなくて、ポケットから出すときに鍵を欠けさせてしまったか、それかソケットにいたずらをされて締め出されたか、と考えて、あせりもしなかった。悲しいとおもわなかったのは投げやりだったためだ。鍵があかなかったら裏のドブ川に飛び込んで泳いで、警察に捕まえてもらって一晩あかそうかしら。そうしたらタオルと乾いた服をもらえるかしら。
汚い地面に荷物をばらまいたらすこし楽な気持ちになって、もういちど鍵をまわしたら開いた。さっきまでいらだっていたこともぜんぶバカバカしい一炊の夢のような気分に変わった。濡れた服をさっさと脱いで洗濯機に思い切りダンクシュートして風呂をわかしてはいった。