区の図書館をうろついていたときにふと、名前だけ知っていて読んだことのないアメリカ人作家の文庫版をみつけた。

気が向いて持ち帰った。そうやって借りることは珍しくもないが、最後まで集中して読み通させるのは珍しいことだ。

四十年代のアメリカで、道路が地面をおおってトラックが行き来している。テキサスの家族の牧場はもはや儲からないから売り払われることになってしまった。十六の少年ふたりは昔のカウボーイみたいに馬と素朴に生きることをのぞんで、メキシコにはいる。

牧場。働き口をみつける。野生の馬たちを手懐ける。牧場主の娘と恋におちる。何百もの星が見守る黒くぬるい湖の景色。警察がやってきて、パスポートのない彼らに殺しの容疑を着せると、願った牧場の暮らしは取りあげられる。

征服されていない自然の崇高さをアメリカの外に求めて描いて、フロンティアには失われた美がある、と喪失感の裏返しの理想を投影する話のようにはじめはみえたものだ。馬との旅、牧場のしごと。それが血と暴力の話へとにわかにすり替わる。ひとしきり英雄的なアクション小説を読ませたあと、最後には暴力の通過儀礼をとおりすぎてもうもとには戻れないかつての牧童の姿をみせる。それが成長なのか堕落なのかは語らない。

ひとつひとつの馬の個性を語る文の饒舌さ。主人公の口に語らせているのではなくて、地の文が美しい馬をみて美しさを称賛しているようだ。暴力について書くときもおなじように細部にわたって饒舌であるのは乾いたリアリズムにみえるが、おもえば馬について書いているときも暴力について書いているときも、トーンは変えずに一貫していたかもしれない。決定的なピンチを切り抜けるためのアクションシーンだけが超現実的で浮ついてみえたが、ページをめくらせる勢いがあったことはたしかなようだ。

叙情をほとんどおこなわない、無関心といってもいいくらい突き放した文体。ドライといえば短文を重ねるスタイルを思い浮かばせるけれども、人工的な粘度のある長い文をひといきに置いて重ねることもある。いびつなリズムを意図的につくって、こちらの読む目をひっかけてスピードを調教するみたいだ。

終盤になるにつれて濃密の度合いはぐんと高まる。あるいは一貫して濃密でいまもそうあることが最後にきていよいよ比類なくみえはじめる。息をつかせない異常な状況を少年が脱出して、安全は手にいれたから物語を解決に向かわせようというときのことだ。状況にあわせて平穏にはならない。超常的な語り口は続く。荘厳におもわせる。

おなじ文体はそれまでページをめくらせる推進力を強く発揮していたが、いくつかの挿話に個別の幕引きをはかるにあたって、ページをめくらせるよりも「いまから重要なことを書くから心して読め」というオーラを強く発するようになる。そこまでを娯楽小説として読んできたのが、いくつかのねじれた文が急にもうひとつの実質を示そうとするのをノートに書き写したのがある。いずれもハヤカワepi文庫のページ番号を添えて引用するとこうだ。

彼は自分の全生涯の意味がこの一瞬に凝縮されたのをはっきり見てとりこの先自分がどこへいくのかまったくわからないことを悟った。彼はなにか魂を持たない冷たいものがもうひとつの人格のように自分のなかへはいってくるのを感じその人格が悪意のある笑みを浮かべたように感じそいつがいつか出ていく保証はどこにもないと思った (417)

彼はアレハンドラを思い出し初めて彼女の肩に寂しげな線を見たときのことを思い出しあのときはその寂しさをよく理解しているつもりだったのに実は何もわかっていなかったことに気づいて、子供のころから味わったことのないような孤独を味わいこの世界を自分はまだ愛してはいるがいまは完全に疎外されていると感じた。世界の美しさには秘密が隠されていると思った。世界の心臓は恐ろしい犠牲を払って脈打っているのであり世界の苦悩と美は互いにさまざまな形で平衡を保ちながら関連しあっているのであってこのようなすさまじい欠陥のなかでさまざまな生き物の血が究極的には一輪の花の幻影を得るために流されるのかもしれなかった (459)

そしてこれはこうしてねじれた認識をねじれた文で表さずにはいられない「彼」をなぐさめて極度の緊張を解決するなぐさめ。

なあきみ、きみは少し自分に厳しすぎるようだ。きみの話を聞いて思ったのはきみはじつによくがんばってあの土地から無事に帰ってきたということだ。おそらくいちばんいいのはこのまま前に進んで後ろを振り返らないことだろう。つらいことをいつまでもくよくよ考えてちゃいかんとわしの父親はよくいってたよ (472)

読点の極度にすくない文がいかにも読みづらいとはじめはおもわせていたのが、気づけば読むこちらの目がそのリズムに同調した。いままでに読んだことのないスタイルをみせられた。まだ知らないものを読まされた。そうおもった。寝る前にすこしだけ読もうと開いてはつい止まらなくなってしまう、そうやっていそいそとページをめくったのもこのごろめずらしいことだった。