年に一度の健康診断を受けたら、心電図のグラフをみて先生が「ん?」といった。

特徴のある波形をしている。これは WPW 症候群の可能性があるかもしれない。大丈夫だとおもうけれども紹介状を書くので検査しにいってみてください。

ということがあって病院にいった。震災の日だった。持ち込んだ心電図を先生にみせて読み方をおしえてもらった。グラフが拍動を描くときの、鋭く立ち上がるときの変化率がゆるやかで、グラフの角がとれている。それが WPW 症候群の特徴のひとつ。心臓を電気のネットワークが取り囲んで電気がトクントクンと脈を打たせているときに WPW のひとは電線の数が生まれつきひとよりもひとつおおくて、その電線が拍動を乱して脈を異常に高めることがある。病気というよりは生まれもった特質のこと。そう先生は説明した。

心電図をとりなおして、エコー検査も受けた。あきらかに異常と断定できる材料はみつからなかった。心電図はたしかにちょっと普通のひとと形がちがうけれども、安静時に動悸する症状を自覚したことがないなら杞憂かもしれない。エコーはまったく問題なし。

グラフのゆるやかさは心臓の電線とは関係なく、生まれつきの別の特質かもしれない。波形をみて WPW 症候群をうたがうというのがセオリーだから検査はしたけど、急な動悸もないならあわてて胸をあける理由もない。もし動悸が起こったらきょうの検査をおもいだして近くの病院を再受診してほしいが、そうでなければいつも通りに過ごしていいでしょう。そういうことになった。

よかった。なにもないんだ、といって過ごせばいいだけなのに、あとからだんだん興奮して、どうしようもない気持ちになった。打ちひしがれたような気分になっていた、不思議なもので。生活習慣病なら心がけで改善のしようもあるけれど、先天的に心臓が奇形だといわれたら、なにも打つ手はないでしょう。ただ受け入れることしかできることはなさそうなのに、受け入れることがどうしておおきい悲しみをいっしょに導いてしまって苦しくさせている。

こういうことを考えた。病院にいったら最後、もう手遅れとわかってどうしようもなくこのままあとは消えていくだけかもしれない。無垢にたのしく過ごすことのできた最後の瞬間にあとから振り返るといまこの日がなってしまうかもしれない。ある意味で人生最後の瞬間を、ぼくはたいして尊重することもしないで、これで最後の大冒険もない、特別なごはんもたべない、会いたいひとに会うこともできないまま、無為にすごしてすりつぶしてしまった。検査に向かうときになってそれをようやく自分ごとのようにして考えはじめて、検査が終わったあともしばらく命のおそろしい軽さはこちらの手の届かない偶然に支配されているにすぎないだけであることを憂鬱に考えていた。

床屋さんの予約をとっていた。すこしお茶を飲んで時間をつぶしてからいった。なんとなく憂鬱な混乱は残っていたけれど、しばらく世間話をしたらほぐれてきた。だんだん心臓のはなしができそうにおもった。検査は大丈夫だったからどうということじゃないけれどというのを枕詞にしてはなした。このまま死ぬってこともあるのかなあと必要以上に深刻におもってしまっていたのも滑稽だけど、心臓がどうして動いてるかなんて自分でもわからないし、自分のことが自分のことじゃないみたいな嫌な気まずさでしんどかったというのをはなした。相槌をうちながらそれを聞いてもらってちょっとは楽になったとおもった。

立ちくらみをする癖があって、本屋さんとかコンビニとかで足元の棚をみるためにすこしかがんで立ち上がると決まって頭から血がひく感じがして目の前が暗くなる。膝に手をついて五秒か十秒くらいだけすぎるのを待つのがならいになっている。よくあることとおもって十年以上それに慣れていたのを、パートナーの目をとおして自分の姿をみなおして、いわれてみれば危なげな姿をさらしているというのがわかってきたのは最近のことだ。

高校生のとき、いちどだけめまいを起こしてそのまま気絶したことがあった。お風呂にはいっていて、湯船から出て立ち上がったままシャワーをにぎると立ちくらみがやってくるのはいつものことだった。すぐなおるのを知っていたから眼の前がまっくらになっても知らんぷりしてシャワーをあびていたはずが、次の瞬間にはシャワーが勢いよくお湯をはいているのを手にもったまま湯船のなかで異様な体勢で浮かんでいた。一瞬でなにが起こっているのかさっぱりわからなかったのが、背中とおしりがずきずき痛くなっているのにだんだん気づいて、そうかぼくは気を失った、そして転んで湯船に向かって危険な尻もちをついた、と納得するしかなかった。次の日は高校をやすんで病院に連れていかれた。単に貧血だと診断された。一年目は皆勤だったのが二年目のその日で途切れて、そこからすこしずつさぼりも板につくようになった転機としてその日のことを母もよくおぼえていた。めまいがしたら膝に手をついてしのぐというのがならいになったのはそのときからこっちだ。

そのころに比べたらお風呂でめまいを起こすことはなくなったようにおもうし、めまいの重さもましになっているような気はする。血圧はいつも低めで、この日の検査でも低くでて、それも生まれ持った身体の特質だからそういうものだとおもって付き合っていきましょうねと先生にいわれた。普通でないところばかりいろいろハイライトしてしまいたくなるいっぽうで、ただひとつの完全な雛形どおりに成形された被造物はまずどこにもなくて、ひとつひとつの肉体には無数の偏差があたえられていて、それが問題になったり問題にならなかったりするのも単に前例がどうだったかと大雑把な傾向をいっているに過ぎない。そうおもうとすこし楽になる気はする。

「死の瞬間」というページがウィキペディアにある。こういう五段階をたどって死を受容するというのが書いてあって、ぼくはそれがなんとなくそうあるべしというようにおもって興味深くながめたものだ。まず自分が死ぬなんてありえない、診断が間違っているに違いないと「否認」する。どうして自分が死ななくてはいけないかと「怒り」を撒き散らす。悔い改めることを誓って超越者に延命を乞う「取引」の段階を通って、ひどい絶望の「抑うつ」にいたる。やがて悲嘆が希望を否定して安らかな「受容」の境地があらわれる。

いつでも死の「受容」ができていることが精神の修行のゴールであって、さしせまる死によってさえ惑わされない心を鍛えることこそ人生の目的とおきたいものだ。ぼくは抑うつを遅延して味わう妙なやりかたで、もしかしたらありえたかもしれない死がそばをとおりすぎていくのをこの日は見送るだけだったような心地でいるけれども、こんなに簡単に揺れ動く心であってはいざ本当の死のプロセスがはじまったときに、どうしてぼくがこんな目にあうのかと「否認」するところから辛い日々を過ごす運命なのかもしれない。ひとごとのような死が気まぐれに身近にやってきたことを感じて心がざわめいた。そんなところなのかもしれない。いずれにしても、危険な相手は油断しているときに限ってあらわれるということがなによりおそろしくはある。

はじめの診断がくだされた心電図のグラフにもどると、もち帰ってきたプリントはコンピュータから出力されたのを印刷したやつで、グラフの形がそうというのを健康診断をみてくれた先生が見極めるより前に、ソフトウェアが先回りして注釈して「WPWの疑い」「医師の確認を要す」と印刷してあった。はじめの先生は丁寧にみてくれたとおもうしそのやりかたに悪気はないけれども、ソフトウェアの注釈どおりに検査をして、検査をしたけどなんでもなかったというだけの結末をあとから振り返ると、機械に振り回されて迷惑なおもいもある。これを人工知能に置き換えてイノベーションという手合いがいくらいても、最後には「杞憂でした」というための無為な経路を増やしているだけのような気もする。結局は目でみないとわからないもののために、できるだけ目でみなくてもいいようにするような筋違いのことをイノベーションと呼んで狂乱するのは自由でいいけれども、できればあまり巻き込まないでほしいと願ってもいる。もっとも、頼めば静かにしてくれる行儀のよさこそ真っ先に退場させられる時代のようでもある。