春分の日が絡んで連休をつくることのできる週末に浜松にバイクで出かけた。前の週から週間予報を見定めておもいきって決めた。ものすごい晴れがきそうだったため。
西にいこう。それをまず決めた。せっかく泊まりがけでいくなら伊豆よりは向こうにいってみたい。太平洋沿いで行けるところまでいこう。山のなかにはいっていって妙に寒かったりしたら困るから。伊勢湾フェリーで紀伊までわたったらどうだろう? でも遠ざかりすぎて二泊にしてしまうと、はじめての長距離走にしてはがんばりすぎで危ないかもしれない…。そういうことをかんがえて、一泊で旅程を済ませることと、それなりにがんばりつつそれなりに余裕ももって移動を済ませられるように心がけた。
浜松までは東京から約 300km で、日帰りで往復するにはすこし心もとないが、一日ごとに片道ずつで済ませるならすでに経験のある距離となる。静岡の西端まできたならついでに愛知にもはいって、と欲張りそうになるのをぐっとこらえて、浜松を目的地に定める。スズキ歴史館は、スズキの本社に隣接した企業博物館で、予約がなければ見学できない。その予約をとってみたらとれたので、ここをゴールにおもいきり東名高速を走っていくのがミッションということになった。
浜松がはじめて訪れる街であるということ以上に、バイクで東名高速を走るのもはじめてになる。新社会人のころに名古屋に配属された友だちが車を買って、金曜の夜に東京まで飛ばして週末はこっちで過ごして日曜日に気分を暗そうにして名古屋まで走って帰っていっていた。かなりがんばっていたなとそのことをおもいだした。
六時に起きて荷造りの最終確認をする。バナナとゆで卵を詰めこむ。七時に出る。首都高から東名にはいる道を地図アプリにうながされて走っていく。早起きといえば早起きだけれど、春分の境をこえてすでにお日さまはのぼりきっていて、たぶんこの時間では東京を出るための渋滞が出来あがっているんだろうな、とおもいながら出かけた。さらに早く出てげっそり疲れたまま走るのもそれはそれでおそろしい気がしたというのもある。実際、家を出るときはまあまあ緊張していたようだ。安全運転、安全運転とマントラみたいに言い聞かせて、そわそわと浮足立っていた。
とはいえ、危なっかしさにかけては都内の環状線がいちばんで、東名高速にはいったら不安めいた緊張はなくなった。心当たりがあったりなかったりする地名の表示がとおりすぎていくのを新鮮な気持ちでながめていた。町田から海老名あたりまで渋滞がさっそくできあがっていて 15km を三十分とかいっていた。海老名のサービスエリアで最初の休憩にして、メロンパンをたべた。
富士山がちらちら視界にはいるようになる。雪をおおきくかぶっている。大井のところで「絶景スポットまであと79秒!」と掲示板が出ていて、強気の広告だけどどれくらいなのかしらとすこし蛇行しながらのぼっていった。のぼった丘のてっぺんで、はるかに街を見下ろして、その奥にそれよりずっと大きなすえ広がりの富士山がばんとあらわれた。そこから先も角度をかえながらどんどん迫ってはどれも立派な山の姿だった。過ぎたあともサイドミラーに映るおやまの姿が乙にみえた。走りながらの感興はどれも写真に撮れないものにして、写真を撮ろうともしないからこそくっきり心に映る景色でもあったようだ。裾野では車線をひとつふさいで中央分離帯の茂みの草刈りを熱心にしてくださっている方々がみえた。
愛鷹パーキングで二度目の休憩。由比パーキングはそばをとおりすぎざまに、八年前の夏にとおりがかってここで集合写真を撮ったことがあったっけと急におもいだす景色をしていた。その日とおなじようによく晴れてきれいな海を横目にみる。だんだん向かい風が過酷になって、追い越し車線を走ると腕をハンドルにのこしたまま身体が吹き飛ばされそうになるのをかじりついて耐える。牧之原サービスエリアで三度目の休憩。3リットルだけ給油。あとは高速を降りるまで一気にいこうとのぞんだところ、はじめのころの休憩で飲んだコーヒーが尿意に化けておそうのに耐えられなくなって三方原パーキングで四度目の休憩。だいたいこのとき正午をまわっていた。お昼を食べる余裕をもてるのがうれしく市内のうなぎ屋さんをみつくろう。
浜松西をおりてバイパスを南下していく。すばらしい天気だ。朝は息がシールドを曇らせてまいったのが嘘みたいに快適になっている。うなぎパイ工場見学とか看板がでているのを過ぎて、イオンがあるのを横目に抜けて、とびうお大橋と書いてある橋を渡ったさきを折れていく。
お昼に選んだうなぎ屋さんは「昔のうなぎや」という屋号のお店で、概観をみたらわりあい新しくできたお店にもみえそうなところ、名前のつけかたになんとなく技術とプライドがこもっていそうなバランスがいいとおもった。肝串が先に出てすこし苦いおいしさ。一口目にはコリコリがあってそのあとふわふわというのが追いかけてくる。焦げ目のところから炭火の香りがふわっと立つ。そのあとうな重もがつんとがつがつ食べる。脂がのっていて食べごたえがありながら、こってりぎっとりはしていない。ごはんの甘さを引き立てているというかんじ。最後に食べたのは根津のおばあちゃんが食べたいといってお供したときだったはずで、二年前だったかしら。特別な食事とおもわせてくれるごはんで食べごたえがありました。
スズキ歴史館には予約よりもすこしはやくついた。駐車場の一角に来訪者のバイクがずらりといろとりどりにならんでいた。子どもを連れて家族でやってきて、でもお父さんがまっさきに興奮して子どもたちは付きあってあげているという雰囲気のグループがいくつかみえた。好きなものがあってそれを堂々と楽しんでみせてやるのはきっといいこととみえた。
ずいぶん展示をたのしんだ。切り口は無数にあったようにおもわれる。モータースポーツファンはレーシングマシンの実機をながめることができる。名車といわれた市販車をなつかしくおもいだす車好きなら、そうそう昔はみんなこれに乗ってたと自分の人生を重ね合わせてたのしむこともできる。キャリイは個人経営の町商店の働きかたをずいぶん楽にした、とか、アルトは女性うけがよくて大成功したとか、車そのものというより社会をうっすら透かしてみる窓みたいな説明もなんとなく説得力はある。グローバル企業の広報といえばそれはそのとおりであるのだけれど。
自動車企業に転身する前には糸を織物に加工する機械を生産するメーカーだったという話が冒頭にある。展示をすべて見終わるころには自動車のことで頭がいっぱいになっていて忘れやすいのだけれど、思い出してみるとあんがいこの織機開発がおもしろかった。百年前の機械がたくさんおいてある。
糸をインストールして足で交互に踏むと複雑な柄の布が楽に織れる、みたいな機械は、構造をじっくりみるとどういうからくりになっているのかだいたいわかる気がする。しかし簡単な仕掛けだとみくびってしまえばそれまでのこと。複雑なことを簡単にとらえ直した。素朴な機械がその仕事をできるように読み替えてやった。それがおおきな仕事だった。誰かが読み替えたあとのものを読むのは難しくない。はじめにそれを読み替えた発想ひとつのひらめきが重要で、それはひとりの頭からでてきてひとりで完成させられた。そういう興奮が透けてみえる気がして、いいなあ、とおもった。
ひるがえって、使いかただけわかって動作原理はたいていわかりきっていない、誰かが作った部品を組み合わせてばかりの仕事にぼくは従事するけれど、それは機織り機を作る仕事ではなくて、機織り機で布を織る仕事により似ていることとおもった。自分の機織り機を作ることの楽しさと、誰かの機織り機で布をつくることのつまらなさ。その対比がぼくの好きな仕事と嫌いな仕事の違いをすこし説明するようにかんじた。もっとも、抽象度のより低いところに労働力をよりおおく、抽象度の高いところにより少なく必要とするというのは、百年前もいまも変わらないようでもある。結局はできるだけたくさんの布を織らせることが昔もいまも重要ということ。
バイクの話では、最初の製品が小排気量エンジン付きの自転車だったことを説明している。開発の動機を「からっ風が吹いても自転車で走りたい」「よし、自転車にエンジンを載せよう」と描写する単純さがおもしろかった。これは怠け者の着想のようにみせかけてそうでもなさそう。働きものの着想だ。風が吹いてるから自転車には乗らない、という怠惰の本性にはそむいていそう。熱心なことで、とおもってしまったが、ずいぶん売れたというから昔のひとはみんな働きものだったともおもう。それがバイクの開発に転じて、やがてバイクが気晴らし以外にほとんど目的ももたない道具になったというのも不思議なものであります。
なんだかんだとじっくり展示をみてはメモをとっているうちに、だいたい90分くらいで観終わるところをその倍もかけてなお後半は駆け足になる。途中ですこし脱水気味になってしまって、そういえばきょうはコーヒーしか飲まないできてしまったと思い出して、あわててペットボトルの麦茶を買ってがぶ飲みした。蛍の光が流れるころ、売店で GSX1100S の模型キットが当館限定と書いてあるのをおみやげに買った。入口のところには大型バイク「ハヤブサ」が展示されてあって、またがってみてもいいようになっていた。ただまたがっただけなのにものすごい恐怖感をおぼえた。大型のひとたちってこんなのに乗って走ってるの、免許のカテゴリが分かれてて間違って乗れないようになっててほんとによかった、とおもった。無免許でおためしまたがりができたのはたいへんよかった。駐輪場にもどると最後の二台になっていて、もうひとりはスーパーカブで群馬からはるばるきたひとがこれから愛知の刈谷までもう一走りするとおっしゃっていた。
夕方、四時半。浜名湖、弁天島公園に移動する。浜名大橋を西に向かって越えていく。すこしオーバーランしても橋をわたってみたかったから。左には海がある。右には湖がある。ただ湖のほうは対向車線のフェンスの向こう側をのぞきこまないとみえない位置だった。海はつぶつぶに光っていた。
公園にはいるところの交差点で右折を待って、秩父で右直事故には絶対に気をつけなさいと講話してくれたベテランおじさんのことをおもいだした。右折のタイミングをみはらかうときしばしば思いだしてもいる容赦ない直進車のことをかんがえた。このときは公園にはいろうとするところで、向こう側の原付が左折レーンから不意に飛び出して交差点をまっすぐ渡っていって、ああいまみたいなときひと呼吸おいてよかったとおもうんだなと緊張しながらあらためておじさんのことをおもいだすのだった。
公園は水辺の向こうの海中に真っ赤な鳥居が立っていて、その向こうにさっき渡った浜名大橋がある。そのおもいきり向こうにおおきいまん丸の夕日が落ちていく。駐車場から遊歩道をいっぽん挟んだらすぐに水辺となっていて、その駐車場のへりのところにバイクを停めて、いろんな角度に取り回しながら写真をぱしゃぱしゃ撮った。日没のいいタイミングのわりに、まわりにほかのバイクのひとがたむろしていることもなく、のんびり座って過ごした。遠くまでこられたなとひろい水がひろがるのをぼんやりみていた。なんだか力が抜けてしまって、なにもしないでただ草に腰かけていたら小一時間もたっていた。
ホテルまではもう一走りといっても三十分くらいだから、その前に給油をすませてきょうを終わろうとする。湖の東側にすこしはいっていって出光のガソリンスタンドにはいって、セルフのつもりで腰をあげたら謎のおじいさんがスタスタと寄ってきて横から手をだして機械を操作しようとする。サービススタッフでもなさそうな所作にぎくりと絶句していると、はやく操作してくださいと急かされる。聞けばクーポンを使わせてやるからはやくクーポンの画面まで進めてくれということだった。で、おじいさんはラミネート加工されたちいさいカードをピッと読みこませたらそれきり離れていった。あとでみたらガソリン代は単価で八円の値引きになっていて、払いが軽くなったのはそりゃ嫌な気持ちはしないが、あのおじいさんがなんの目的と利益のためにあの役割をしていたのかはさっぱりわからなかった。
暮れなずむ時間はあんがい短くて、夕焼けもじっくりみないまま光が紺色に変わっていくなかをもういちど浜名大橋をおなじ方向に渡りなおす。大倉戸というところでバイパスをおりて、なんとなくジッグラトという響きを口のなかで転がした。地図をあとでみると都市計画道路と書いてある山のなかへくねりながら走っていく道を通って、暗い山のなかにトヨタバッテリーという社号が赤く光っているのを横目にながめて、湖西の市内にはいった。
大通り沿いのルートインにチェックインする。軒先にバイクを置かせてもらった。先客には CB1300 が一台おられた。秋に多賀城のルートインに泊まったときに、おなじように軒先にオートバイが二台ならんで停まってたのをおもいだしって、おなじようにした。ぼくが二台目だったわけだけれども、あとからみたらぜんぶで十台以上もがこんもりと玄関先にたむろして、やからの集会所っぽく、営業妨害っぽくなっていた。とはいえ、ホテルのひとに聞いたら本式の駐車場はできるだけ四輪車のためにあけておきたいから、やからぶった二輪車も軒先にこんもり停めてあるほうがうれしいということだった。
ホテルのそばにブラジル料理屋さんがいくつかあるのを地図でみて、東京の家のそばではあんまりみないものだとおもった。大通りをひとつ渡ったさきの、市役所の裏のところに構えてあるお店が最寄りにみえた。公営団地っぽい暗い建物の一階のならびにあって、前は寿司やだったみたいな引き戸の脇にはポルトガル語でなにかの注意が書いてあって、勘だけではなんのことかあたりもつかない。寿司やの戸をひくと父、母、嫁いだ娘、という風情の三人が無言でみつめる目がぼくを刺した。にわかの緊張。やっておられるでしょうかとのべると、三秒待って、こちらが客のつもりできたことがようやくわかって、好きな席にかけてくださいとお父さんがにこにこしながらうながしてくれた。
魚のフライと鶏のカツだけメニューに日本語が併記してあって、未訳のメニューはこんなステーキ、といってインスタグラムの画面をみせられて、それはたしかにステーキだった。それをたのんだ。お母さんは奥にひっこんで、娘さんは外にでていった。お父さんが厨房に立っているようだった。辛いソースすき? といわれて、ごめんなさい、好きじゃない…とはなして苦笑いした。静かなお店だった。なにも音楽で沈黙を埋めようとしていなくて、すこし離れたところから料理の音がきこえた。
若い男性がやってきて、こちらににこりと一瞥をくれながら奥にはいっていって、ポルトガル語でなにかをはなして、お弁当をわたされて持ち帰っていくのが何度か繰り返されていた。お邪魔させてもらっているつもりで端の席で静かにして、居心地のわるさはなかった。お酒は飲まないつもりできていたけれど、商売っ気のなさはそれを勧めることもしなかった。ステーキはちょっと固めで脂はすくなめで、特別にゴージャスというほどでもなく日常生活のごちそうという風情がちょうどよかった。豆のスープ、辛くないサルサが二種類、サラダとすこしのフライドポテト、それにおおきなステーキがワンプレートになっている。
正面の壁に書いてあったポルトガル語はたぶん「お弁当の配達、湖西市と豊田市、よろこんで承ります」といっていた。大通りからすこしはずれているし、公営団地の一角みたいになっているところでもあるし、あんまり外様の客はこないのかもとおもった。うすうすそう気づいてちょっとお邪魔になってしまった気もして、ぺろりと平らげたらあまり長居はしなかった。ありがとうね、ありがとうね、となんどもいってもらって、こちらこそごちそうさまでしたとありがたい気持ちでいた。
鷲津の駅までぐるりと歩いて、お腹にいれたエネルギーを足に落としていく。駅前のレンタルビデオ屋さんと本屋さんをすこし冷やかしていく。スズキ歴史館でメモパッドをかなり使ってしまって残りが薄くなったのを補充したいとおもって文具をながめて、気にいったのがなくて手ぶらで出てきてしまった。牛角の前でほろ酔いの若者たちがおおきな声で誰かを胴上げして大盛りあがりになっていた。
ホテルにもどって大浴場には向かわないで、部屋の湯船ですこしあたたまった。NHKがカーリングの試合を中継しているのをみたりみなかったりしながら、地図をながめて次の朝のすごしかたを考えた。すぐにでも眠れそうにおもっていたはずが計画をたてるのもたのしいもので、ぱたりと眠るというよりはいつもとおなじ時間に布団にはいった。疲れ切ってはたしかにいた。