浜松の二日目。そうはいっても目を覚ましたのは湖西市のビジネスホテルだった。

この日も続けての晴れで、日がのぼりきってから出かける。ゆうべ固いベッドで考えた計画はこうだ。まず浜松市内で航空自衛隊の広報センターをちらりとながめる。うなぎパイファクトリーでお土産を手にいれる。御前崎灯台まで高速をつかわないでおとずれる。そのあとは東京へと帰っていく。

ベッドが固かったのはほんとうのこと。こんなに沈まないかとおもいながらもぐりこんだとたんに眠りに落ちていて、九時間とおして眠ったようだった。慣れないベッドで中断なく眠れたのは期待しがたいことだったけれど、なんとなく疲れがとれきっていないかんじもあって、帰って自分の布団で眠れることを恋しくもおもった。

朝のはじめにパートナーからのテキストメッセージをみた。風邪っぽさ。喉の痛さ。関節痛もあってインフルエンザかも。かわいそうに。面倒をみてあげたいけどロサンゼルスはずっと遠くて無力におもう。苦しいのを放ったらかしてあそんでいるみたいな罪の意識もあるけど、ぼくはまず安全に帰ること。それであしたこそ電話越しにきっと付き添ってあげよう。ちいさい覚悟をたてて出かける。

ホテルがあさごはんを自由にとっていいように用意してくれる会場にいって、ちいさいパンをふたつと生野菜をたべる。食べすぎないようにする。市内にいくつかよさそうなパン屋さんがありそうにみえて、朝から営業しているお店にうまくよれたら焼き立てのパンをつかまえて食べてやろうと目論んでいた。適当に荷造りをして玄関にでたら、ゆうべぼくよりもあとからやってきておおきな塊をつくっていたバイクの群れはすでにおおかたほどけていた。到着したのとちょうど逆の順みたいに、はじめからいた CB1300 だけを残してぼくもホテルを出ていく。

浜名湖の西岸を北に。湖畔のきれいな景色をまっすぐ進んでいった。浜名湖を半周していって、三ヶ日インターから高速に乗せられて、きのう降り立った浜松西インターでふたたび降ろされた。そのあいだ頭はあんがい空っぽになっていて、景色は断片だけをわずかにおぼえているけれども、ほとんどくっきり覚えてあるものはいない。きれいな天気ののどかな湖畔だったとおもう。いくつかのスナップショットが頭に浮かぶだけで、コンテクストは脱落してしまっている。

ひたすら無心になっていたようだ。前だけ向いていたとか、なにかに心をとられいたとか、俗めいた集中というほどのこともない。ただ道があるうえをぼうっと移動して、なんの考えも心になかった。そう思いだす。迷いも欲もない無は理想のありかたのようだったかとおもいだして、なにが朝のいちばんからそういう状態に導いたのかはわからない。

次におぼえていることはこうだ。航空自衛隊の広報館というのがあって、ぼくはそこを地図アプリの目的地にセットして進んでいた。いかにも自衛隊のチェックポイントっぽいところに向かわされて、門をはいったところで守衛のおじいさんが手招きしてよこすのに近づいていって、停車をうながされた。なにがとはいい難いがなにかいかめしいプロトコルが無言ではじまった。平民が広報館にエントリするためにこんないかめしさは違うはず、とおもって、いかめしさを逸脱する勢いで、きょうは広報館日和ですねえ、なんてでまかせをいった。それがおじいさんのモードを変えた。広報館の入口はここではなくて目の前のさらに進んだところの、ホンダの研究所があるところの信号を曲がっていったらある。ここは広報館ではなくて基地の入口、と教わった。うっかりミスというのではあったけど、勘違いに気づくためのパスをもしぼくが出さなかったらいったい無言のプロトコルはどの終着点に向けてなにを進めただろうと想像もできなくて、まれな経験を逃してしまった気もした。いや、変なことに首を突っ込まなかったのがなによりだった。

そのあとたどりついた広報館は、航空自衛隊のお仕事の中身を説明するビデオがいくつも流れていて、博物館みたいに順路をたどっていくと、歴代の戦闘機のたぶん実物大の模型があったり、研究開発の成果を反映して高度化するパイロットの装備をみせたり、パトリオットミサイルの仕組みと運用を熱心に解説するパネルをみせられるままにみた。順路は格納庫にみちびかれていて、そこでは巨大な体育館みたいな空間にいくつも戦闘機が展示されていて、望むひとは戦闘服に着替えてコクピットに乗りこんで操縦桿を握ることもできるみたいだった。別の一角では仮想現実空間で飛行体験ができるという催しもやっていた。

あんまり時間がないという以上に知識がないから偏愛をいだくことはできなかったけれども、好きな向きにとってはたまらないんだろうとみえた。充実したテーマパークがほどよく空いていて、ちいさい子どもを放し飼いにして好きにさせている様子がみえるのはわるくなかった。そうやって前向きな感想をひとしきり作ったあと、記念品のちいさなご当地ステッカーかなにかでもいただいていこうかしらとみやげものの売店をのぞいたら、あまり好ましいとは思われない、政治的にナイーブな郷愁がちらほらのぞいてしまって、ほしいものは見つけづらかった。男らしいいさましさの純度が高ければ高いほど格好いいというひとに向けてサービスしているようにみえてしまって、やっぱりちょっと合わなかったのかも、と疎外感をもってしまった。そうはいいながらも無害なポストカードとマスキングテープだけをなんとか見つけていただいてきた。

基地からうなぎパイファクトリーはたいして離れていない。ひといきで着く。日がのぼるほどに暑くなるようにおもわれて、ジャケットから取り外せる防寒具を取り外して、念のためと持ってきていたメッシュのグローブにつけかえた。ジャケットは心地よくなった。グローブは風をとおしすぎて、真夏でない季節には指先を冷たくした。

うなぎパイファクトリーも週末のお出かけスポットという具合で、とくに子どもを連れたひとたちがよくみえた。工場見学ができるというのが売りになっている。ぼくは単にお土産を買いたくて、うなぎパイだけならスーパーでも高速道路でもわりと手に入るだろうが、せっかくだからお膝元でなにかしら限定とラベルされているものでもとおもっておとずれたわけだ。期待通りに、パイではなくてサブレに桜色のチョコレートをくっつけたかわいらしい春の商品があった。いいものをみつけたとおもって、お土産を求めてきた気持ちは満たされた。

庭のところに移動式の店舗があって、その場で食べられる甘味を出していた。ここでも春の季節ものといって、紅ほっぺとミルクのジェラートを出していた。紅ほっぺは静岡のいちごのブランドということのよう。それをひとついただいて、シャリシャリした食感は氷ではなくてうなぎパイを砕いて練ってある舌触りにおもって、しっかり考えて作ってあるのをうれしく味わった。ちいさなお手拭きの外袋さえうなぎパイのパッケージをあしらって、細かいところまでこだわってテーマパークのようにしているさまがみえた。後景でずっと流れていた奇妙な歌曲は「うなぎのじゅもん」といって、うなぎパイの販促音楽にして、小椋佳さんが自作自演するめずらしい味わいがあるものとあとから教えられた。ぺろりとジェラートを食べ終わってお土産を積んで出た。

御前崎まで向かおうというときに、まっすぐ行くにはお昼をまわってしまっておなかが空きそう。バイク好きの店主がやっているパン屋さんが道中ある。ガイドブックで前の晩に教わった。食べていくにせよ持ち帰りにするにせよ、そこでいちど休憩することにして、食事のあてはついた。

浜松バイパスに乗って東に向けてまっすぐ進んでいく。国道1号ということみたい。高速道路みたいにみなびゅんびゅん走りつつ、たまに信号があって止まる。途中からはいよいよ信号もなくなって、立体交差があらわれて、出入り口のランプのことをインターチェンジと呼ぶようになった。天竜川を渡るところは八車線になっている。地図のナビゲーションが案内をあいまいにしていてよくわからないけど、目の前の道路は左が磐田市内と案内がでていて、浜松を抜けたっていうことはたぶんこっちだろうとなんとなく吸いこまれてみる。

小立野というところで降りたみたいだ。ほんとうはさらにバイパスに乗っていてよかったみたいだ。だんだん道に迷っているが、おおきくいって東に進みさえしていれば間違うことはなさそうでもある。妙な構造の道路で、ひとつ折れるのを間違えたせいで奇妙なターンと合流をさせられる。それでもいちど本線に乗ったらあとはまっすぐみたいだ。目当てのパン屋さんは磐田にあると思いこんだのは思いこみで、やがて袋井市というはじめて知る街にはいったと案内表示におしえられた。

そのパン屋さんは「げんらく」といって、車がなければまず来られないような道沿いにあった。地元の好事家のひとびとのたまり場になっているところによそ者の勢いでひとりはいっていかないといけなかったらちょっと疲れてしまうかも、と緊張しつつも向かえば、意識しなければ気づきもしないで通り過ぎていってしまうくらい謙虚なアピールだけをする看板がみえて、いかめしそうな団体の先客はなく混んでもいないようにみえるのに安心して飛び込んだ。

持ち帰りにするか食べていくかは決めずにはいったけれども、入店してどうなさいますかとお母さんがニコニコと応対してくれて、窓際の席ではご高齢のかたがたがのんびりをお話をたのしんでいる様子にみえる和やかさがあって、ではせっかくなのでとゆっくり食事をいただくことにした。メニューの仕組みを懇切丁寧にしてくださった。パンのお店にて、そのパンをつかったパングラタンをたのんだ。セットメニューにしていただいた。

壁に据えられた展示ケースのなかにはレーシングバイクの大小の模型がぎっしり並んでいる。お店を紹介する三つ折りのパンフレットは、天然酵母にこだわって、食品添加物も動物性の原料も使わない、口にはいるものはすべて原料の由来をトレースできて、子どもであれ、アレルギーのあるひとであれ、なにも不安なく食べてほしいことを力強く語っている。創業からこの年で三十年になるという。

サラダ、トースト、豆乳の寒天。ドレッシングは日向夏をもちいたノンオイルのもの。おそろしくおいしいトーストは口にいれたとたんいちじるしい香ばしさが口から鼻に突き抜けて、こんなパンは食べたことがないといい切れるとおもった。おどろいた。パングラタンのほうも動物性の材料はつかわないであるといって、オイルと塩味にたよらずに引き出す味がこれほどこってりと食べごたえのあるということに二度おどろいた。これは探して出会うことのむずかしい味だろうとおもって、気まぐれに寄ってみられたことがうれしかった。

ご高齢のグループがお帰りになられたあとしばし客はぼくひとりとなって、店主さんがあらわれて、ぼくがバイクでやってきていることは静かなお店のことだけにきっとあらかじめ音でわかっていたように、どちらからですか、どちらへ向かわれるところですか、というところから話に水を向けてくれた。なにに乗っておられるんですか、といわれてカワサキの ER-4n っていうあんまり知られていないらしいモデルでして、というとあんまりピンときていないようだったが、帰りがけに車体をお見せすると、なるほど! これが ER でしたねえ、珍しいけどおぼえていますよ、たしか Ninja とおなじエンジンなんでしたっけね、とすっかり言い当てて、さすが長く追いかけられているひとはより多くを深く知っていると敬意をあらためた。

スズキ歴史館にいってきたという話をする。それはそれは、すぐそこにもヤマハの企業博物館があってバイクみせてますけどそっちもみにいくんですか? いや、そっちはちょうど臨時休館になってて今回はいけませんでした。ああ、たしかに年度末は会社の都合でおやすみにしてあることありますね。でもそっちもおすすめですよ! 展示車両の状態はヤマハのプラザのほうがいいんじゃないかなとぼくはおもうなあ、ぼくがスズキ歴史館いったのはずいぶん昔でいまはどうかわからないけど、昔のマシンをみせはしてるけどなんかパーツが錆びついちゃったりしててちょっと気の毒な感じもありましたから。スズキの悪口じゃないけど、ヤマハのプラザは展示車両も年に何度かテストコースを走らせてて、抽選にあたればレア車両を走らせるの手伝わせてくれたりもしますよ。

なんていう話をきいた。あとは風のはなし。昔から遠江はからっ風の国っていってびゅんびゅん風が吹く。東京からきたなら、焼津のあたりから急に大風になったのわかったんじゃないですか? あれはたまたま風が強い日でそうなんじゃなくて、いつもあんな吹きかたしてるんです。へえ、そういえばスズキ歴史館でバイクの展示をみてたとき、風の日でもまっすぐ自転車に乗れるように自転車にエンジンつけようっていうはなしでしたっけ。冗談みたいなはなしだとおもったけどそれくらいいつも風吹いてるってことなんですね、おもしろいなあ。そうそう、まあ風があるから凧揚げが盛んだったりもしてるけどねえ。ぼくもはじめは宮崎にいて、それからこっちに移ってきたのが二十五年前なんだけど、普通は夜になると風はやむじゃない。寒暖差で風って吹くんだな、晴れてると吹くよなあっておもうじゃない。それがこっちじゃ夜になっても海からびゅんびゅん吹いてきてたいへんなんだ。雪が降らないからいつでもバイクは乗り放題だけど、風にはまいっちゃうよね。真夏にも風が吹いたら過ごしやすいでしょうっていわれるけど、それが真夏になるとピタッと止まっちゃうんだ。勘弁してほしいよね。

しばらく雑談をしているうちに、次のバイクのグループがやってきて外に停める音がした。三人組のおじさんがた。ぼくはデザートにもらったシフォンケーキも食べ終わって、ドライフルーツを練って固く焼いたドイツ風のパンをひとつおみやげに持ち帰りにして、お礼をいった。お会計を済ませるとき、バイクでお越しいただいたひとには車両の撮影してブログにあげていいか聞いてるんですが、よければいいですか? と尋ねられて、それはぜひ、ぜひ、とみていただいた。あとでブログに載せていただいているのもみせていただいた。熱心な頻度でその日のことはその日のこととブログを更新されておられるのをみていい気持ちがした1

海岸よりの国道にぼんやり乗って御前崎への道に復帰した。あたたかい真っ直ぐな道で、二台前にはまぶしいイエローのスイフトスポーツがいて、信号が青に変わると気持ちいい排気音を残してバイクまさりのスタートダッシュを決めて突き放していくが、信号の運がわるくていつも次の信号で追いついてしまうというのを何度も繰り返していた。ドライブ日和だ。対向車線のバイクがひとり、すれ違いがけに手ぶりで挨拶をしてきたのに応答した。そうそう、この一瞬の挨拶をするのがなぜか気持ちいいんだった。おもいだして、こんどは反対車線にバイクがあらわれるごとにこちらから手を振ってやる。みなが振り返してくれるわけではないけれども、ただ週末にバイクを出しているというだけのことに同僚意識をもって応答したりされたりするのを気持ちよくおもう晴れた午後です。

浜岡原発の入口のところの信号で停められて、ふむここにはいれば原発広報館とすこし興味を惹かれる。でもきょうの目的は御前崎と邪心をおきざりにして、いよいよ海岸に沿って御前崎に向かっていく道にはいる。海が近いことを空気にかぎとって、この道はぜひゆっくり進もうと心がけて、あとから追いついてきたアメリカンバイクに先をゆずって通す。

丘をのぼっていきひとつ越えると、広い海に向かって崎がせりだして、その崎にむかって海が数百の白い波を秩序だてて駆り立てているあまりにものどかな海の景色をみた。リゾートの景色だった。ジェームス・ボンドが休暇を過ごす地中海の白亜の街の景色だった。青と白と緑が目のなかをいっぱいに埋め尽くした。そのなかをおもいきり風をあびて走った。こんなに気持ちのいいことがこの世にあるかしらと一瞬よりもすこし長く続く興奮が風に負けないおおきな歓声をヘルメットのなかであげさせた。

灯台のふもとにバイクを停めて、ここには先客がたくさんおられる。停めて降りるといちじるしい強風で、走らせていたあいだよりもかえって降車してからのほうが海風にあおられて足をすくわれそうだ。目をあけていられないのは単に風があるからというより、風にのって飛んでくる粉塵がすさまじいからでもあるようだ。目のかゆみとくしゃみがしばらくとまらなくなる。海をみようとするもどうしようもなく、灯台につづく林にはいって風をやりすごす。

御前崎は静岡の最南端にせりだしているという。伊豆半島の先よりもここは南にあるということ。先端にいけばなにかあるだろうと調べたときに、ここにある灯台はなかを登って参観することもできると知って、記念におとずれようと決めたのだった。とはいえこの日は強風につき参観中止とある。展望台から海岸をのぞむと、地平線が地球の丸さにいくらか歪んでいるのが眺められる。お日さまが真向うから見下ろしているところに海岸がきれいに湾曲しながら、スポーツカーの列を遠くに運んで消していく。波がおおいに海の模様を変化させているところは雄大な絶景であるけれども、吹き上げる風は日のまぶしさを味方につけて目を痛くする。絶景をみたくて展望台に寄ると刺す風が視力をうばって、離れれば風が弱まって目を開けられると感じるのは、まるで人間風情の見世物ではこれはないと海の神様が怒って人払いをしているみたいだった。

バイクにもどるとすこしのあいだにヘルメットのシールドに花粉か黄砂かわからないが身体に悪そうな粒子がべったりくっついていた。相変わらず立っていても足がすくむほどの風が吹いていて、ここにやってきてこれから進む方向にとっては追い風の格好だからすこしましにもおもって崎を出ていく。牧之原地頭方という地区でガソリンを補給する。

金谷御前崎連絡通路といって山のなかを塗って信号のない高速移動を許す道をトラックのうしろについて急がず走っていくと、そのまま牧之原インターで東名高速に接続した。上り線をひたすら走っていく。往路で通り過ぎていた富士川サービスエリアに帰りは寄ってみようとだけ決めていたのに忠実にすこし飛ばしてたどりついて、往路とは反対側からみる富士山を最後にじっとみた。雲ひとつかかっていなくて、山の向こうにある地平線がぼうっとかすんでいるなかから雪のたっぷりかぶった頭を空に向けて突き出しておられた。

もう寄りたい休憩所は残っていないけど、次にやすむところが最後の休憩所だとして、どこあたりで休みましょうかねとぼんやり駆けていくうちに、秦野中井から渋滞、横浜町田まで一時間、と表示があって、げえとおもった。御前崎を出るときに自宅まで三時間強とでていた。いま一時間以上かけて神奈川まで戻ってきて、自宅まで三時間強とでている。この一時間を真空に吸い込まれたみたいな気持ちで渋滞に突入して、手首がピキピキになるまで低速走行をがんばった。夕方を飛ばしてすっかり日が暮れた。

首都高にははいらないで世田谷でおりて、環八、甲州街道、環七とわたって八時前に家に帰ってきた。ガソリンメーターがちょうど残りのひとつを打った。一日目に 310km を走った。二日目に 340km をはしった。よくがんばってくれたなとおもった。ぼくもよくがんばったとおもった。あぶない思いをすることがなくてよかった。空腹感はあるのに食欲がないのは緊張がほどけたからか。なにかは食べないとと近所のマルエツにお惣菜をさがしにいって、ホットスナックもカップ麺もいまいち食べたいとおもえなくてすこし消沈したところにお稲荷さんをみつけて、これだこれとおもって持ち帰ったらぺろりと食べられた。地に足がまだついていない浮ついた気持ちで風呂にはいって布団にはいって気絶するように眠った。