東京・春・音楽祭の東京文化会館でのプログラムで、キリル・ゲルシュタインとカルテット・アマービレの共演をきいた。
キリル・ゲルシュタインはドイツに拠点をおくピアニストで、二日前に独奏会をおなじ会場できいた。カルテット・アマービレは若い弦楽四重奏団で、メンバーは次のようになっている。バイオリンに篠原悠那さんと北田千尋さん。ヴィオラに中恵菜さん。チェロに笹沼樹さん。
プログラムはブラームスのピアノ四重奏曲第二番(作品26)とピアノ五重奏曲(作品34)の二本立て。前半と後半でおおきな曲をひとつずつ聴かせるジューシーな設計になっているようだ。
四重奏のほうは、ちいさなモチーフを四つの楽器が温めて磨きあげて循環させる音楽として提示された。ひとつのアイデアを粘り強く発達させるように熟慮されたインタープレイが聴こえた。
ひとつのアイデアから次のアイデアを自動的に導きだしては次々にジャンプしたがる衝動は人間のなかにたしかにあるとおもう。それに対抗するように、ひとつのアイデアに拘泥しておなじモチーフを異なる表現で追及する思慮深さが粘り強い芸術家の姿にあらわれることは息を飲ませる。モネの積みわら。ソニー・ロリンズのアドリブ。これらに似て、ソリッドな循環のなかに密度の高い時間が持続するすばらしい演奏を聴いたとおもった。
五重奏はがらりと顔をかえて、ホットで猛スピードの演奏があっという間にすぎたとおもった。持続力よりも推進力にあふれていた。前半のスタイルをもういちど聴きたいとおもっていた耳は足がかりを失って、つかみそこねた。おなじ演奏家たちがおなじ作曲家をあつかって、こんなに違う色彩をあらわすことができるというのに頭をくらくらさせた。