奥多摩周遊道路を走りにいった。檜原に抜けて帰る道が通行止めになっていて、来た道を引き返すしか帰る道がなくなっていた話。
前の週がこごえる雨つづきで鬱屈していたときに天気予報をみて、次の火曜日まで待てば春のあたたかさと快晴がいちどにやってくるようだと夢みて逃避するやりかたでこの日にでかけようとねらっていたのだった。
奥多摩周遊道路は、走り屋が群雄割拠していておそろしいという逸話がいっぽうにあって、もういっぽうには自制心があれば安全な道という評判がきこえた。ビギナーにも走りやすくやさしい道、そこで事故をおこすのは、自分のペースを見失っているからにすぎないというような。
週末にはじめて押しかけたら、自分のペースを守ってはいられないかも。でも平日ならコンディションのいい日でも週末よりは空いているだろうし、いい練習ができるかも。早起きをして、奥多摩湖のほうから周遊道路にはいって、片道だけはしったらかえってこよう。休憩所の位置も確認して、準備は万端とおもって、早起きしてでかけた。
往路は新青梅街道をひたすら西進して、高速道路はつかわなかった。青梅のコンビニに最初の休憩地点としてマーカーをセットして、空いていれば一時間強でつくはずの道を、朝方の混雑で三十分くらい余分に長く走った。ボウリング屋さん、熱帯魚屋さん、いろいろみえた。
黒いテスラがずっと前にいて、砂漠でも走ってきたみたいにほこりまみれだった。四車線道路の左側を走っていると、テスラは狼藉をなにもしていなくても両側の車輪で白線を踏まずにいられないことがあって、やっぱりアメ車はでっかいねえとながめていった。どこかの信号でわかれてみえなくなった。
ひとつ曲がり角をみあやまって、青梅市役所のほうにそれてしまった。もうすこし奥のセブンで休憩にしようとおもっていた折、バイパスからはなれたことでかえってちょうどいいローソンをみつけた。いなり寿司とゼリーであさごはんにする。八時過ぎだった。
吉野街道をとおって奥多摩にはいっていく。ファミリーカーとか公民館の車とかが通るのにあわせてトコトコとついていく。おだやかな景色がずっと続く。きれいにひらいた桜の木が点在していて、ピクニックにはうってつけの日だ。山にはいるほどに涼しくなったのが風でわかって、水がちかくに流れているのを強く意識した。多摩川のはじまりたてのほそい流れがすぐそばにある。
新青梅街道でテスラを見送ったあと、二人乗りのビッグスクーターをみた。あんまり飛ばしもしない、すり抜けもしない、信号ははやめに止まる、と落ち着いた走りかたをそれでいてずいぶんたのしそうにしているのがおだやかに目立ってみえたものだった。
青梅でいちど見失ったそのビッグスクーターがふたたび脇道からひょいと顔を出した。あら、とおもったとたん、左手に濃い緑青色のダム湖がまぶしく光っていた。すごい湖! ビッグスクーターのふたりはきっとダム見学をしてきたのかな。ぼくもみにいってみたいと気になるけれど、山際の道はUターンするには心もとないし、ぼくにはぼくの向かっている場所があるから、といって湖は横目でみるだけとした。じっくりみることをあきらめてなおすばらしい展望の湖があった。
春の交通安全キャンペーンかなにかでおまわりさんがたがぼうっと座っているのを見送ったりしたあと、深山橋を折れて渡って奥多摩周遊道路の分岐がある。いちどそれを行き過ぎて、小菅村の道の駅にむかおう。そこでもういちど休憩にしてから、いよいよメインの道路にはいっていこう。
道の駅はちいさなラウンドアバウトの先にあった。手作りのパン、特産のこんにゃく、凝った素材のバスソルトをおみやげに買ってバッグにしまった。気持ちのいい山の景色があって、うぐいすはじめ野鳥の鳴く声がよくきこえた。ほとんど車はいなくて、十人以上のおじさんがみんなバイクでやってきている仲間たちというのだけがいて、おしゃべりしているうちは健康的な寄り合いにみえなくもなかったのが、やがてアイドリングをはじめておきながら誰も出かけようとはしないで、ただうぐいすの声をかきけすだけとなると益体もない。もっとも、騒音をばらまきながらここまでやってきたのはこちらもおなじことなのだった。
奥多摩周遊道路は、夜間に通行止めにするためのゲートがあるところがわかりやすい入口になっていて、そうはいっても料金をとらない道路だから、分岐になっている橋をわたるとそのままストップしないではいっていくことができる。ゲートのさきには好きものの拠点にするたまり場の駐車場があって、そこから周回を繰り返すことのできるつくりになっているから、入口のところで対向車線を駆け下りてきた百戦錬磨のバイクが、次の瞬間にはこちらのうしろにピッタリついていて、さっそく道をゆずってやるとボディランゲージで感謝をあらわした背中は一気にぼくを抜き去っていった。
そういうつわもののバイクはこの一台に限らなかった。背後につかれるとにわかに緊張することこそ避けられなかったけれども、適当な直線でゆずってあげるまでに危険な追い越しをかけられることはなかった。ゆずってボディランゲージを示されないこともなかった。ペースに飲まれなければおそろしいことはないという評判はこの日にあっては本当のことな気がした。
月夜見第一駐車場の展望台でいちど停めて景色をながめる。風がふっと止むと何十種類の野鳥の声が遠くによく聞こえて、おなじくらい遠くに犬たちが縄張り争いをするようにエンジンをふかす強烈な音も聞こえた。ワンワンという声もいくつも個性があって、遠くにきくぶんには風物のひとつだった。
浅間尾根の駐車場でもういちど景色をみるために停めると、ここではエンジンの音はひとつもきこえなかった。もやがかかってよくみえないとおもった展望は、山の奥にもうひとつの山がかくれていて、その奥にさらに無数の山が隠れているのをだんだんと目がみつけるにつれて、神秘の度合いがふかまって、この世のものならざる場所にひきこまれるおもいがした。
このまま抜けて帰ろう。そしてお昼には家についていよう。それがもともとの計画だったし、ここから戻れば時間通りに帰れそう。そういって檜原に向かって峠をおりていく。下りのカーブは相変わらずむずかしいものだったけれど、保守的にスピードを管理しながら首と上半身をよく動かすのを意識しておりていくと、いまのはうまく回れたと下手なりに満足のあるカーブをいくつか作ることができた。これできょうの最後の峠道とおもって、集中力を注ぎきって抜けたともいう。
その先に進んで、急ごしらえの通行止めのゲートに足を止められた。土砂崩れがあってすぐに復旧できないということらしい。とはいえそうなると、ここは奥多摩からわたってきた長い長い一本道のいちばん奥で、あきる野にも上野原にもまっすぐ抜けられなくて、できることといったら来た道を帰って遠回りするだけか。おもえば、周遊道路の先に通行止めがあるという案内表示は往路でたしかにみかけていたけれど、まさか迂回路なしのどん詰まりとはおもいもよらなかったのだった。
地図アプリは通行止めをまだインプットしていなくて、あくまで帰り道は土砂崩れの先にあるから土砂崩れに突入しろといって聞かなくなってしまっている。代わりの道はコンピュータにとってはすべてな無意味な遠回りだから、いまほしいものをあたえてくれるのはもう期待にならない。次に近い道といってオフロードを提案されても困ってしまうから、あきらめた。腹を決めた。もういちど峠を越えて、もういちど小菅村を抜けて、なんとか帰っていこう。あきらめで心を折らずに無事故で帰ろう。
きょうの難所は走り抜いたとおもって集中力の回路をいちど切ってしまったあと、もういちどおなじ難所に突入するのに及び腰ではあった。とはいえ、いよいよ安全重視の走りかたをするしかないこともたしかで、それは悪いことではなさそうだ。都民の森という休憩所で立て直して、お昼を過ぎますという連絡も済ませて、ゆっくりと長い帰路にはいっていく。
帰路の奥多摩周遊道路は、前にも後ろにも反対車線にも誰もいない状態がずっと続いて、かえって安心して低速で走った。カーブごとに体重移動のやりかたと視線のおきかたをチェックしては手ごたえをあつめて、いまのぼくの技術はこのあたりにすぎないというあたりで、のびのびと練習させてもらった。悪い癖はまだ無数にあるにせよ、自分で直せるいくつかの悪さは直すことができたようにおもって、充実感があった。気づけば往路では二度休憩しながら渡った峠を、復路ではひといきに夢中になって抜けた。
小菅から上野原に別の山道が通っているのを抜けていく道をとる。ふたたび峠となるけれども、こちらはレジャーのための道路ではなくて生活のためのおだやかな道路で、うしろからスーパースポーツ型のバイクが追いすがることもないから、あくまで落ち着いていこう。
そのときあるカーブの途中で五センチかそこらの落石を前輪が踏んで、ボディがかたむいているときにハンドルがとられてヒヤリとすることがあった。転ばずに済んだのは無謀な突入をしなかったからとおもえばいいニュースだけれど、路面のイレギュラーな状況への反応速度が悪かったといえば悪いニュースだ。そのあとよくみれば落石注意の看板はきちんと立っているのがみえた。こういう野良の情報こそ公道の変化をよくとらえていそう。よくみねば、ですね。
峠はまだまだたくさんのヘアピンカーブつきのアップダウンを繰り出してくる。それに粘り強く噛みついていく。だんだん疲れてきた。重心をこまめに管理する集中力がふわっと薄まって、ぞんざいに曲がろうとして曲がれないのをリアブレーキを踏んで無理やり曲がるというのを何度かやった。そのたびにああつかれてきていると自覚して、次に自覚するまでのあいだにすぐ頭から飛ばしていた。
山の中をはしっていくとたまに開けた視界がのぞめることがあって、仙界の景色がみえた。とりわけ、冬を耐えしのんだあとの香り高い常緑樹のあいまに、ぽつんと桜のあわい色が孤独に点在してパッチワークの模様をつくっている。それがなんとも美しかった。数すくない桜こそかえって地の常緑をひきたてる。いちめんの満開の並木でない桜のみかたをおぼえてあわれにおもう。写真にはおさまらない春の山はおおきく遠くあることをみる。
いよいよ上野原市街に差し掛かる連絡通路をおりていくときのこと、対向車線に光の点滅がみえた。バイクのヘッドライトだった。チカチカいっているのは車体をバウンスさせているからかしら、段差でも踏んだのかなとぼんやりみていた。徐行してくるそのバイクはすれ違いざま、手を振ったようにみえた。いや、手を振るというより犬をなでるごときジェスチャーは、スピードを落とせという警告か。おもえばあのパッシングもねずみとりの待ち伏せを知らせる合図だったか。ゆっくり進んでいけば、たしかに旗をもった取り締まり係の見張りがあった。ほう。粋な合図のしかたとおもって、機会があればやりたいとおもうけれど、そもそもねずみとりをそうとわかってみたのもはじめてだった気がする。どれくらいの頻度でいるものかしら?
市街でいちどガソリンを補給して、だいたいこのとき午後一時。あと一時間だけ突っ走れば帰れるのは、ここまでの道中をおもえばあとすこしともおもうし、たまった疲れをおもえばまだまだともおもう。高速道路をつかえるのはラッキーとおもってとにかく帰り道に向かっていくものだった。時間があったならもうすこしのんびり走りたいものではあった。
手のしびれがだんだん馬鹿にできなくなってきた。前腕が突っ張っている感じがしはじめた。走りながら手首を振るとこわばりがほぐれるから、ああ凝ってきてしまっているなとそれで気づきもする。尿意も空腹感もたまってきている。ああ、これはだめだ、無理することになっちゃうからいちどやすもう。ちゃんとやすもう。と言い聞かせながら石川パーキングにはいって、フードコートの八王子ラーメンをたべる。おもえば朝にコンビニのいなり寿司を食べたきりで、それから五、六時間かな、よくもってくれました。
あらためて中央道を突き進んで、調布のあたり。深大寺によく遊びにきていたころ、歩いてそば屋にいったりつつじヶ丘駅までいった。そのとき通った道は中央道をまたいでわたる歩道になっていて、そこから見下ろした景色を急におもいだした。それと反対に、こんどはあの歩道を見上げてくぐるのはだいたいこのへんかな、とちいさい郷愁をかまえて走って、その歩道をくぐるのをいつになく懐かしくおもった。
高井戸でおりて、環八をとおって二時過ぎに家についた。二時間おくれで、無事故で帰れた。距離計はいちにちで 240km 走ったといってある。まったくこんな予定ではなかったとおもったけれど、半日分の仕事はそれからちゃんと済ませられたのでトントンだった。通行止めがなかったならおおむね計画どおりに運んでお昼に帰れたんじゃないかとおもう。快晴と半日の休みと早起きが揃えば百キロ強をはしってリフレッシュできる。そういうプランはかなり融通をきかせられると知った。次は奥多摩湖の見学をしにいってみよう。