この土曜日にはなんの予定もないぞとその前の晩に気がついた。天気もよさそう。同じ週に奥多摩にいったばかりだけど、チャンスがあるだけ出かけておかないとすぐにあの夏のくそ蒸した地獄の暑さがくるぞ、くるぞとおもえば背筋がぞくりとして、思わず出かけましょうとしたのでした。

道志みちは去年の秋にはじめて峠にバイクをもっていこうとちいさな冒険をしたときに迷いこんだ道。そこに再チャレンジして、甲府までとおりぬけて帰ってくる。途中で忍野村によって観光をする。

朝はさっさと出て、暗くなる前にさっさと帰る。そういう計画でいて、朝早くといいながら目覚ましは七時にいれていたのだけれど、五時には目が覚めてしまって、すぐに身支度をして出ることにした。五時にはもう日は昇っていた。

相模湖のほとりのところにあるコンビニまでまず一気に走っていきます。家から中央道へ向かう道ははやおきのかいがあってガラガラに空いていて、ほとんどすべての信号がいいぐあいに道を通してくれて、いちども足をつかないままどんどんかけていく。

甲州街道の入口のところではじめて車の列に出会ったら、同じ列がすっかりそのまま中央道のランプにみな吸い込まれていって、高速道路は朝早くからいそがしそう。調布のあたりにかかっている横断幕は、六時台は混むからおまえら五時台に走れとおせっかいが書いてあって、時刻はもう六時です。八王子を過ぎたあたりに渋滞の予兆があるらしいと案内表示をみて、げげ、朝からご苦労なことで、とおもいながらぼくは圏央道に逸れるのが向かう先につき、いきなり足止めを食らうことはせずにすんだ。高尾山インターチェンジでおりて、大垂水峠をわたります。

大垂水はいちど往復したことのある厳しくない峠で、半年前にはここをゴールに出かけてきたものだった。こんどは単なる通過点としてひゅるりとわたりましょう、といって、山のなかはにわかに冷えている。いや、視界が白くにごって、きづけば雲のなかを走っている。吐く息がヘルメットを内側から曇らせるといくら風をきろうにも外も雲だから視界は単調に曇ってゼロに向かう。これはあぶない。シールドをあげてはさげるの試行錯誤をして視界をまもりながら、なかなかいい戦法がみえないとおもううちに峠はおわった。さっきのは現世と冥界のあわいかなにかだったのだろうか、といまとなってはおもうくらいにコントラストがあざやかでさっぱりした晴れの世界におりてきた。たかだか標高400メートルくらいのコースといってあなどれないもの。

七時。相模湖のほとりのところのファミリーマートについて、最初の休憩。鶏飯おにぎりをひとつたべて、寝起きにバナナをひとつ食べただけのおなかをもういちどごまかしてやる。しずかな駐車場にうぐいすの声が落ちてきたのにいちど気づくと、そのほかにもいくつもの野鳥の歌で満ちているのがにわかによく聞こえるようになる。上をみても周りをみても、なわばりになりそうな林はなさそうにみえたもので、いったいどこから歌っているのかはさっぱりわからない。

休憩はひとまず済んだとおもって再出発したところで、視界の調子がなんだかおかしい。視界が吐く息で濁る。雲のなかを走るよりはましだけれど、不調になっているみたい。おもえばこの前でかけたきりそのままクリーニングもしないでかぶりなおして出てきてしまったから、シールドそのものがほこりで汚れて曇りやすくなっているのかもしれない。そうあたりをつけて、もういちど適当なコンビニにはいりなおしてウェットティッシュを調達して、その場で適当に拭き上げた。それでよくなったみたいだ。

ヘルメットをなおすあいだ、隣にとめたエブリイで留守番させられたやせた黒犬がずっと叫んでいた。こっちに向かってキャンキャン吠えて、ひとが歩くとそれに向かって窓を叩いて吠えまくって、通り過ぎるとまたこちらに標的を戻してずっと吠える、という反復をメトロノームみたいに繰り返していた。機械みたいに単調な動きがだんだん病的におもわれてきて、この子はいつからこうやって吠えてるんだろうと考えたら気の毒になってきて、もしここで何時間も放置されているのだったら誰にそれを通報するのがいいんだろうとこちらまで思い詰めた気分になりかけたとき、運転手が普通にもどってきてでていった。よかった。

道志みちにはいっていく。このまえここを通ったのは日記によると 2024-09-08 のことだった。相模原の側のちいさな丁字路から侵入するのははじめてのことで、途中までは知らない道の、途中からは知っている道となる。ワインディングがはじまるよりも前に、桜をはじめ春の花の木がわあっと並んで、白からドギツい赤紫までいろんな色味を若草のパレットのうえにこぼして遊んでいるみたいで、飽きずにみさせる路傍の景色です。

くねくね道で改造スポーツカーにうしろにつかれて、はやめに前をゆずって先にいってもらった。するすると遠ざかっていったあとで、結局その前が詰まっているのに並んでおいついて、まじまじとそのスポーツカーをみながらおいかける道中だった。一人乗りのカートみたいになっていて、ボディはアルミ色。ホイール周りはエメラルド色だけどアルミみたいな光沢はボディとそろっている。ブリキでできた機体にさえみえる。戦前のヨーロッパの不思議自動車みたいな容貌で、それって現代でも走れるの? と疑わしくなるけれど、動かぬ証拠が目の前を走っている。いちどだけ止まった信号で前後にならんだときに “Caterham by Ford” とボディに書いてあるのが読めた。それをインターネットで調べて、ケータラムというメーカーの「セブン」というシリーズらしい、イギリス車らしい、と知ったのは家に帰ってからのことだ。フォードのエンジンを積んでスポーツカーを作っているらしい。ぜんぜん知らなかった。知らなかったが、知らないで実機をながめて、なんかよくわからんけど破格のマシンとおもいながら文字通りに後塵を拝して走ったのはいい思い出として残る気がするものだった。

そのケータラムを見送って、道の駅で次の休憩をします。道の駅まであと2キロのサインがみえて、それならいちどお手洗いにはいろうというもの。真正面にぬっとあらわれた富士山は、見える範囲はすべて真っ白に雪をかぶって、裾をだらだら見せずに圧倒した。

八時。道の駅。オープン時間は九時ということで、まだ単に休憩所として使われるだけの時間帯なのだけれど、そんな時間でももうバイクはもりもりと参集してきていて、駐輪場は八割埋まっている。おおにぎわいだ。そりゃこんなによく晴れた春の週末にはみんなでてきちゃいますよね。コンビニで買っておいたマルチビタミンのゼリー飲料を飲む。

はじめて道志みちに迷い込んだときは、この道の駅で引き返した。この日は道の駅より向こうにいく。ここから未踏のゾーンということ。とはいえ、ワインディングの主要部はおわったような気がするし、あとは山中湖までの渡り廊下というかんじかなとみえる。入口のほうには春の花の木がもりっと咲いて見晴らしがよかったのに比べて、出口のほうは枯木の林のあいだを抜けさせた。道志みちの走破はこうして達成できた。あっけなくもあったし、気負いもなく抜けられたのがなによりよかった。

九時。山中湖の北側をまわって、北岸から富士山をみあげるための駐車場に向かっていってみる。かなりひとの数も車の数もおおい。足止めこそされなかったけれど、湖畔の駐車場はここでも九割埋まっていた。バイクはバイクで端のほうに停めさせてもらうマナーになっているのをみようみまねで先行者にならった。

湖畔に立つなりコバエのおおさにぎょっとした。いたるところにで黒い塊があって視界にはいらないことがない。ひとが動くのにあわせて塊も動く。近所でもたまにみる景色だけれど、数の規模がまるで違う。あまりにも多すぎる。まるで黒い煙みたいにコバエがうごめいているのがまとわりついて、鼻とか口にいつでもまとまって飛び込んでこようとする勢いなのにげえっとおもうのはみんなおなじようで、すべての観光者はすこしのあいだだけ我慢して写真をとるか、そうでなければ手足を振り回すか顔をうつむけて走って振り払おうとしていた。しかし逃げて逃げられるものでもなかった。富士山が立派な写真があとにのこると、そこにはコバエは映らない。よって写真をみてもコバエのことは思い出せない仕組みになっているのだけれど、ひと握りの写真家集団とそれ以外のパニック集団が入れ替わり立ち替わりで平和な阿鼻叫喚をしているのはおもしろかった。おもしろかったといって、ぼくもその衆愚のひとつにほかならなかった。

忍野村は山中湖村のおとなりですぐのところにある。だいたいの車がおなじコースで観光を計画しているみたいに同じ角で曲がって忍野のほうに向かっていった。ファナックの工場と研究施設がある。ファナック通りという通りがある。観光の中心部のほうに向かっていくと、駐車場があちこちにみえる。バイク置き場をどうすればいいかはよくわからない。ひとのいない駐車場にはいってもよくわからないからひとのいるところに適当にはいったら、短いライトセーバーみたいな棒を振り回して出口に誘導されて、たぶんここには停められなかったようだが、そのあとどうすればいいかは想像するしかない。別のスペースでおなじようにしたら、こんどは身振りでうまく誘導してもらえて、おおきな駐車場の奥のほうにゆうゆうおかせてもらう。そこからはいってきた駐車場の入口のほうにいくと、誘導員のひとが二百円といってくるのにコインを渡させてもらって、それと交換に小さい観光地図をもらった。この地図をみて八個の泉をめぐっていく。

十時。まだ十時で、なんだかおなかが空いてはいるけど忍野をめぐってから富士吉田でうどんでも食べるのがちょうどいいつもりでいた。すこし我慢しようとういところ、村の桜まつりをやっていて、野外食堂みたいなのができているところに村のハッピをきたおじいさんが勧誘してくれた。

猟でとった鹿のホットサンドと、観光協会が出しているほうとうをひとつずつたのんだ。日光の直射を受ければすこし暑いけどまだ我慢できなくもないとおもったとき、村のひとがテントの日陰に招いてくれた。桜まつりの主催のおじいさんと、観光協会のおじさんがたが談笑しているところにお邪魔することになった。おじさんたちもほうとうを食べていた。ビールも飲んでいた。村政施工から一世紀半の記念式典を今年は盛大にやらねば、とその計画のことを議論していた。

やがてほうとうはどろどろのほうがおれは好き、いももかぼちゃもぜんぶ溶けたみたいな、というのと、いやあおれはそうでもない、というので口角泡を飛ばしていた。二日目の具材が溶けたカレーはうまくないのか、と急所を突かれて、いやおれはカレーは食わない、そもそも。と不思議な断言をしては議論に対抗していた。

この日のほうとうは、お味噌汁から刀削麺みたいなほうとうをすすってたべるさらさらのほうとうだった。かぼちゃはいっしょに煮ないで、くずれていないのを椀にひとつのせてあった。バリエーションはいろいろありそう。もともと隣までうどんを食べにいこうとしていたところ、ここでごはんまで済ませられてラッキーとおもった。

それなりに歩きまわってなるだけおおくまわるための観光をした。御釜池、銚子池、濁池、湧池、中池、鏡池、菖蒲池。池と呼んでいるけどおだやかな泉の気質だ。地下から湧き出る水が砂を巻きあげたり藻をゆらしたりしているのがみえる。澄んだ水は深くなるほどに太陽の光から取り出したうつくしい青をみせている。その無垢の青のなかで老賢者みたいなニジマスが悠然とたたずんでいる。水のうえでは世界の観光客がどんちゃん騒ぎをしているのも水のなかにはなんにも聞こえないみたいだ。超越主義のさかなたちに励まされる。

食事を済ませて観光もして、とするうちにどんどん暑くなった。アイスクリームでもあればひとつ食べようかというところ、店頭でながめてもいまいち食指が動かなかった。駐車場までもどったところのおみやげやさんでアイスコーヒーをたのんだ。日本語と英語のどちらもいちばん得意な言語でない様子のおかあさんが接客して、こちらまで日本語と英語の垣根が疑わしくなってすこしだけ混ぜては即興して新鮮におもった。つめたいコーヒーをごくごく飲んだ。

忍野村を出るのにアムール峠なんていう道をつかった。おしゃれな名前はなにかしらとおもえば、昔ここにラブホテルがあって、それにあやかって峠が名付けられたらしい。地図アプリがそれをおぼえてそう呼んでいるらしい。おもしろい。

富士吉田のバイパスをとおって、河口湖は湖畔まで近づかずに素通りする。富士河口湖から笛吹にわたっていくのに御坂峠という道があって、そこを走ってみようと計画していたとおりにトンネル前の入口を折れてみる。折れて坂をすこしのぼると立て看板があってこういっている。峠をのぼることは許すが、渡り切るためのトンネルは冬季の封鎖が続いている。てっぺんにある「天下茶屋」は営業しているから、そこまで登って引き返すのでよければ登ってください。とりあえず登ってみた。坂道でUターンするのがおっかなかったというのもある。

細すぎず広すぎない峠道で、落ち葉が道の端をおおっていたりしている。ほとんど交通がなければたのしく運動しながら走れるけれど、対向車が行き交っているときにはちょっと怖そうな印象があった。まれにうえからおりてくる乗用車がいた。もしかして案内板が古くなっているだけで、登ってみたら実は開通していたりしないかな、とおもいながらのぼっていって、その「天下茶屋」のところでトンネルが封鎖されているのをみた。そうはいってもそこから見晴らす景色は格別だった。のぼってきたぞ、という達成感をぜいたくに味わった。峠をくだるのはのぼりよりも妙に短く感じた。

もときた入口のところで、信号のない交差点を反対車線に合流したかった。長いトンネルの出口になっているところはスピードに乗った交通量が多いだけでなく見通しも悪くて、しばらくまんじりと左右をながめては待った。トンネルからでてきたいくつかのバイクライダーがこちらに向かって手を振って、まあ気長にいきましょうや、という励ましにみえた。走行中にすれ違いざまに挨拶をするのとは違って、表情までわりあい読み取れる挨拶だった。おじさんたちがニコニコと手を振ってくれるのをみて、先輩方の激励におもったというわけ。それで車の切れ目をのんきに待って気長に合流して新御坂トンネルにはいっていく。

トンネルから出るところでちいさい渋滞になっているのを越えたらだらだら坂をゆっくり下っていく。一キロおきくらいに緊急退避所のおおきな坂が路肩にもうけてあるのをみた。ブレーキ故障車のための設備で、教則本かなにかでみたやつだなあとおもってとおりすぎる。ひとつ前の乗用車がブレーキランプをせかせかと点滅させているのをみながらおりていったけれども、それくらいせわしなくともブレーキは壊れない。

花鳥山(はなとりやま)に見晴らしのいい展望台がある。そこに向かって地図アプリにナビゲーションしてもらってずんずんおりていくうちに、左手に桃の木がひろく咲いて床をピンクに染めているのがみえる。すごい規模だ。それをこそながめたいとおもってやって来たのを、到着するずっと前からいきなり壮大なスケールでみせられて、しかも展望台への道はその花畑のまんなかを横切って快走させるすばらしい道だ。

展望台につけばそこからみおろす眺めは、前景に桃の絨毯がある。後景には南アルプスがある。そして盆地にできた街の景色があいだを埋めている。桃の花は満開を過ぎたあたりにして、ひとつひとつの花というより、ひろい桃の畑をとおくからみたときに点描された暖色が目のなかで混ざってイメージをつくるのに長けていた。

リニアモーターカーの試験線路が展望台の目の前に通っていて、あずま屋にディスプレイが設置してあって、いまどこを試験走行していますという速報を表示している。中高年のオーディエンスがあずま屋の屋根のしたでまんじりと一点を見つめる景色は、テレビがまだ贅沢品だったころの電気屋さんの店頭でスポーツ中継に息を呑んでいる景色を連想させた。しばらくリニアは来ないとおもって離れていたら、誰からともなく「あ、きてる!」と気がついた。ゴオンと起動音をさせながら短い車体のリニアが背後のトンネルからぬるりと姿をみせたのにあわせて、観衆は年不相応の俊敏さで日差しの下に我先に飛び出して、おもいおもいにパシャパシャ写していた。ひとしきり写し終えたらちりぢりに解散した。花より団子のめずらしいバリエーションをみた話。桃の花咲く山の景色にリニアはそぐわない気もしたけれど、形のある技術はいまだ年配者までを夢中にさせているようだ。

計画のなかではこのあとフルーツラインを走破して、その道中でなにか旬のフルーツでもおみやげにして帰るつもりでいた。でももう二時。これから中央道で帰るのに二時間弱だけれど、だんだん行楽帰りの渋滞ができる時間に差し掛かってきているから、足止めされる前にさっさと帰ったほうがいいな。そもそもかなり疲れちゃっていて、もう帰ってはやく休みたいと身体もいっているみたい。うん、ガソリンを入れて帰ろう。高速道路でおやつでも食べてきょうはおしまいにしよう。

一宮御坂インターチェンジから高速道路で帰る。釈迦堂パーキングエリアは休憩というより好奇心で寄ってみて、そこで信玄餅ののったソフトクリームをたべた。忍野であきらめたぶんのソフトクリーム予算をここで使ったというわけ。あとはまっすぐ高井戸に向かって走っていく。だんだんと交通量が増えていくのを眺めて、かなりスローダウンする区間もあったけど下道を走るのに比べたらまだまだ高速、と言い聞かせながら、ノンストップで帰った。

十時間のツーリングで270キロくらい走ったようだ。一息ついたらじわじわ疲れがでた。ずいぶん集中したなという手ごたえと、トラブルから自由なまま帰れたぞと安堵する気分をしまって、泥みたいに眠った。