ふたつのテーマがよりおおく外に出かけさせるようにぼくを仕向けている。ひとつは冬と夏にはさまれた気持ちよくはかない季節になるだけたくさんバイクを走らせてやること。もうひとつは東京を去る前に東京からいける景勝地を踏んで記憶すること。

北から「箱根スカイライン」「芦ノ湖スカイライン」「伊豆スカイライン」と命名規則をわけもつ3つの有料道路があって、終端は伊豆半島の中腹、天城高原まで伸びている。そのままいっそ半島の先端に触って帰ってこようといって、日曜日と月曜日の二日で伊豆半島を縦断して往復したはなしをする。

伊豆にいこうと休暇をいれたのが一週間前。宿の予約をしたのは一日前。宿を決めてから宿までの経路と食事処の目処をたてた。それもすべて一日前。これは無計画を自慢するためにわざわざいうのではなくて、身軽な旅行をすぐに計画してすぐに実行できることをおぼえておこうとするもの。

天気予報をよくみて日をえらぶことがなによりおおきい下準備だから、安全重視の計画をするなら一週間前にしか計画はたてはじめられないということがあるかもしれない。月曜日は大型連休のあいまの一日だけの平日で、そうであればもしかして連休まっただなかよりも渋滞がましかもしれないとも見込んだ。

スカイラインをはしごするのがお題目だから、スカイラインに乗るまではきびきびと動く。浜松にいったのとおなじように東名高速をつかっていく。御殿場でさっとおりたら芦ノ湖の西岸の丘のうえにまっすぐのぼっていくのだ。

この日は五時に起きて、渋滞ができあがるまえに東京から抜け出すのを最初のタスクにする。町田とか海老名のあたりにいつも詰まっている印象がある。浜松行きのときは六時に起きて七時に出るのではすでに遅かった。それで一時間はやく出て、目論見通りに足止めはされずに東京をぬけだした。足止めする渋滞がなかったとはいっても、十分に混んではあった。

五時半、日の出はもうとっくに過ぎて朝日がまぶしいとさえ思わない時間。バイクが湿っているのをみた。朝露がおりていたようだ。地図アプリをつかうと、環八東名入口まで下道をいっていいという。家から世田谷までの道がノンストップで快走できる時間のようだ。路上に車がほとんどいないのに気分をよくした。始発電車で帰るのではなく出かけるのが気分をよくするのと似ているんだとおもう。世田谷までいっきにおりて、首都高の狭いゲートではなく東名のひろびろしたランプに突入するのがすがすがしい旅行のはじまりになる。

浜松にいったのが五週間前。それがはじめての東名高速でもあった。それからこっちで奥多摩周遊道路を往復した。道志みちも踏破した。そうおもえば路上の実習に余念のない春となる。肩の力が抜けきっているというほど油断はないはずながら、御殿場までの一本道をあぶなげもなく向かっていく。

海老名サービスエリアでいちど休もうと駐車場にはいっていったら、とんでもない数の大型バイクが群れをなしていて、駐輪場をはみでて駐車場の一角をいくつかの軍団が占領している具合だった。みんな朝がはやくてすごい。不用意な威圧感をいくらか演出してしまっているのにはギョッとするけれども。コンビニでいなり寿司の3つ入りのやつをたべる。名物のメロンパン屋さんはまだ6時台なのにもう営業をしていて、熱心なこととおもう。

大井のところで「絶景まであと79秒!」と広告しているのも、浜松にいくときにはじめてみたのとおなじだ。はじめてみたときに新鮮におもったほどの影響力はなくしているとおもったけれども、この前とおなじように心のなかで時間をはかりながら丘をこえたところにのっとあらわれる富士山はそれでも立派そのものだった。一面に雪をかぶったお姿というのではなくて、彫刻刀で削って版画に写したみたいに藍色の地肌が雪化粧のあいまからちらちらとのぞいていることのあたらしい春の美しさが印象を変えていただろう。あいにく運転しながら写真を撮ることはできないもので、心のなかの像だけを比較して適当なことを申すよりないけれども、イメージを呼び寄せておもいだそうとするのも豊かな心の動きであること。

御殿場で降りたのが八時前。御殿場インターと店名に書いてあるセブンイレブンでやすむ。その隣のガソリンスタンドで給油してスカイラインに備える。コーヒーをいっぱいと、プロテインバーをひとつ。すこしなめるのにちょうどいいチョコレートの小袋かなにかがほしいとおもって棚をながめて、百円そこらで買えるだろうとおもったものがどれもこれもその二倍弱の値付けになっているのにおどろいた。何年か前だったらプロテインバーのほうに高級感があったような気がするけど、いまはこのふたつがおなじグレードになっている。もっとも、単にプロテインバーの値上げがこれから起こるだけというはなしにもみえる。

御殿場から箱根スカイラインの入口に向かう道路は細い峠道になっていて、そこを抜ければ料金所がある。料金所の向こうはよく整備がいきとどいているけれど、その手前の峠はいろいろ対照的だ。見通しの悪いところがいくつかあったり、路傍に落ち葉がたまっていてあぶなげであったりする。対向車がほとんどなかったのは単にはやい時間にきたからというだけかもしれなくて、そうでなければちょっと緊張感のある峠ではあった。

料金所のゲートの手前にロッジがあるのに飛び込んでひとやすみして、それから箱根スカイラインにとびこんでいく。利用料の徴収はおじさんにコインを手渡しするシステムだ。三五〇円をわたして通してもらおう。

スカイラインというだけあって、道は高原を突っ切っている。さえぎるもののない高さをさらにのぼっていく道路で、お日さまがこっちにおいでと導いているのに無我夢中で突進するようなコースだ。ワインディングの気持ちよさは透明に突き抜ける。林のなかの峠を抜けるのがいなたい低音のグルーブ感であるとしたら、スカイラインはバッハのきらきらしたピアノみたいに清冽だ。

走っていてたのしいのはもっともながら、なんだか夢中になっているうちにあっというまに終わってしまいそうなのも惜しくて、展望台駐車場があるたびにいちいち止まっては高原からの景色をみおろした。あらゆる方角から豊かな野鳥の歌がきこえる。うぐいすの声ひとつとっても、ひとつの声がおわるよりさきにもうひとつの声がおいかけて、前から後から途切れもしないで歌い続けている。東をのぞむと芦ノ湖がみえる。

雲ひとつない高原の風がすこし寒いのも気持ちいい。芦ノ湖をみおろせばお日さまの光の白さがよくわかる。目と湖面のあいだにいっぱいの光があって、直接に反射して光らせているのとは別に、いちめんの空気を光が白くして、近い景色を遠くみせたり遠い景色を近く見せたりして、夢みたいにくらくらさせる。反対側に富士山をみると、駿河湾につながっていく裾のところが霞にとろけてうやむやになって消えている。裾から視線を走らせると、富士はこの世でないあいまいなところからたったいま生まれて天をついてかけあがったみたいだ。それでいて富士そのものにはいくら遠くてもぼんやりしたところのない絶対不動の威厳がある。いやあ、すごい景色だ。

箱根スカイラインは芦ノ湖スカイラインにまっすぐ接続している。県境をゆれながら通って、箱根峠のところで終着になる。あっというまだ。出口の料金所でもういちどおじさんにコインを手渡ししておしまいになる。料金所を出たところに停めてもういちど振り返ると、昭和からなにも変わっていないような奥ゆかしいゲートの向こう側に富士の頭がぴょこんとはみ出ていた。

伊豆スカイラインまでしばらくのワインディングは一般道になる。箱根ターンパイクとか湯河原パークウェイに分岐する枝を横目に通り過ぎていこう。前にも後ろにもバイクからスポーツカーからみんなうずうずと連なっているが、先頭には走り屋でない普通の車がつかえているから、みんなでゆっくりと列をなして走っているようだ。十国峠の「森の駅」と書いてある休憩施設にいちど停める。展望台でこつこつ休憩してきたけれど、お手洗いを使えるところはここがはじめてとなるため。

伊豆スカイライン。料金所に向かう右カーブの手前のところで「二輪車はこちら」と手持ち看板を掲げたおじさんがおおきい身振りで誘導して、停車場にとおされる。いくつかのバイクが駐輪してあるのをみて、もしかしてトラブルがあって通してもらえないのかしらとすこし想像したあと、それがバイクライダー向けに料金所を分離する措置であることがわかる。ハンドルから手を離して小銭入れを取り出すのにもたつくから、いっそ停めさせて渋滞を作らせないということのようだ。ありがたいというより、どうしてETCカードをここではかたくなに使わせてもらえないんだろうと奇怪さはあった。小銭を二七〇円手渡して、亀石までの切符をもらう。

料金所を抜けてすぐさま、先行していたシルバーのロードスターが窓から手をみせて、前にいってくれと道をゆずられる。まだ加速もしきらないときに、たぶんこちらが走り屋のひとりとおもわれたよう。譲られて拒むこともないわけで、たぶんぼくよりはあなたのほうが走り屋っぽいですけどねとおもいながらひとまずお礼の合図をしながら追い抜いて走り出すと、やっぱりかれを突き放すほどの技量はぼくにはなくて、背後にくっついてくる姿がサイドミラーに映り込んでみえるたびに気になってしまう。かえってこちらが邪魔になっていないかしら。そのとき展望台駐車場の表示があらわれて飛び込んでよける。

滝知山という展望台だ。天気は相変わらず突き抜けた快晴で見晴らしも気持ちがいい。しかしもうお嬢さんという年でもない婦人がソーシャルメディアのための撮影に余念がなかったり、あまり仲のよくなさそうな白人のカップルがいて嫌な空気をただよわせていて、無邪気にいい気分になりはしなかった。出ようとしたときに、ぼくが停めたより奥にバイク置き場が用意されているのを見つけた。一般スペースに停めてしまっていた。その一般スペースにはすこし傾斜がついていて、後ろ向きに引き回すのにいくらか難儀しながら出した。

亀石峠まではあっというまで、伊豆スカイラインもあっというまに終わった。だんだんにおなかも空きはじめていて、惜しむ気持ちは箱根と芦ノ湖ほどにはなく去っていく。入口でもらった領収書を出口の料金所でみせて通してもらう。帰りも乗りますか? と料金所のおじさんにたずねられる。どうやら出たとたんに入りなおして往復して帰っていくひとがおおいということのよう。

相模湾に向かって山下りをする。ひたすら下るワインディングをくねくね走るうちに、空気がどんどん暑くなっていくのを感じて、早朝に都心をはなれてからずっと山のうえにいたことに気付かされた。くねくね道を狡猾に下っていくのは、清らかなスカイラインを駆け上がるのとはちがって、これはこれでやっぱりおもしろい。やがて海がみえる。

ひだりに海をみて潮のにおいをかぎながら宇佐美の海岸に沿って伊東に向かって進もう。すぐそこにある「ふしみ食堂」という地域の食事処でさかなの定食をいただくというのを計画にいれていたけれど、お昼の営業時間よりもだいぶはやくについてしまったからいちど通り過ぎる。

十一時。伊東の道の駅にはいる。マリンタウンという愛称があって、かなりおおきい施設みたいだ。駐車場の整理をするかかりのひとが何人もはたらいておられるくらい、ずいぶんとにぎわっていた。お腹が空いてしまって、とにかく糖分がほしいといって、コーヒー味のソフトクリームをいただいた。

テラスにハトの親分と子分みたいな組がいた。親分のほうは襟巻きをむくりとおおきくしてブイブイいわせていた。子分は日向からおいやられた。ちょっと気の毒な子分にコーンのかけらをすこしお裾分けした。親分もあとからやってきて待つそぶりをはじめたから、こちらの足に近いところに落としてあげて、さあ親分にこれが拾えるかなと試したら、自慢の襟巻きをちいさくしておそるおそるついばんで隠れた。子分のみてる前でちょっといじわるしちゃったかな。

まだ食べたりないとおもって、これから「ふしみ食堂」にもどればちょうどお昼の営業がはじまる時間にはなっていそうだけれど、バイクに乗って降りてを繰り返すのも大儀におもってしまって、そのまま道の駅でランチもとることにした。海鮮食堂は金目鯛の棒寿司を売りにしているみたいだ。でも棒寿司よりはお刺身の気分といってお刺身定食にする。ねっとり食べ応えのあるお刺身に、ちいさな煮付けもついてある。鯛こそ自慢のメニューというようで、ありがたくいただきました。

防波堤が遊歩道を兼ねていて海のうえを自由に歩かせてくれるようになっているのを歩けば、いっぱいになったお腹のふくれがすこしだけ楽になるのといっしょに、お日さまがジリジリと照ってずいぶんな暑さにもなる。陸のほうからは、大道芸人が鳴らしている四つ打ちのバスドラムの音が虚ろに反響してきて、なんか遠い世界の騒ぎみたいに聞こえる。大型のアメリカンバイクの集団が駐車場から群をなして出ていくときにバルルンバルルンと空ぶかししているのもおなじように聞こえる。

道の駅を出たらもういちど伊豆半島の南端を目指そう。まずは天城を目指してくだっていく。ジャケットから防寒具をぜんぶとりはずしてあげよう。沿岸から内陸にもどるのに、地図で最短距離にみえるルートは事故かなにかで通れなくなったらしい。地図アプリが一瞬だけなにかのアラートを出したようにみえて、なんといったのかはわからなくなってしまった。それで宇佐美、亀石と来た道をとおりながら、伊豆市を抜けていってみることに、です。

県道を気持ちよく走っていくうちに左折する道をひとつ通り過ぎてしまっていた。では次にはここを曲がりなさいと地図のいう道は集落と集落をつなぐ見晴らしのいい細い道だった。こういう道ならふるさとでよくみたもの、友達の家にいくために自転車でとおったものだと懐かしくおもいながら過ぎた。市街からもほど近いから、住んで不便もないように印象づいた。大野という地区であるのを、公民館の看板でおぼえた。

修善寺駅前商店街という表示がでてきて、ここは明日に来ようとおもったところに迷いこんでしまったかしらとおもって、ひとめくらい駅をおがもうとするもうまく地理をつかめないうちに通り過ぎてしまったようだ。ナビの道案内に沿っていけば、修善寺天城湯ヶ島線、それから狩野川という川をわたって国道414号につながれば、天城に向かう道にはいったよう。

どこかに休憩地点のひとつくらいはあるでしょうとおもってトコトコと山道を走っていくと、いかにも観光地めいた駐車場が左右にひろがってみえて、そこがなんの施設であるのかもわからずに飛び込んで停めた。

浄蓮の滝といって、おもわず立派な滝だった。滝はそこそこ長い階段を降りた先にあって秘密の場所みたいになってあった。大瀑布というほどのサイズはないけれども、十分な高さから行儀よくきれいに流れて、荒々しいというよりも端正な滝でした。背後の流れでは川魚を釣らせるアトラクションがにぎわっていて、立派そうな鱒を網にかかえてほくほくと帰る若いひとたちの姿もみえた。その反対ではわさび園があって、健康でおおきな葉っぱが一面に元気よく茂っていた。こちらはわれわれの自社農園ですといって、わさび園そのものを自慢気にみせたくなるのもわかるし、はっきりそれに値するすてきな畑だった。階段をのぼる道で身体が火照ったところへ、甘いサイダーとエスプレッソを組み合わせためずらしげなつめたい飲み物をいただいた。

ふたたび南へ向かうために滝の駐車場を出ていく。前にはホンダのフィットがいて、のろのろと走っていた。豊橋のナンバーで、おなじ観光客どうしゆっくりいきましょうか、とこちらものんびり構えていたのだけれど、どうにも横断歩道で止まらない、黄信号に加速もせずのんびり突入する、という具合に、なかなか危なっかしい運転をなさっているのがちょっとおそろしかった。しかしこのフィットはこちらとおなじ目的地をもっているようすで、しばらく目の前でそわそわさせられることになる。

次の目的地というのは下田の爪木崎という岬。そこにある灯台をみにいくことにした。これはもともと予定していたというよりも、宿にはやめにつきそうなのを見越して、すこし下田に寄り道をする時間もありそうだというのをアドリブで構えた行き先になる。

ほんとうにこんなところにひとが来るのかしらとすこし不安がらせる道を抜けた先にちいさな駐車場があらわれた。二百円を払って停めさせてもらったあと、さっそく海岸と丘がならびたって、丘のさきに真っ白な灯台がのぞくすばらしい景色をおがんだ。遠くにみえるその灯台までゆっくり歩かせてくれる道も整えてある。あんまりたくさんのひともいなくて穴場におもわれる。翡翠色の海でこどもたちが遊んでいる。

水仙の群生地と岩壁に書いてあるところを通り過ぎて、こっちで道はあっているのかしらとそわそわしたところで、死角にあった階段がみえるようになる。水仙はもう過ぎてしまっていたけれど、すこし前ならさぞ立派だったろうなと古戦場をみる気分で丘をながめた。階段をのぼるときれいな廊下があって灯台がその先で静かに立っている。そこが行き止まりになっていて、ちいさな灯台は海からも陸からもかわいらしい番兵みたいになっている。海上保安官の広告をグラフィティでやっているのがちょっぴり野暮になっていた。

来た階段をおりるかわりに反対側に伸びる道をいくとき、足元の茂みに影がうごいた。ヘビがいた。アオダイショウかな? 顔をだしていたような気がするが、ぼくが通りがかって隠れてしまったみたいだ。ちょっと離れてかがんで茂みをみつめていたらもういちど顔を出して、まんまるの黒目で様子をうかがっている。どうしたかなと待っていると、おろおろと這い出た。横断して反対の茂みにもぐっていった。彼なりに急いでいたみたいで頭を一生懸命ゆらしながら長いからだを引きずって通り過ぎるのをみるのはかわいらしかった。

岬の散歩にもどると、海にはみでた岩場のあたりは柱状節理をみせものにしていて、幾何学模様にみえる岩のならびがマグマの活動のあらわれであると説明している。上から模様をながめたあとで、海面の高さまで降りて岩場に立って、柱状の壁がそりたっているようなところに足をおいて観察することも許されている。ライディングブーツでやってくる場所ではないわなとおもいながら、岩場をごつごついわせながら歩いて取り付いてしばらくぼんやりとながめる。

さらに奥へと道がのびているようにみえて、足も痛いしもう来た道を戻って帰ったほうがましではないかしらとおもいながら、この際もうすこしだけといくと、もうすこし印象の弱い岩場があるだけだった。死角になっているところに隠し通路のような小道があって、両側から背の高い野花が茂って、ほとんど道をふさいでいる。腰の高さではふさがっているが、足元をのぞくと通り道はたしかにあるようにみえる。つまり、通り道ではあるけれどほとんど通ることのない道ということのよう。萌黄色の草と薄紫のちいさな野花が丘をおおって人気のないところはいかにも野生の元気がある。短パンだったら歩けなかっただろうけど、いまはバイクの分厚い装備で身体をおおっている。きっといけようとおもいきって両手をもちあげて通り過ぎると、腰からしたにいくらか花粉がまとわりつくくらいで済んだ。

駐車場にもどったら、ドゥカティと BMW でそれぞれきている同い年かすこし若いくらいの二人組がいて、なにやら BMW のエンジンがかからなくなっちゃったみたいでまごまごしていた。あんまり助けになることはできなかった。知識も経験もぼくのほうこそ不十分とおもって、アドバイスをしてあげたくてもなにもできないのが無力とおもった。とはいえあとからおもいだすに、ギアがニュートラルにはいっているのを確かめることくらいはヒントを出せたかもしれない。知識も経験もないのは隠してもしかたのないことなのだから、未熟なればこそ偉ぶらないでもっとうまく助けてあげられたらなとあとから考えた。お友だちといっしょに来ていて助け合っているからには、最後にはうまくいっただろうと願うけど、どうだったかな。

下田の市内にはペリーロードという観光地があって、それはペリーが手始めに下田と函館を開港させたのにあやかっているよう。公園のある山をのぼっていくと、まずカーター大統領のモニュメントがある。1979年と刻印されていて、どうやらそのころ下田にやってきたよう1。その先に進んでいくと、こんどはマッカーサーがペリーにあやかって自分のことを「平和の使節」になぞらえたのを記録してある。日米関係はいつもたいへん、たいへんじゃなかったことのほうがよく考えれば少なそう。いつも振り回されてきたようで、それなりにしたたかにやり過ごしてもいたようだ。計算高くそうしたのではなくて、摩擦を避けることだけを第一にやってきたらなんかなんとかなった、みたいな情けないところにこそ見るべきものはあるのかしら。むかしのひとは惨めなりともそれなりに立派にやっていたなとおもう。

ペリーロードは駐車場がよかった。駐車場の係のひとがよかった。元レスラーか元ラッパーかというような、恰幅がよくてスキンヘッドのお兄さんがいて、バイクの料金が書いていないのをみてたずねたら、いかにも引退した格闘家みたいに余裕のあるおおきな声で、ただでいーよ、といってよこした。地声がおおきいのと気持ちよく伸びる声がおおらかで、ありがたくおもって停めさせてもらった。ひとしきりみて出るときにお互い手を振ってあいさつをするのも気持ちよかった。

これでこの日の観光地巡りはおわり。下田から下賀茂にはしって、旅館の駐車場にはいる。くくりつけたバッグをおろして、ヘルメットとバッグを両手にそれぞれ持って旅館のドアをくぐる。宿の名前は「石花海別邸かぎや」という。

着くなり番頭さんがバイクに興味をもって車種やらを尋ねてくれるのに応じて、宿泊者名簿のカードに年齢を書いたら、おやいぬ年ですか! とおどろいてよこす。ぼくはとり年なのだけれど、超高速で年齢から干支を割り出せるのがすごいですねときくと、娘さんがぼくとおなじ年齢ということのようだ。いまではお正月にさえ干支をほとんど意識しないで暮らしているけれども、ふと干支の話を取り出せるのは粋なやりかたと自然に感心させられた。

お部屋は十二畳。しばらくのんびりしながらあんこのはいった茶菓子を食べて、なんとなくテレビをつけて、笑点のメンバーが代替わりしているのをぼんやりみた。分厚いプロテクターは脱ごう。それで近くにごはんを食べにもういちど出かけることにする。歩いていける距離にはないから、もうひと走りする。

そうおもって出ると、たかだか2キロばかり先にいくためだけにエンジンをかけるのも野暮な気もしてごはん処とは反対の方向についハンドルを切った。伊豆の南端、石廊崎まで十分ほどとある。明日の朝にまた来ようという心づもりではいるけれど、夕暮れ時にいちど走っても減ることはあるまいと一周してみることにする。観光施設はもう閉まっているようだから、通るだけ通ってみよう。

山道になっているのをサクサクと走っていったら、ある曲がり角で対向車線からパトカーがぬっとあらわれた。常軌を逸したスピードで飛ばしていたわけでもなければおびえることもないのだけど、おもってもいないところで出くわせばつい萎縮する。そういうことがあった。

だんだん薄暮れになるとき海辺の道は人気も交通量もまったくなくて、まるで未明にやってきたようにのどかな景色のなかをのびのび走った。海と道路がおなじ高さで隣接していてさえぎるもののない様子は一年前に海士町でみた景色にかさなった。一周して20キロばかりの道をあっというまに走りきって、きょうはもうこれで満足となる。おなじ長さを走るのに都心では1時間かかってなお満足いくはずもないこととつい比べてしまった。

夕飯は「おか田」というお店にする。これはさっきの番頭さんが、外で食べるならここがうまいとおすすめしてくれたところ。そのお店で金目鯛の煮付け定食をごちそうになる。頭を半分とおおきな切り身がふたつ、甘じょっぱい煮付けにしてあって、べらぼうにおいしい。濃い味付けが魚をのみこんでしまうこともなくて、かえって部位によって風味がまったく違って飽きもしない。濃い味のしょっぱい味付けが基礎の味を引き立てるような逆説が不思議だ。葉山椒がソースによくあっている。昆布とカニのお味噌汁もおいしい。付け合せには、生姜の甘煮、海苔の佃煮、きんぴらごぼう。それから金目鯛の鱗を熱い油に通してパリパリのふりかけみたいにしたもの。すべておいしかった。ごちそうさまでした。

宿にもういちどはいる。温泉にはいる。しばらく貸し切り状態で露天風呂にずっと浸かって、もう満足と出たところで立て続けに他のお客さんがあらわれはじめた。ちょうどいい時間にはいれたよう。

つめたい水をたくさんのんだ。いくら飲んでもかわいた感じがするのは、煮付けがしょっぱかったからかしら。部屋に備えてあったポットを空にしてしまった。せっかくだしといって背の低いエビスの缶ビールをひとつ自販機で買ってきて、ちょっとだけ飲んで、飲みきることはできなかった。

おもいだせば五時から休まず走り回っていたわけで、疲れていないはずもない。気がついたら電気をつけたまま眠ってしまっていた。夜中に起きて、トイレのついでに電気を消してきちんと寝直した。

  1. カーターの下田訪問のことはあとからこのウェブサイトに教わって、下田中学校でタウンミーティングをした中継映像が動画サイトにアーカイブされているのをみられるのも知った: https://shimoda.manokun.com/2022/01/18/カーター大統領の下田訪問/