真っ赤な燃える星が地球にぶつかろうとしてせまってくる。空の赤い死が肉眼でみえている。もうどうにもならない、死ぬだけだ、みんながパニックを起こしている。ぼくはたまり場に置き忘れたノートのことをおもいだしている。ひとつずつ扉をあけるとむかしの友だちがあらわれる。夜の空気は霧で湿っている。逃げないといけない。でもどこへ?
という夢をみた。悪夢のようで奇妙におちついた夢。6時だ。起きよう。
この日は下賀茂から東京へ帰る。計画した道程はこう。宿で朝ごはんをごちそうになって、石廊崎をみにいく。西伊豆をまわって修善寺まで走る。修善寺では漱石記念館をみる。伊豆スカイラインで箱根まで戻って、ターンパイク箱根で小田原にのぼる。そして高速道路で東京へもどる。
この計画のほとんどを無効にしないといけない。なぜなら雨がやってくるから! 降らないといっていた予報がいつの間にか撤回されているのは悔しいけれど、不意打ちのゲリラ豪雨でないならまだましなのかもしれない。
午後までは雲がなんとか耐えるけれど、夕方には降るのを覚悟したほうがよさそうだ。雨のなかの渋滞に捕まって立ち往生するのは勘弁願いたい。それで、ぜんぶを回るのはあきらめて、夕方はやくまでに帰ることをこの日の第一の目標にしよう。いちばんいきたいのは石廊崎よりもターンパイクよりも修善寺の漱石記念館だから、そこに絞っていこう。
朝ごはんは宿で。その前にお風呂にざぶんとはいって朝の露天風呂で身体をのばす。何日か前に寝違えたみたいで痛くしていた肩の違和感はぽろりととれた。ゆうべも浸かったお湯の効能かもしれない。気のせいかもしれない。湯船のふちからアオダイショウが落ちてきているようにみえてぎょっとすると、お湯の状態をみる機械のコードかなにかだったみたい。メガネをはずしているといろんなものがあいまいになる。
ごはんは旅館の朝ごはん。おおきなおかずにはドジョウの代わりにシラウオの柳川鍋、鯵の干物、まぐろの山かけ。山芋が得意でなくて、尋ねられたら遠慮したかもしれないところ、出してもらったものはちゃんと食べましょう。ちいさなおかずは、生野菜のサラダにゆずのノンオイルドレッシング、カニの味噌汁、アサリの甘煮、海苔の佃煮、梅干し、たくあん、板わさ。おひつのごはんは茶碗に三杯分くらい。
八つくらいの卓があるときにぼくは二組目のゲストで、ゆっくり面倒をみてもらった。がやがやしていないのがよかった。ゆっくり食べ終わるくらいのころに次の二組がはいってきた。裏では忙しく立ち回っていたのかもしれないけど、すくなくとも忙しい様子がこちらに見えないようになさっているのはありがたいことだった。ノラ・ジョーンズが歌っていそうなアレンジでシンディ・ローパーが流れているあいだ、不意にぐっと引き込まれてしまった。
苦手な山かけは、いやな香りもいやな舌触りもなくて、口にいれて嫌な感覚はなかったよう。そうはいってもおそるおそる持ち運んでずいぶん緊張していたようだったから、そもそもどんな味がするのかよくわからなくもなっていた。すごく前向きな感想はやっぱり持てなかったけど、給食で出てきたせいで大嫌いになってしまったあのひどく見た目の悪いとろろよりはずっとまともで、よく粘ってちゃんと食べられました。
荷造りをする。布団をたたむ。浴衣を片付ける。分厚い装備を身に着けてチェックアウトです。支払いを済ませたあとコーヒーのサービスをひとついただく。
ゆうべチェックインのときに面倒をみてもらった番頭さんがみえた。世間話。農家の仕事を掛け持ちしておられる。午後はやすみだから田んぼの畔塗りをしようとしていた。しばらく晴れが続いていい感じに乾いてきたとおもったら、この日は午後から雨の予報でがっくり。
自分の食べるものは自分で作れるようにしておくのがいいですよ、とおそわる。ひとりが一枚の田んぼをもって面倒をみるのが理想的。足りない作物は外国から入れればいい、それか外国人を呼んで作らせればいい、そんな考えかたはだめですよ! 口をやしなってもらえるのを誰かに頼っておいて、自分は都会でサービス業とか、アイティーの仕事とか。そんなやりかたはいつまでもつのかな。
井戸を掘る。山にはいって木を切る。それができればいいじゃないですか。水と木があれば、文明が終わっても風呂をわかせるじゃないですか! そうしたら東京電力も東京ガスもいらないですな。
そりゃ、農家で悠々自適の老後とはなかなかいきませんな。まあ、ここの隣のひとはメロン栽培一本で、ひとつ五千円のメロン作ってますけども。でもぼくがこの年になっておもうのはね、子どもたち孫たちがまともなごはんを食べていかれますようにっていうだけですよ。
あきたこまちは、あれ、品種改良するのに放射線をあててますでしょう。孫に食べさせられるとはちょっとおもえないです。ぼくが食べるならいいんですよ? でも長い目でみたらね、あきたこまちの籾を手に入れましてね。すこしだけなんですけど、毎年ちょっとだけ作って、籾を持ち越してるんですわ。一年しかもたないですけどね。毎年こつこつ作ってやらないと残せないんですわ。
このようなはなしをおもわず聞かせてもらった。ぜんぶその通りですねと聞いていた。英語ができて、プログラミングができて、それでいったいなんになるんだろうと情けなくおもわずにいられない心根を突くことをおっしゃった。
もともとは三島で観光農園をやっておられたらしい。番頭さんは無農薬をやりたかった。三島でそれをやろうとして、バッシングにあってしまって、南伊豆にきたら三島よりも自由がきいていい感じ。そういわれてみるとここはいい町とおもった。海がある、山がある、温泉もある、電車はこない。ないものはないことをそのまま受け取ることのできるひとはできる。ひとが正しいといったことはいまいち信じられないこともある。自分でたしかめたことはいつでも信じられる。
ひとりが一枚の田んぼを作る。自給自足する。これはいいなとおもった。みんながそれをやって日本が変わることはたぶんないでしょう。でもぼくひとりがそれをやることならぎりぎりできるのかな。どうだろう。すぐにはできないけど、アイデアはとっておこうとするものです。
番頭さんは最後までよくしてくれた。別れ際、なんでも教えますから、困ったら連絡ください、といって名刺をくださった。ぼくのバイクにもいろいろ興味をもってきいてくれた。隠れた魅力のおおきなひとで、宿はもとよりすばらしかったけれども、チェックアウトのあとの時間になにより豊かな余韻。
九時過ぎ。宿を出たあと石廊崎に曲がる道をスキップして反対に切っていく。ゆうべ、ごはんの前のおまけに走っておいてよかったな。灯台まではいけなかったけれども、伊豆の先端までぼくはいったぞ、ということにして修善寺までもどっていこう。きのうくだってきた道をのぼっていこう。西伊豆はまたこんどきましょう。ナビは伊豆縦貫道を走るようにというけれど、せっかくなので下をはしって、修善寺につきます。
旧市街なのか、街並みは箱根でみたことのある景色にすこし似ている。すこしだけ山にわけいって、目的地は「虹の郷」です。ここは有料のテーマパークになっていて、そのなかに漱石記念館があるとのこと。修善寺は漱石が大患療養したところとおぼえていて、それにあやかってなにかないかしらとおもって、ちいさい記念館があるのにずっとむかしから興味をひかれていた。そのために「虹の郷」に入場料をだしてはいっていくというのはこの旅行ではじめて知った。
その「虹の郷」は大型連休のあいまでもほどほどのひとの入りで、高齢のかたを含んで家族でこられる様子の組がおおくみえた。現金払いでチケットをお支払いしてゲートをとおると、イギリス村といって中世風の町並みになっている。ビートルズがオルゴール調にかかっている。
どこからいけばいいやらととりあえず歩きはじめて最初についたのは蒸気機関車の博物館だった。蒸気機関の発明と実用化のはなしを読ませて、最後にはミニ蒸気機関車をみせる。模型ではなくてひとを運ぶ機関車だけど、ひとが立てばそれより背がひくい、軽自動車なら二人乗りみたいな高さの機関車。ゲージはたった15インチだけ。おもちゃみたいでいて、遊園地のなかで実用されているらしい。
その15インチの機関車が園内の足に走っているのに乗せてもらった。ディズニーランドでもこんなふうに蒸気機関車に乗せるアトラクションがあったっけ。こんなところで非日常の乗り物に乗せてもらえるなんてねえ。そうおもいながらチケットをみせて、大人がふたりならんでかければ窮屈なくらいのボックス席をひとりで貸してもらって、わくわくと待てばすぐに出発です。ゆっくり走り出して、窓の外のすぐそこで子どもやペットを連れたみなさんがたのしく手を振ってよこすのに見送られる。自転車でもゆっくりめというくらいの速さでトコトコ進んで、ゆっくり曲がったときに前後に長い車両が視界のいちめんをわっと埋めるのをたのしく写真に撮った。ちいさな鉄橋をわたるときに汽笛をピッと鳴らしてゴトゴトと乗りこんでいくのも見応え十分でした。ゆっくりながらあっというまのめずらしい機関車体験です。
着いたのはこんどはカナダ村。山小屋風のたてものが並んでいて、軽食を出すところもあるみたいだけど、どこもやっていない。隣の区画にはおおきいトーテムポールをみせて、その奥にはインディアンの砦といって、ツリーハウスとかそれをつなぐおおきな滑り台とかで子どもを遊ばせるみたい。たのしそうだが、ひとりにつきいまは辞退。
イギリス、カナダ、ときたけれど、国別の公園はだいたいこれでおわったみたい。あとはフラワーパークみたいになっている。バラ園があって、シャクナゲの渡り廊下があって、藤棚をくぐって歩かせるところもある。小腹を満たすのに海の家みたいな手作り感のあるところで、シュガーバターピザなんていう太った子どもが考えたみたいなメニューを食べた。客引きをしていたおじさんは本当はあんまり商売ごとはやりたくないけど、やらないといけないのでがんばっていますという感じを隠せていないのがよかった。クオリティに比べて単価は大高騰におもってしまったから、おじさんもそこに引け目があったのかもしれない。どうなんでしょう。
漱石記念館は日本庭園のゾーンといって、シャクナゲの廊下を抜けた先の池のほとりにあった。漱石が滞在した旅館のたてものをそのまま保存して移築してもってきたらしい。ガラス戸はすこし傾いて、障子がぼさぼさになっている。ひとの家とおもうとお化け屋敷みたいにみえちゃうけれども、おばあちゃんの家とおもえば懐かしいような気もする。旅館の建築を記念にのこすというくらいで、たくさんの見世物は用意されていないのがよかった。ここで漱石が休んだ。野花を挿したのをみて漢詩をよんだ。読書をした。回復した。それだけのことながら、想像を豊かにさせるオーラもたしかにあったようだ。
漱石はやすむために修善寺にやってきたのだったみたい。イギリス留学で神経をすり減らした。帝国大学の教職もきりきりまいになってやめた。朝日新聞に小説をのせるようになって、やっぱりはたらきすぎた。それで療養にきた。せっかくの療養中にひどく喀血した。かわいそうなはなしだけれど、おもわずがんばりすぎてしまうところはよく知った一般労働者の姿に重ならなくもない。この旅館で喀血したのは明治43年。このあとも胃潰瘍を繰り返して、5年後に亡くなる。あっというまのことだ。でも、その晩年の仕事こそ枯れた魅力の底が知れなくていちばん好きだともぼくはおもう。やるせないあきらめはずっとあって、ごまかしごまかしでもちゃんとやりきったひととおもって、ぼんやり正座した。ぼくのほかにはだれもこなかった。目にみえる宝物はなんにもない地味な場所だったけど、これのためにこられてよかったなあと単純におもった。
園内をぐるりと回ってイギリス村に帰ってきたら、蒸気機関車がはしるのをこんどは乗らずに見送ってながめて、牛乳のソフトクリームをなめた。箱入り娘みたいに大事にされたわんちゃんが乗っているベビーカーみたいな乗り物に BMW のロゴが入っているのに野良犬との違いをみた。
あとは帰り道です。ガソリンメーターがなにやら不調で、どう考えても前の給油から 100km も走っていないはずなのに、メーターが切れそうな表示になってしまっている。こんなのははじめてのこと。もしかして停めているあいだにガソリンを盗まれたとか、漏れてしまって底をついてしまっているか、そんなことも考えれば不安になって、いちど給油所に駆け込んだら、やっぱりほとんど減っていなかった。それでいて、満タンにしてもメーターはもどらないし、帰り道でも調子悪そうだった。要点検なのかもしれない。
帰りはまず有料道路に乗って沼津インターまでわたっていく。ターンパイク箱根に乗るときに登録しておくと便利ときいた ETCX という仕組みで自動精算するのだけれど、普通の ETC よりもぎくしゃくだった。すこし便利ですこし不毛な集金システムを修善寺道路と伊豆中央道で一回ずつやっていく。それぞれ一六〇円だけ支払う。
長泉沼津インターから乗って帰っていく。降りはじめるのはもっと先の予報のはずなのに、ぱらぱら、ぽつぽつ、とヘルメットを雨粒がうちはじめていやな感じがする。高速道路のスピードで走れば手元のデバイスは雨をあびずに乾いたままになっているみたいだけど、このままざあざあ振りになったらすぐに停まって立て直すこともできなくて、酷になりそうだ。長いトンネルにはいって安心したり、トンネルの切れ目でまた雨降りがわかって勘弁してくれとおもうのを繰り返したあと、県境のトンネルを越えたら道は乾いて雨もやんだみたいだった。
雨雲が西から攻めてきているからはやく帰らなきゃとおもいながら、修善寺からノンストップで走ってきたので腕がだんだん張りはじめて、海老名でおもわず休憩にする。お手洗いを済ませて缶コーヒーをひとつ。目の前では降っていないけれど、雨雲レーダーはいまかかっている雲が雨雲だといっている。いやだなあ、といって短めの休憩に切り上げてまた帰る。すこしだけ混雑になっているけれど、おおむねちゃんと高速走行して東京インターまで濡れずにもどれた。そのあとの下道はいつもの夕方のことですっかり詰まっていたが、一時間かけて帰ってくる。
濡れずにすみはしたけれども、エンジンがあつあつですぐにカバーをかけられないとするうち、すぐに冷たい雨が夜までざあざあ降った。安全に行って帰るのを助けてもらったのに、ねぎらう暇もなくすぐさまずぶ濡れにしてしまって申し訳がない。
こうして二日で 470km ばかり走って伊豆半島を縦断する冒険をはじめて終わらせた。