竹橋の国立近代美術館にヒルマ・アフ・クリントの展覧会をみにいった。すべての作品がスウェーデンから初来日するということだった。
降霊術はじめオカルトに傾いた神秘主義をみなもとにして二十世紀はじめの抽象表現を独自に開拓した作家だ。メインストリームに合流することのない場所で孤立した創作だけを遺していた。この十年のあいだににわかにスポットライトを浴びるようになったのは、女性であること、周縁国の作家であること、疑似科学を創作に導入したこと、といういくつかのマイノリティ性をになう作家ひとりが美術史を転覆させる潜在力を秘めることに、歴史の語り直しをもとめる時代の要請がぴたりと合致したということのようだ。
モダニズムの抽象画家たちがのちにパイオニアとなった抽象絵画に彼女ははやばやと到達していたという発見はセンセーショナルだが、彼女は抽象絵画を私的にしか発表しなかった。公の仕事は公の仕事。職業画家として風景画を描く。馬の解剖教科書の挿絵の仕事もうける。コンベンショナルな仕事で成り立たせた家計を使って、心の神秘のための仕事をまかなった。
先行する参照点をもたない表現はまったくあたらしいものにもみえるが、落書きのカテゴリに作品をおさめない説得力は教育のたまもののようでもある。この展覧会は彼女のコンベンショナルな顔のほうはちらりとしかみせないけれど、そのちらりとみせた素描断片に職人芸はあらわれている。はっきりと技術があり伝統的なスタイルを手の内におさめている。
伝統的画家にとっての強みである教育と技術は、芸術家にとってより小さいものしか意味しなかった。展覧会のメッセージはこのようにみえた。
目にとってこころよいイメージがおおいのは、安定したモチーフの反復を好んでいるからのようだ。生成することの容易なイメージを好んで取り回したともいえる。幾何学的なアイコンだったり、自然を模した曲線の散りばめかたは生成的だ。これらはパターンとして反復可能で、より多く生成しやすい。
ある地点から先に自己模倣がいくらかあるようにみえるけれど、反復にまったくおもしろみがないというのではない。禁欲的な反復に信念をささげている執着はみえる。計算機による反復可能性のことを考えずにはいられない時代からみて、繰り返しごとに起こるエラーはかえって安らぎを含んでいる。すなわち、計算不能で不完全な手仕事のゆらぎ。
後期の仕事をみせるにつれて、習作と作品の区別があいまいになるのも好ましいとおもった。たとえば、ちいさな正方形を淡色ひとつで塗り絵して、署名をあたえればたちまちそれが作品であること。滑稽な軽さのなかにみえる見過ごせない厳粛さ。
おもうに「これでよし」とする断定的な信念、それが作品をつくる。たいして「これでいいだろうか」はどこまでも習作のままだ。熟練とは「これでよし」を言わしめる経験の層のことだ。その「これでよし」がなんであるのか、達人はあえて説明しないが明晰にあらわすことはたやすいのだろう。
宣伝されたハイライトは「十の最大物」と名付けられた巨大な連作十点で、それぞれが高さ3メートル、幅2メートルのスケールをもっている。規模において最大で、質においても最上位のものであることはたしかなようだ。いかにも芸術家にとって決定的なプロジェクトことだっただろうとおもえば、事実はそうではない。霊的啓示によって短い構想があったあと、二ヶ月ですべての制作を終わらせた。塗りむらがおおいにあることは、芸術的使命よりも実務家的なコマンドが優先したことをうかがわせる。
驚くべきこと。それはコンベンショナルな仕事とは別に私的な創作のエネルギーを絶やさなかったこと以上に、私的な創作においてこそ完全主義を捨ててプロジェクトの完了を徹底したこと。しかしその執着があってこそ、これらの自立した作品群があらわれたのはたしかなことだ。
表現とはそもそも自明に閉じる環ではないから、閉じるために費やすエネルギーはしばしば過剰となる。ひらいた環を閉じるには「これでよし」と主観に断定させるしかない。そうして次々に作品を閉じた凄みが熟練となって後期の仕事につながる。こういうマナーのひとであったのだなとぼくはみた。
ときに文字がはいりこんで極彩色の配列をみせる図像。超常世界のビジョンがみえると主張して、彼らにだけみえる世界をありのままに描いた様子であること。アフ・クリントは、ウィリアム・ブレイクによく似た芸術家のようにみえた。愛着を深めずにいられなかった。隠れて創作されたものすべてが世間の日の目をいちどは浴びるべきだとは信じないが、ぼくの目にこれが飛び込んできたことはすばらしいできごとに違いなかった。