初台でオペラを観た。『セビリアの理髪師』は気持ちのいい喜劇で、モーツァルトの『フィガロの結婚』の前日譚のようになっている。

「フィガロ、フィガロ、フィガロ」と早口のイタリア語を転がすアリアが有名で、それを目当てにしていったところもあった。それのほかにも全体が軽やかで楽観的な人生観をみせていた。気鬱を取り除くのにうってつけの演目だった。

演出はセビリアの街を舞台としてまもりながら、時代の設定を1960年代に移したそうだ。フィガロ(ロベルト・デ・カンディア)はかわいらしい原付スクーターに乗って子どもたちといっしょにあらわれるし、ロジーナ(脇園彩)の衣装や部屋の調度はけばけばしい原色の赤白黄色でこってりした印象がつけられている。もともとが滑稽噺の喜劇だから、舞台づくりがいくらか過激でも自然とふさわしくみえる。説得力は強かったとおもう。

ヒロイン役の脇園彩さんがとりわけすごいなあとおもってみていた。天衣無縫な歌声の表現力は圧倒的だし、歌っていなくても舞台上にいることの存在感をびしっと発している。それでいて、コミカルな表情や身振りをおおいに交える演目だから、畏怖の念で客を無言にさせるような達人というよりも親しみやすいスターという具合にみえる。感じのいい役と技工だった。

アルマヴィーヴァ伯爵はアメリカのローレンス・ブラウンリーさん。酔いどれの兵士に扮してあらわれると現実の米兵をおもわせて風刺的だし、第二幕の冒頭で「あなたに平安と喜びがありますように」と歌ってあらわれるところは新興宗教の売り込みみたいな怪しい滑稽さがはまっている。戦後のスペインに舞台を移したのがここでもよく機能している。

ロジーナを束縛する役回りのバルトロには、イタリアのジュリオ・マストロトータロさん。悪役といえば悪役なのだけど、悪巧みを失敗してずっこけるかませ犬のようにして喜劇を盛り上げた。イタリア語のほかアドリブで英語・ドイツ語・日本語を織り交ぜるユーモアもみせて芸達者な腕をおみせになった。

道化役がふたりも三人もあらわれて、ボケとツッコミを交換しながらひとつのおおきいネタをみせるみたいに笑わせ続けられた。悲観的な人生などありえないというように前向きでいるところがこちらの気疲れを取り除いた。ご都合主義の進行をみて都合がよすぎるとはおもわなかった。楽観主義が勝ちを引き寄せているようにみえた。