高校三年のときのクラスメイトと連絡をとりなおしたのは二年前のおよそ年末のことで、それはぼくの弟がかれとおなじ業界にいて面識をもったからというのがきっかけだった。
また飲みにいこうと話したときに、それならもうひとり呼ぼうといって招いたのは高校一年のクラスメイトで、文理選択でコースがわかれたあとも放課後になればいちばんよく遊んだともだちだった。大学にはいってからも、わざわざこちらの大学のほうまで、カルチャー系の講義にもぐりにきたりしていた。こちらが留学のためにアパートをいちど引き払ってから会う機会が減って、十年くらい会っていなかった。
九時まで仕事があるからそのあとで、というのでまずはふたりで落ち合って沖縄料理屋さんで飲みはじめた。オリオンとシークワーサーサワー。それから昔の洋楽をかけるミュージックバーに場所を替えた。カラオケとは違うけど知ってる曲が流れるとたのしいし、知らないけどいい曲がながれてもたのしい。リクエストをいれたりもしながらしばらくたのしんでいく。ジントニックとギネスを二杯。
ここで九時。駅前にもどって十年ぶりのクラスメイトとおちあって、焼き鳥の店にはいりなおす。ハイボール。5年分くらいのアップデートをする。そもそもおたがいなんの仕事をしているのかもよくわからなくなっていたから。事業をやる、プロダクトを作る、とビジョンをもっているのを聞いた。
カラオケのできる店にいきたいといって、スナックを自分で探してぼくたちを引っ張っていった。ちょうどこの前もきたベトナム料理屋さんの上がスナックになっていて、ベトナムのひとがはたらいていた。でも互いに関係のないお店らしい。焼酎のボトル、それからタバコ。カラオケの一曲目に槇原敬之がかかって、それは高校の文化祭でみんなで演奏した曲だった。とはいえ、思い出を参照するのはその程度で、飲み会の様相はいくらか軽薄になりはじめた。
スナックの会計はかれで、かれのタイミングで店を出ていく。このあとひとと会うけど新宿くる? といってタクシーで歌舞伎町まで走らせて、西武新宿駅の前のセブンのわきで缶ビール。ねずみが絶え間なく走り回っていた。
向こうから三人やってきた。身長が二メートルありそうなおおきいひとがいた。プログラマとジュエリーデザイナーのカップルで金沢八景に住んでいるというもうふたりがいた。おおきな声で経営と景気のはなしをしているのが聞こえて、そのはなしの輪よりは外にいた。
これから先輩がまわすのみにいくんだといって歌舞伎町タワーのクラブに吸い込まれた。クラブなんて十年ぶりだよ。マイナンバーカードが ID で使えるのがおもしろいなとおもったのが耳にきこえた最後の笑い声で、そのあとは四つ打ちでなにも聞こえない世界になった。
とおされたのは VIP 席っぽいソファのついたブースだった。フロアをうえからながめた。ジントニック。ウォッカ。シャンパン。テキーラ。その先輩がまわすのをみて、メインフロアに主役のアクトが出てるよと誰かがおしえてくれるのをきいて、ぼうっとながめた。
さいごはぐったりして、胃の中をいちどおもいきり空っぽにして、はじめに落ち合ったふたりだけにもどって出ていった。もうひとりは見送ってよこしてまた中にもどっていった。ここにきてる連中いつか見返してやるから、みたいなことをいっていた気がする。
ぼくにはもう持てない種類の目標をもってやっているのがよくわかったとおもう。また会うことができてよかったけれど、住む世界はおたがいずいぶん変わったようだ。支払いもぜんぶかれがもってくれた。こうしてこれからもますますお金持ちになっていくことでしょう。
最後にクラスメイトがゴールデン街に連れていってくれた。馴染みにみえる顔がぼくにもやさしくはなしてくれた。ウーロン茶をいただいた。煮込みもいただいた。むりせず帰って大丈夫だから、ありがとう、といってくれるのに背中をおされて、ひとりでタクシーを捕まえて帰った。顔から血の気がひいて冷たくなっているのを感じながら家まで耐えて、ついたとたんにトイレに吐き出した。シャワーをあびてふとんにもぐりこんだ。頭が痛いのを夕方までごまかしながら耐えた。
単に悪いお酒に酔ったということのほかに、知らない道を走るのに誰かがドライブするのにまかせておいたら、自分で運転するのと違って乗り物酔いがしたたかにきたみたいだった。もっとはやく帰っておいてもじゅうぶんしあわせだった。誤った選択はそれを見逃した。
世の中を軽蔑せずにいられない自尊心はぼくたちのなかにいつもあったとおもう。いまもあるとおもう。けど、ぼくのそれは昔よりずいぶんちいさくなったかなとながめた。ちいさくしようとおもってちいさくしたわけではなかった。ますますおおきくしてもよかったが、そうはならなかったみたいだ。なにが道をわけたのかはわからないけど、道がわかれたことはよくわかったとおもった。