土曜日の夕方、京王線で飛田給駅に降りた。改札の外で母と落ち合って、すごい髭だな! 触っていいか? というのであごを差し出した。
東京ガスの懸賞を当てて招待券をてにいれた母がサッカー試合の観戦に誘ってくれた。ふたりともサッカーに強い関心はなくて、競技場で感染するのははじめてとなる。一世代前の日本代表の中心選手のことだけ知っていて、チームの格とか今季の成績はよくわかっていない。
そうはいっても、試合のなりゆきをはらはら見守ると息をのまずにはいられなくて、東京の選手の応援ユニフォームをかぶってふたりしてその場で東京サポーターになっていた。
開始二分でボールがふっと大阪ゴールの前に蹴り出されて、東京のマルセロ・ヒアン選手がひとりでゴールを破った。わあ! と活気だつ競技場、いきなり試合が動いて、しかも地元チームにとってリードができて、気分のいいはじまりだ。
ボールを保持して着実にチャンスをつくり出そうと狙うセレッソ大阪。粘り強く守って、隙あらばカウンターに駆け上がろうというFC東京。激しく攻めあう試合というのではないが、駆け引きが際立って持続する関心をひきつけるゲームにみえた。
東京は冒頭に一点を決めたあと、カウンター狙いのスタイルでもういちど大阪のゴールをおびやかして、ゴールポストにはばまれた。さきほど先制攻撃を成功させたマルセル・ヒアン選手がひとりで飛び出してゴールに貪欲なシュートを狙うところが心強くみえた。しかし、それを最後にゴールから遠ざかったようでもあった。
大阪は対照的に、ひとりに飛び出させることはしないで、統率のもとにプレッシャーをかける攻撃を練り上げようとする。どこからでも攻撃が成立するような厚い陣形でおしよせて、しかしいまひとつ決定的な機会を招き寄せることができない。結果として、カウンターの余地を敵にあたえるようすだ。
こうして先制点のあと試合は凪にはいった。動きやすい試合になるかとみえたところで、次の一点を互いに守り合ううちに膠着した。セレッソ大阪は、はじめカウンター攻撃に対して脆弱にみえたが、動くゲームのなかでそれを修正してチャンスをいたずらに与えないように変化した。それがいかにも生きたゲームの様子でぼくは興奮した。
前半の末尾で、ふたたび東京がカウンターに走った。それを大阪が迎え撃って、カウンターのカウンターといったように速攻に転じて、ラファエル・ハットン選手が東京の守備を出し抜いて、がら空きのゴールに同点のゴールをいれた。すごい! あとでハイライトを見返したら、これは香川選手の素晴らしいロングパスがアシストした美しい連携プレーだった。競技場ではラインナップをみて香川さんっていまは大阪にいるんだね、と懐かしむみたいに話してしまっていたけど、折り紙付きの実力者はいまだ健在、というところ。
後半も押したり引いたりする展開で、しかし次の一点はすぐにはいらずに進んだ。やがてチャンスを作ろうとする側とそれを許したくない側が団子状になってもみあうなか、左から飛び出したボールが東京ゴールの正面に転がって、田中選手が地面を這うシュートを打ってゴールに押し込んだ。これで大阪の一点リード。
まあ、今季の成績は大阪のほうが上らしいし、東京は最初の速攻の一点のあとは攻めあぐねて終わってしまうかなあ。そうおもったときに、ロングパスが前線に通って、ふたたび序盤のようなカウンターが成立して、マルセル・ヒアン選手がふたつめのゴールを奪った! プレーの性質はわからなくても、あきらかに攻撃の要になっており、華々しい選手にみえた。オフサイドのビデオ判定があって、ゴールが成立したことはスタジアムに充満した東京サポーターの歓声で教えられた。
これで同点。アディショナルタイムにもういちど東京は大阪のゴールをおびやかしたが、これは必死のディフェンスにはばまれてチャンスを逸して、同点のままゲーム終了です。延長線がないことに気づかずにいるくらいにはずぶの素人だったけれど、お互いにいちどずつビハインドを追いついて同点というのは見ごたえのある試合でした。
この日は雨の予報で、飛田給駅に降りたときも霧雨だった。いつでもかぶれるようにゴミ袋を持参していたけれど、おとずれるまでわからなかった座席は屋根のある二階席で、濡れる心配はゼロ。楽をしてみせてもらった。
母がくれたチケットでぼくはフリーでみせてもらった格好になるから、ひとつ観戦グッズでもおそろいに買わせてほしいといって、試合のはじまる前に公式販売所をひやかした。
リーグに承認された立派なユニフォームは素材もよく、スポンサーのロゴも完全再現されている。サッカーのユニフォームといえば企業名が巨大にあしらわれているのが標準と知っていて、ただわれわれは胸に東京ガス、背中に三菱商事、腕にはまたどこかのスポンサー、という具合にゴテゴテしたのに身を包むのはまだ好みにそぐわなくて、それではなくてたぶん廉価版のものをひとそろい買った。東京の選手で名前を知っている選手といえば長友選手しかおらず、母にはひとつ彼のシャツを。自分にはこの前までドイツで活躍していて、この試合から東京に復帰したとアナウンスされていた、室屋選手のシャツを。おたがい頭からそれをかぶって、即席の東京ファンがふたりできあがった。
会場の軽食販売店でタコライスとかフライドポテトとかを買って座席で食べる。はじめておとずれるサッカー場で、野球場との違いとしてもっとも際立ったことのひとつは、酒を売ることに貪欲でないことだった。禁酒というのでもなく、売り場にいけばビールがあるのだけれど、がばがば飲んでいるのは誰もいない。ビールの売り子さんがたがぞろぞろと練り歩く野球場の景色は、むしろそのほうが異質だったなとおもう。
もうひとつ、野球場との際立ったちがいは年齢層の低さ。くたびれてワイシャツの襟をゆるめたおじさんはみえなくて、小中高生が縁日みたいにぞろぞろと練り歩いているのをみた。ビールの販売所よりも、かき氷とチョコバナナの販売所のほうがよほど繁盛しているのをみた。駅のそばにスタジアムがあるし、延長戦で長引かずに終わる時間がはっきりしているから、子どもたちだけで電車に乗って遊びにこさせても親たちは安心していられる、ということかもしれない。それは子どもたちにとってすばらしい体験だろうなとおもった。
ぼくは田舎者の野球ファンの少年としておおきくなってきたけれど、サッカーファンが羨ましいなあとおもった。ほとんど毎日のように試合をやってそれをテレビで流して酒をのみながらみる野球が人気であることと、毎日のように試合はやらないけどスタジアムが身近にあってゲームをしっかりみせるサッカーが人気であることは、競技とおなじくらい文化の違いがあるようにみえた。スタジアムで観戦するゲームはワールドカップでなくとも白熱していたし、子どもたちの支持も厚くみえた。
甲子園で活躍するような野球選手がプロ入りするときに、好きな選手は誰ですかと尋ねられて、そもそもプロ野球をみたことがないのでわからないです、と答えるのを何度か見聞きしたことがある。それだけ必死になって部活に打ち込んでいたという逸話になる。いっぽうで、これは野球をするひとと野球をみるひとが切実なほど乖離していることをあらわす逸話でもある。野球がうまくなりたくて野球をするというのがだんだんあいまいになって、野球をするから野球をする、という無我のほうに流れる傾向はあるとおもう。
野球部的な見せかけの禁欲はよく考えるとあんまり好きではないし、サッカー部のちょっとチャラくて浮ついたイメージは、部活もスポーツもそんなに苦しんでやるものではないでしょ、という当たり前のことを生活態度としてあらわす哲学に支えられてもいそう。真面目にやっているふりをしたがる国民性にとって、野球部的な見せかけの禁欲がよりフィットするというのはたしかにそのとおりかもしれない。サッカーはいいな。