週末に京都へ小旅行した。動機は市内の妹に面会することと、二条城の展覧会の会期末に駆け込むことのふたつ。
品川から東海道新幹線にのって、正午に着く。車内では日記を書いてすごしていた。あっというまに着いた。隣のならびにいた女性の二人連れが、現行の各局テレビドラマの評判と感想を縦横無尽に語り合っていた。
まずバスに乗って二条城。二の丸御殿の見物をした。江戸時代のはじまりと終わりを象徴する建築物だといっている。家康が建てた城で、慶喜が大政奉還の下知をくだした。
襖絵に狩野派の派手にして抑制的な虎、松、桜の絵などが浮雲にさえぎられない描きかたではりめぐらされている。日本にいない虎は霊獣として尊ばれて、すべてを手に入れられる徳川の権力をあらわす象徴だった、といっている。いっぽう、天井の意匠は正倉院に取材した古代文様。これは明治にうつって皇室の伝統を強調するためにあたえられた改装としてある。
ふたつの権力が縄張りをきざんだ風雅をぼうっと見上げて、その古代文様の紋章みたいになっているのをスケッチしようとして、うまく写せなかった。権勢をあらわすための虎の表現のうちひとつに滑稽味が生じているのをみて、いたずらな宮廷絵師がそれを描いたことに思いを馳せた。オルハン・パムクの『私の名は紅』が、没個性のなかに個性を忍ばさずにいられない絵描きを指さしたのを想起した。
キーファー展をみるのがいちばんの目的で、午後は閉館までそれにあてるつもりでいたけど、さすがに暑すぎる。疲れすぎてどうにもならないから、粘るのはやめてはやめに引き上げることにする。観光者のための無料休憩所でしばらく涼む。旅館に電話をかけて、チェックインを早めたいことを伝えて、構いませんよというのに甘えて宿のほうに移動しはじめる。
二条城からバスを乗り継いで祇園に向かいます。四条を横切っていく路線は乗客も混んでいたし、路上も渋滞していた。バスの運行時刻を律儀にノートに記録しているおじさんがいて、よく通る声で「お座りください!」とうながしてくれた。それで、四条烏丸あたりでひとがぞろぞろ降りていくのを見送った。さっきまで日本語で話していた和装のマダムの連れ合いが、前方ドアから降りようとしてひとをかき分けるのに、自然と英語にスイッチして道をあけさせていた。
祇園で降りたら、三年前に泊まった宿のすぐそばで、見覚えのある商店街がある。おはぎの丹波屋があるのをおぼえていたから、小腹のためにお菓子の食べ歩きをする。あべ川、という得体のしれないなにかをひとつ百円でいただいて、ぱくりと噛みついた。おいしいきなこもちだった。
宿は円山公園の南。奥まったところにあって、車はとおらなくて、原付きが二台おいかけっこをしているのをみた。旅館のドアの脇にループの駐輪場があったのをみて、チェックインしたあとはじめてユーザー登録した。それでおいてこの日は結局のらなかった。
しばらく宿で休憩。妹のほうが大学を出て祇園四条まで来てよこすというのを待つ。五時にここでおちあいましょうといってちょっと古くさい喫茶店をみつけて、さきにあがった。大学の二回生の妹はなにやら装飾のおおくて忙しい服を着てやってきた。ガトーショコラを食べさせて、こちらはコーヒーゼリーにした。熱力学の教科書をみせてもらったり、講義ノートをまめにタブレットにとっているのをながめさせてもらった。部活をやりながら勉強するのはたいへんそう。がんばってください。
ごはんは祇園のなかのいくぶん隠れ家めいたお酒を飲ませる店。よく見極めて選んだというのではなくて、単に食べログで当日予約可能なお店を探して出てきたところ。もろきゅう、刺し身、はも、創作春巻き、サワラの西京焼き、などを食べた。妹はクランベリージュースのあと上海ピーチをたのんでいた。
祇園からタクシーで熊野神社まで移動して、ジャズを聴かせるお店にいってみます。名前は “Jazz Spot YAMATOYA” です。はいると落ち着いた雰囲気の四人のグループがテーブルに、カウンターにはカップルがひとくみ、読書をされている女性がおひとり、という具合。デクスター・ゴードンのライブ盤がかかっています。
妹にはシチリアオレンジのジュースを飲んでもらって、こちらはリモンチェッロのソーダ割りをたのみます。チーズが食べたいというのでクラッカーつきのを頼んで、いくらかじっくり音楽を聴く時間にさせてもらいます。デクスター・ゴードン、デビッド・サンボーンと聴いて、どちらもいい音とおもってぼうっとしていると、最後にニーナ・シモンの歌ものが流れて、それは宇宙から聞こえてくる音みたいに神々しい声の響きでした。それで閉店時間です。
店の前でわかれて、彼女は北へ、こちらは南へ向かいます。歩いて帰っていくのを見送ったあと、こちらは本数の減ったバスをしばらく待って乗って祇園に。それで旅館にもどって、ぼうっとテレビ番組をみながら寝支度をしておしまいです。