京都旅行の二日目は無目的です。展覧会をみる、妹にあう、というふたつの目的を一日目に済ませてあるので。

宿は素泊まり、食事なし。祇園の「志津屋」は朝からやっていて、そこでパンをテイクアウトして円山公園に持ち込んで、広場のベンチに座って食べる。クリームチーズとレーズンを練り込んだ湯ごねの白パンみたいなのがうまかった。

目の前のベンチに太った猫がねそべっていて、さらにその奥の茂みから一匹また一匹と猫が飛び出してきて、愚連隊かネコレンジャーみたいにうろうろ広場を横切っていくのをみていたら、背後から声がした。いまいくから待っていなさい! それで立ち止まる猫たち。声の主はエサをくれるおばあさんだった。猫たちの輪にゆっくり歩いて向かって、ゆったりした動作で朝ごはんを用意して猫たちを満足させているのをみた。

知恩院のおおきな石段を見上げながらその脇をとおりすぎて、ぼくが向かうのは無鄰菴なる庭園です。庭をみせて抹茶を飲ませる静かそうなところといつかテレビの観光番組でながめてメモしていた場所。

九時に提案がひらくのにあわせて到着するともう門のところには先客がたまっていて、門があいたらすぐに列ができる。時間を指定して予約したうえで並んでからでないと入れない方式になっている。広くないプライベートな庭園で、すこし待つとはいっても、なかまですし詰めということもない。

庭におりたらふらりと歩いて、池であめんぼがうろうろしているのをみる。甘い香りの花が腐りはじめるのをこらえているのをみる。小さい滝が流れて庭園をわたっていくその源をみる。アルバイトかしら、若い男性が話なれない様子でかんたんなガイドをするのをきく。口下手なのに台本を用意できなくて、しどろもどろに失言すれすれの解説をしているのをほほえましくきく。

晴れてもおらず降ってもいないのは、晴れでも雨でも見栄えのする庭園にとっていまいち望ましい景色ではなかったようす。とはいえ、穏やかな景色を眺めながら、冷たい抹茶とどら焼きをいただく。注文するときに事前手配の券をみせる様子だったのに、ぼくだけそれをみせようとすると「ああ、大丈夫ですよ」といってなぜか顔パスみたいにしてお茶とお菓子をもってきてくれた。なんだったんだろう?

観るべき景色をみるというよりも、目をひらきながらなにもみないための景色をぼさっとながめた。すぐに二時間が過ぎていた。景色をまぶたに焼き付けるというより、抽象的な空白の豊かさを持ち帰るような時間を過ごした。ジョン・ケージのことをなんとなく考えたけれど、そんなにケージに詳しいわけでもないなと考えた。勉強したいなとぼんやりおもった。

無鄰菴から祇園まで、こんどは自転車移動です。ゆうべ、旅館の前に駐輪場があるのをみてはじめてユーザー登録したループに乗って祇園まで移動する。自転車に乗るのは好きだしキックボードよりも乗りやすいでしょうとおもって選んだけれど、ペダルを踏むと電動アシストが人工的に介入して不自然な加速をするのに慣れるのがむずかしいものと知った。

祇園の駐輪場では白人の一家が座り込んでいた。休憩しているのだろうとはおもうけれども、観光に来て貧しいわけでもないだろうになんでこんな湿った場所で動かないのかよくわからなかった。まあなんかの事情はあったんだろうけれども。妙な空気でした。

祇園で降りたのはそこからさき西にわたる道路を自転車で走ってはいけないとループが警告してよこしたため。それなら自転車を押して歩くよりもただ歩いたほうがましでしょうといって歩いて西にわたります。途中、ふたたび丹波屋によって抹茶大福をひとつ食べ歩きにもらうと、強い苦さの抹茶味で気に入りました。食べ慣れたとおもっていた抹茶味が実のところクリームでかなりごまかしていることを意識させる味付けです。

鴨川をわたってすぐの「フランソア喫茶室」にいってみます。レトロな喫茶店で、学生のグループでにぎわっているのがみえます。レモンバターケーキとホットコーヒーのセットをたのんで、これで旅行はほとんど終わり。あとは新幹線までの時間を調整して駅に向かっていくだけです。アメリカがイランを攻撃したニュースが目にはいってしまったのをみなかったことにしてしばらく読書にカヴァフィスを読む。横の席では大学生のカップルがいて、遺伝の研究をしているらしいふたりが研究室の愚痴をいっているのが聞こえた。

四条河原町からバスに乗って京都駅へ。駅弁を持って一時半の新幹線に乗って東京に帰ります。ずいぶんぐったりです。