92歳になるおばあちゃんのところにお見舞いにいった。
ごはんをあまり食べられなくなってしまったのは二ヶ月前に見舞ったときにもそうだったけれど、それからますます食欲を失って、いまではベッドから起きるのも困難になりはじめてしまった。
病室にはいると、壁を向いて寝たまま「どちらさま?」というので「ジュンイチです」と応えた。あなた今朝電話かけてよこしたわね、といいながら、仰向けになるのも大儀というように身体を動かしてぼくの顔をみた。苦しそうにしておられた。ベッドサイドに膝をたてて手を握った。顔をしかめて涙をこぼしているのがつらそうにみえたが、つらいか訊くと感激しているんだといわれた。
ごはん粒をいつも顔と食卓にばらまいて行儀の悪い子だった。生まれたときに頭があんまり長くて心配だった。そういう昔の話をなんどもなさった。思い出ばなしを話すのを聞いた。アーリントンでケネディ夫妻の墓をみた話。ナイアガラのホテルのプールで白鯨(のように豊満な肉体をもった白人のこと)と並んで泳いだ話。円をドルに両替できる場所がそこしかなくてカジノを冒険した話。
実家の畳の間で畳をはがすと、昔そこに埋めたタイムカプセルが出てくるはずだという話。これははじめて聞く話だ。はじめて短歌の本を印刷したときに、写真とかワインとかと一緒に埋めてあるから、こんど帰ったらわたしの代わりに取り出して読んでちょうだい。
もうすぐ死ぬことを考えて不安でたまらないとおっしゃった。それが冗談抜きにもうすぐであることを信じないことはできなかった。肉体が衰微しているのは、見れば明らかとなっておられる。
脳にダメージを受けたらパアになってしまう。そうなる前に死にたいとおばあちゃんはずっと語っていた。いま、声は弱くても発話ははっきりしている。記憶も混乱していない。明瞭な自覚のなかで死に向かう願いは叶えられつつある。でも、死が近づいてくるのがはっきりわかるのもあんまりつらそうだ。
ドアをノックする音がして、看護師さんかとおもって振り向くと父がいた。彼もまた面会にやってきたのだった。いつからかご乱心となり、もう連絡を絶っていた父。最後に会ったのは四年前だ。衰弱した実母を目の前にして、自分の話ばかりの独演をはじめるところ、乱心には変わりがないなとおもう。いつものことなのよ、とおばあちゃんは小声でいってぼくにウインクをする。
どうかお墓に丁寧にいれてほしいと懇願しているときも、父は自分の話を続けている。彼の存在がきたる死を不安にさせている印象があって、もうすこし安心させてあげればいいのにとおもうが、聞く耳をもっていればそもそも乱心はしていないのだ。ぞんざいで気の利かない、情けない男の醜態。好ましいものとはみえない。あるいはこの嫌悪感もまた、ぼくの情けない強情っぱりによる父性への対抗心なのかしら。
おばあちゃんがお疲れになってしまったようすをみて、一時間とすこしで施設をあとにする。義理によって父を昼食に誘うと、乱心者は自分語りをして、情けなさに目をうるませておられた。気の毒にとおもうが、屈折を隠して自由になれない魂の介助は、ぼくの手には余ると四年前にあきらめてしまったのだ。しかしこちらの感想はそっちのけで、話すこと、話すこと。うれしかったのでしょう。
気の毒な日々を卑屈に送っておられる様子をすこしうかがい知ることになりました。ぼくに会えたくらいのことでめずらしく晴れやかな一日となれたのであればなによりであります。ぼくの側でも、いったいどうやって話したものかと悩んでいたいくつかの事務的な連絡ができたのはありがたい機会でした。
孤立した魂をひとり慰めていることは心より気の毒におもいます。きっと心療内科に通うべきだということがどれくらい伝わったかわからないけれど、息子との再会をポルノ的な感動に還元しないで、乱心を静められるといいですね。
書きながらおもいだすに、死の床にある実母と向き合うことを彼はしていないようにみえてしまった。ぼくの目からみると、おばあちゃんがあんまり気の毒にみえた。しかしそれを一歩ひいてながめると、実父に対してこんなスカした見方をしているぼくもまたおなじ轍を踏んでいるんだろうかしら?
これがもしかしたらおばあちゃんと最後に話した思い出になるかもしれない。記憶しよう。エゴを増長させるよりも、もう会えないかもしれない姿を記憶することがぼくの願いだ。
わたし大葉を握ってなかったかしら。どこかにやっちゃったかしらね。あなたみなかった? とベッドのおばあちゃんは唐突におっしゃった。それは、このまえ施設のひとが車椅子で根津のあたりを散歩に連れていってくれたときに見つけた大葉のこと。後生大事に握って横臥していたけど、気づけばなくなってしまった。残念なことだ。でも空は青くて雲がきれいだったわ。見られてよかったわ、と静かに感動を噛みしめるおばあちゃんのことをぼくは記憶しよう。
ベッドのそばに膝をたてて、こう不意におもった。中学生にあがるとき、英語の勉強がはじまるのがたのしみでしかたなかった。高校にあがるとき、英語の勉強をもっとしたいと願って、すこし家族で揉めたことがあった。大学にあがるとき、いちばんいい大学で英語の勉強をさせてもらえることになった。とりわけ国際的な家庭に育ったわけでもないときに、なにがぼくに霊感をあたえていたか? それはおばあちゃんのスケールのおおきな脳みそだったとおもう。
無限の恩があるのだ。そのおばあちゃんが92年の人生を終わらせようとしている。ぼくはかなしいのだ。