八月三日。緊急入院をその前の日にしたときいて国分寺の病院にうかがった。これで最後と思った。苦しがりながらおっしゃった。みんなに会えたわ。

母がいた。父がいた。弟夫婦がさっきまでいたときいた。腕から指まで水で膨れていた。指環をはずすのに難儀したときいた。帰るところで叔父さん一家がいらした。

もういくばくもない。そう覚悟があった。目と鼻から水が流れた。こう話した。ぼくはこれから長く生きますから。いつでもお茶を飲みにきてください。

八月十三日。忙しくすごしていた。おばあちゃんはちいさい食事をのめるようになった。水ぶくれもおだやかになった。

仕事のあと、六時。病院に見舞った。手を握ると握り返した。寝返りをうつのを手伝った。

かすれた細い声でお話になった。なんのために生かされているのだ。怖いとはおもわない。油断してはだめ。ガクスケちゃんがくる。コノミのことをよろしく。助けあうのよ。

乾いたお顔、乾いた声、目の端にちいさな水。苦しまれておられた。よくなれば苦しくなるのだと先生はおっしゃった。また来週会いに来よう。おやすみなさいといって病室の電気を消した。

八月十五日。終戦八十年。新宿東口のシェアオフィス。会議のおわりぎわに着信があった。父だった。おばあちゃんはお旅立ちになられた。

ぼくが電気を消したあと、ひと眠りして意識は遠のいた。叔父さんたちがお見舞いにきて、父と三兄弟そろったのを見届けて、おじさんたちが病院を離れようとしたときに安心して静かに去られたそう。声はもはやあらわれず、目でお話しになった。

ああ、ぼくは最後の声をきいた。おばあちゃんはお旅立ちになられた。