四年間の中野暮らしと、十二年くらいの東京暮らしを終わりにする。
逗留していた立川のビジネスホテルから中央線快速でスーツケースをはこんで阿佐ヶ谷。バスに乗ってお伊勢の森。関東バスがたかだかいつつくらいの停留所を通るのに六分も遅延してしまうのもいつものとおりで、この日でおしまいだ。
荷物の搬出は二週間前にもう終わらせていた。パートナーに荷造りをおおいに手伝ってもらった。出来上がった段ボールはぜんぶで二十個。全国引越サービスのひとには、めちゃくちゃすくないっすねと言われた。ひとりで引越してきた家からふたりで引越す。
ほとんど空っぽの家に分別済みのゴミ袋だけが残っていて、収集日にあわせて通ってきては集積所に出した。ほんとうの最後に残った金属ゴミは、隔週の回収日がどうしてもあわなくて、隣駅の集積所では週明けに収集があるといって、ふたりして電動キックボードに乗って二往復して出し切った。
そこまでやりきるのを手伝ってくれて、その次の日にパートナーは羽田からロサンゼルスに飛んでいく。立川から空港までバスに乗って見送りにいって、搭乗直前に追加保安検査があるとあわてたけど、無事に飛び立って、無事に到着した。
退去の立会いにはこうしてひとりでおとずれる。待ち合わせ時間に門の前に不動産屋さんのご夫妻が立っておられる。メールと電話ではなんどもやりとりをしたものだったけれど、対面するのははじめてになる。壁のなかをねずみが走り回っていたときも、ツル植物が過剰繁茂して窓をおおったときも、ベランダに蜂の巣ができはじめたときも、メールを送るといつも即レスの心強い大家さんだった。
暑い部屋の内容をたしかめて、不注意で作ってしまった階段の壁の穴のことを伝えて、そのぶんの修繕費用をその場で算出して、ハウスクリーニング代と修繕費から敷金を相殺して、最後の請求書をいただく。お借りしていた鍵をお返しして、識別番号を照合してもらう。それで退去はおしまいだ。
引越し先は宮城県の東松島市。荷物はもうみな運んであるし、荷解きのおおきな部分も終わってある。喪服のはいったスーツケースをもって、新幹線に乗って帰るだけだ。もう東京に自分の部屋はないのだ。
おばあちゃんの逝去と、パートナーの三度目の長い旅立ちと、四年分の感傷をたくわえた都立家政からの完全退去を見届けて、ぼくは大学のために出てきた東京を引き払って、これこそふるさととなんとなくおもわずにはいられない東北に引っ込む。