引越し先のまち、東松島のおおきな夏まつりが近所でやっているのを見物におとずれた。
市の中心部にあたらしい家はあって、県道と国道を橋渡しする目抜き通りがお祭りの会場になっているときに、そこまで自転車さえ使わずにあるいていくことができるようになっている。朝のランニングをして横目に会場の設営をながめた。お昼に開会宣言があるというのに合わせてあるいて出かけ直したら、その手前の商店街がおおきな歩行者天国に変貌していて、たこやき、やきとり、フランクフルト、ビールを売るで店でおおにぎわいになっていた。
商工会議所のところにできた野外ステージで、小学生たちが和太鼓アンサンブルの発表をしているのをみた。地域の無形文化財の、鹿を模したかぶりものとささらをまとって練り歩く伝統芸能をみた。このうえない快晴はイベントにとってはうってつけの天気で、真昼から野外プログラムをながめるのにいくぶん酷ではあったけど、それなりの風も吹いて秋をおもわせなくもなかった。
航空自衛隊の出し物を目当てに市外からおとずれているひとが存外おおいようすで、浜松基地ではこうだ、三沢では、入間ではこうだ、と熱心に議論する男たちが「武士道」とか「愛国」とかをシャツの背中で語っているのをみた。航空ショーがはじまると巨大なレンズを空に向けるひとのおおさにも気がついた。こういったかたがたを観光客として招くことが自治体の生き残り戦略のひとつということは、あらかじめわかっていたようでもある。
子どものころにぼくの親しんだこの季節のおまつりというのは豊作を祈願したり感謝したりするの性質のあるもので、もとは神様への見世物であったものが世俗化した、そうはいっても神事の名残をすこしは残している、というものだった。こんどのお祭りは、神事の性格はもとよりなくて、商業イベントとしてのお祭りというおもむきだった。もちろん、被災によって伝統が断絶しかねない状況にあることとか、復興のためにできることはなんでもやるという前向きなエネルギーをそれでも絞っているということはいえるとおもう。または、限定的な意味での商業こそあたらしい時代の神事であるかとも。
航空自衛隊の飛行機ショーは、そうはいってもすばらしかった。高度100メートルくらいの近さを時速800キロで飛ぶとかいう話で、研ぎ澄まされた金属とテクノロジーのかたまりを、生きた人間が操縦して機敏に空を駆け回るのはロマンチックな光景にみえた。青空よりも濃い青色のマシンが空を横切るとき、機体のおなかに書かれている文字さえくっきり見えるような気がした。煙で空にお絵かきをしてみせる曲芸飛行も、それを見せるにはうってつけの天気で、いちばんいいパフォーマンスをみられたのだとおもう。
飛行機ショーのあと、すこし図書館に逃れて涼んだあと、野外ステージに現役自衛隊員のかたがたが登壇して、出身地の話をしたり、好きなスポーツの話をしたり、訓練中のおかしなエピソードを等身大に話しておられるのを聞いた。自衛隊といっても、はたらいているひとにとってはそれがふつうの職場であるようにみえた。和やかな雰囲気は市民向けのパフォーマンスなのかもしれないけれど、すべてが取り繕いの不自然な姿であるとはいえないとおもった。
もし不戦条項がなくなったら、和やかさやユーモアはリアリズムのために否定されるのかしらと想像した。規律とユーモアの両方を守って訓練に励むことができるよう、自衛隊のことをひっそり見守ることはできるとおもった。ある種の政治家を支持したりしなかったりするのとおなじように、自衛隊に夢や悪夢を投影することができるかどうかは疑わしくみえた。パフォーマンス終演のアナウンスで「自衛隊へのご理解のほどよろしくおねがいいたします」と述べていた通りに、こうして考えさせることこそ自衛隊広報の動機にほかならないのかもしれないにせよ。
日差しのなかで立ち回っていたら、だんだん汗がでなくなり、こむらが張りを主張しているのを感じた。熱中症の初期症状だったのではとおもう。風が吹けば涼しいとかいいながら水分は摂っていたつもりだったけれど、それが油断になったか。歩いて家に戻って冷えた水をたくさん飲んで、すこし座ったつもりがそのまま居眠りしていた。日が暮れたあと、最後のプログラムで打ち上げ花火があるのをみるのにもういちど出かけて、ちょうどいい尺の花火が田んぼの向こうに打ち上がるのをおだやかにながめた。