日曜日の午後、イオンシネマ石巻でロングランの『国宝』をみた。
1964年の長崎、極道のせがれ喜久雄(黒川想矢/吉沢亮)は新年会の余興で女形を演じて、たまたま居合わせた歌舞伎役者の二代目半次郎(渡辺謙)にうっとりと見出される。カチコミで父を失った喜久雄を半次郎が大阪で引き受ける。喜久雄は半次郎の子、跡継ぎの俊介(越山敬達/横浜流星)とともに女形の稽古にのめりこんでいく。こうしてはじまった喜久雄の波乱万丈の歌舞伎人生が描かれて、彼が女形の大家として「国宝」と認められるまでを描く。最後のシーンは2014年といっているから、ちょうど半世紀のサーガになっている。
吉沢亮さんと横浜流星さんがいい演技で活躍するという評判があって、ふたりとも出演作はひとつもみたことがなくて、これを好機と見物した。たしかに吉沢さんはスクリーンの上で目線を通り過ぎさせない存在感があった。
映画カメラでしか近づくことのできないような距離と角度から華々しい舞台を映して歌舞伎のきらびやかな世界をみせるのにも成功していたとおもう。みたことのない映像をいくつもみせられて、なるほど歌舞伎とはこんなものか、おもしろそうじゃない、という反応をしたくなるのはよくわかるし、それが映画の商業的成功を支えているのもわかるとおもった。
脚本と演出は、なんとなくこんな感じだよねという邦画の紋切り型をなぞって、好ましくない部分もおおきかった。主演の吉沢さんの存在感がよかった、というときに助演の横浜さんに言及しづらいのは、彼が悪い仕事をしていたからというより、喜久雄にとって最良の友にして最悪の裏切り者となった俊介の罪をシナリオがあまりにあっさりと処理してしまって、小道具のような立場に押し込めてしまっていることがおおきい。役不足ではあるのだとおもう。いろいろつらいこともあったけど、最後にふたりで曽根崎心中やれてよかったね、というのでは志が低すぎるんじゃないかな。でも、そうみえてしまった。
機能に応じた記号をうまく配列することによってドラマを設計する、というのは、アニメ文化の全面化以降のストーリーテリングとして王道なのかもしれないけど、それでは情の理解は粗くならざるをえないとおもう。制作者たちが情を理解しないというより、観客として過小評価されていると感じる。おまえら、こんなのが好きなんだろ? といって制作して、こんなのが好きなんです、といって自動的に消費するのに切なさはないか。まあ、メインストリームというのはそうやってできるものなんだろうけど。
最終シークエンスの、ひとり大御所としてインタビューをうける喜久雄は、大御所ばりの超越的な無感動を手に入れているようにみえて、みせかたによっては圧巻たりえたはずなのに、存在感をあたえる撮りかたひとつ与えられない報道カメラマンにむやみな独白のセリフで主題を説明させるのは、ほんとうに無理筋で無粋な蛇足とおもった。ほんとうに、そういう脚本を書かせたり演出をさせているのは、観客や批評家の長年の怠惰によるものだった。
一度目の曽根崎心中で決別した喜久雄と俊介が、二度目の曽根崎心中を共演するところは、抑制のなかから感動を生んでいてよかった。涙、それにカメラが執着すると安っぽくなりかねない涙を、舞台照明の影にさりげなく落とすばかりで、気にも介さない様子で画面を緊張させ続けるところは、すぐれた表現だった。
半世紀にわたる男の人生を描いて、成長がみられたかというとそうでもない、という結末にもみえるのは、ありだとおもった。喜久雄は大御所なりの成長をしているのかもしれないが、みだりにそれを語らないのがよい。俊介は、ヤンキーに子どもができて成長したというくらいの意味では成長したのかもしれないが、語るには値しない。それを市川團十郎という存在へのアイロニーとして読むなら、すこしはユーモラスになるけれども、そうよこしまな意図はないとおもう。
登場人物の成長といえば、いかにも嫌な感じの太った御曹司という立場であらわれて、単に歌舞伎を知らないだけでなく、血縁にまつわる嫌がらせをいってどうしようもなかった竹野(三浦貴大)が、やがて喜久雄に献身するところをみせたり、歌舞伎の本領に脱帽するまでになるのはよかった。彼は彼なりの立場で芸事に向き合ってよく学んだだろうというのが目立たなくも上手い。
少年時代の喜久雄を演じた黒川想矢さんは、ある角度で藤浪晋太郎投手によく似ているとおもってながめた。少年時代と青年時代以降で役が変わるとは知らずにみたから、てっきり吉沢亮さんと藤浪投手はそっくりさんなんだと思いこんで途中までみていた。
当代一の女形の大御所として喜久雄たちの前にあらわれて、ふたりの若者のターニングポイントではかならず重要な立ち回りをする万菊(田中泯)はスクリーンの上で異彩をはなって忘れさせない印象があった。この映画からセリフのひとつかふたつを暗記してモノマネするなら、万菊さんの話しかたをマネしてみたいと振り返っておもいだすほどだが、鑑賞中はそんなことまで気が回らずに、はっきり暗記できた万菊さんのセリフがないのが心残りだ。