前の日の豪雨は夜中のうちに去って、お葬式はさんさんと晴れた日のこととなった。
おばあちゃんが亡くなって、火葬から一ヶ月まってのお葬式は、それぞれの職場で重要なしごとのあるおじさんたちの予定をあわせるのにしばらくあいだをあけて調整するのが必要だったからのよう。朝の散歩をしにでかけたら、ちょうどおじさんの家族があるいて家のほうにこられるところだった。散歩をおわって帰ったら、奥の部屋からもうひとりのおじさんが礼服に着替えて出てくるところだった。三十もすぎてぼくはネクタイの締めかたをおそわった。
おじいちゃんのお葬式は実家に祭壇をこさえてお坊さんをお招きして執りおこなったものだったけれど、いまではおばあちゃんもいなくなって住まなくなった家のことで、掃除もいきとどかずに散らかっているので、はじめからお寺にうかがう段取りになっていた。遺影の写真とお骨のはいった壺をだいじにもっておとずれるとき、はやく行かねばとはじめから大騒ぎした父は弟を呼んでくるといって消えたまま最後まで家から出てこなくて、遅刻気味にお寺についたらついたで香典の袱紗をテーブルに忘れてきたと恥をさらして、情けなくておばあちゃんに顔向けのできないありさまでおられた。ああ。
十一時、式。導師さまがずんぐりとして見慣れない法衣を頭までまとってねんごろに読経なさる。無垢の祭壇に真新しい卒塔婆がひかえていて、さずかった戒名がそこに刻んである。真徳院賢頼遊行大姉。まこと徳のあるひとは地域のみなさんに頼られて、それでいて地域に閉じこもるのを是としないで、釈尊にならって修行の旅をなさったの旨。
導師さまはいくぶん腐敗した先代の隠居を引き継いで赴任されたあたらしいかたで、先代への疑惑からむずかしい船出でもきっとあったに違いないとき、おじいちゃんの法要の縁でおばあちゃんとの関係はあたらしくも古く深く記憶しておられるさまをお話になった。背筋を伸ばして、おのずから合掌して拝聴した。釈尊にあやかっての戒名を授けていただいたこと、われらもかくありたいとおもわせて、すぐれたものと感じいりました。こうしておばあちゃんはみごとにほとけさまになられた。
三十五日と四十九日の法要をこのあとあわせて執りおこなって、それで聖堂からお墓に移動して、葬儀屋さんが墓石のふもとに扉をつくって、そのなかにお骨をおさめた。ひいおじいさんの壺はいちばん奥に金色の紐でくくられてあった。ひいおばあさんの壺は孔雀色に塗られてあった。おじいちゃんの壺は白無垢であった。おばあちゃんもまた白無垢で、あたらしいひととしてこの三名にお並びになった。二十名ばかりがそれを見届けた。
望んだ相手と結婚したわけではないおばあちゃんは、男に生まれていればおおきなことを成し遂げられたはずと叶わない心のこりを語ること、数おおかった。それでいながら、おじいちゃんの苦しい最期を見届けて心から涙して、やがてみずから苦しい最期に臨んで、おじいちゃんといっしょの墓にやすらかにはいることを願っておられた。計り知れない機微をもった遺言はこうしてひとつ成就した。それをわれらは見届けた。
式のあとは場所を変えて会食で、おのおのタクシーでグランデールガーデンという会場に向かった。和室に通されて、父が喪主であるときのその家族として末席について、手のこんでおいしい料理をいただいた。おおきなえびのカルパッチョ、まるっとしたトマトの冷たい煮物、スズキを蒸したもの、やわらかくあまいステーキ、など食べた。誰も飲まない様子ながら、瓶ビールの栓があらかじめあけられているのをみてすこしずついただいた。二十歳はなれた中学生の従兄弟がかいがいしく注ぎにきてくれもした。
大曲でピアノの先生をなさっていたミチコおばさんは、ぼくが高校生のときににわかにピアノを弾いてみたくなったとき、バッハのインベンションを習いに通ったおぼえがある。こんなに変わっちゃって! とおどろかれたとき、あかるくにぎやかでおられるのは変わっておられないとぼくはおもっていた。
導師さまたちがまず退席なさって、二時を過ぎたくらいにおひらきとなった。一人前を残さず食べただけで欲張っての食べすぎではなかったけれど、それにしても食べすぎたとおもって、散歩して帰ろうとおもった。弟と妹がそれについてきてくれて、三人で武家屋敷を散歩した。お茶屋さんでクレミアを出しているのをみて、おまえら食うかと冗談でいったらふたりともまだ食欲があって、ひとつずつ食べさせて自分では食べなかった。
家に帰ったらおじさんおばさんがたが身内の歓談をしていて、おのおの持ち寄ったおみやげを食べ直していた。ひいじいさんの賞状が出てきたぞ、といわれてのぞいたら、帝国政府にたまわった物騒なシロモノがあった。四時くらいになって、これからだんだん東京行きの新幹線でみんなが帰っていくころ、どうしても眠くなってしまって、そのへんに横になるわけにもいかないので、離れた部屋で横になったらそのまま長寝になってしまって、覚めたらみんな帰ったあとだった。
昼のたべすぎで夜の食欲もなくて、回転寿司でちょっと食べるくらいでいいわといって、残った家族だけで出かけた。夜の散歩をしたあと、Eテレのクラシック番組で広島交響楽団の演奏をみた。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のあと、マーラーの交響曲第4番をやった。きょうという日にふさわしいプログラムであったような気もなんとなくして、古いテレビの弱いスピーカーでもいい演奏がわかる気がした。