お葬式の翌日に角館から東松島へ帰る。往路は小安峡の難路に迷いこんでしまったところ、帰りは雄勝から鬼首を通って鳴子に抜けるいつもの道をとって、ふたたびすべて下道でいきます。

父、母、弟、妹においとまを告げながらスーツケースを車に詰めて家を辞します。済ませておきたい地銀の用事をふたつ済ませて、そういえば洗面所に整髪料を置き忘れたと不意におもいだして、それを取りに帰ってからあらためて発ちます。タカヤナギで唐土庵のもろこしをおみやげに、それから自分で食べるための嶋田ハムのドイツソーセージを買い込んで、帰りのツーリングのはじまりです。

来た道を淡々と進むとき、往路では暗い雨の道だったのが、いまは爽やかな秋晴れの気持ちのいい道です。大型バイク二台がならんで走っているのに追いついて、信号待ちのときにナンバーを拝見すると、それぞれ習志野、市川といっています。秋分の日の四連休にはるばるやってきたようで、気をつけていってくださいと背中を見送ります。

横手のイオンにたしかモスバーガーがあったはず。これから峠に向かって走っていくときに、あらかじめ腹ごしらえでも済ませておこうといって、すこしだけ遠回りして寄ってみると、売り場は深刻に縮小して、飲食店はことごとく壊滅していました。生活用品の売り物は充実しているようで、ひとの気配はかすかです。楽器屋さんを冷やかしたり、ゲームセンターで太鼓の達人なりスロットマシンで遊んだ場所は思い出だけのこしてすっかり消え去っています。売り場は合理化されてほとんど人手を必要としなく、まばらな買い物客を受け入れる駐車場は古戦場跡のようです。ひとつだけ残ったミスドでパイとドーナツをひとつずつ食べていきます。

国道13号を南にとって、湯沢、雄勝と進んで、山越えの街道にはいる手前の道の駅でひとつトイレ休憩をします。いくべき道のそばには横堀という駅があって、ここはおばあちゃんのふるさとのはずです。おさないとき父の車に家族で乗っておとずれて、ウルフルズの当時のヒット曲を機嫌よく歌っていたひとたちの記憶だけがあって、いまはここで誰がどうしているのかよく知りません。父ならすこしは知っているかもしれないけど、没交渉であることには変わりがないはずです。その横堀駅をちらりとのぞいて、いまみるべきものもなくあとにします。

山越えの羽後街道は二車線で広く、大型トラックが宮城県北と秋田県南を往来するのにもよく使われているようすのよき道路です。トラックからバイクまでが連なってのんびりと走っています。仙秋サンラインという名前がついているようだけれど、ドライブウェイとして知名度を得ているわけではなさそうでもあります。工事につき片側交互通行がいくつかあって、そのたびに長めの一時停止をていねいにとりながら、車列を守って秋ノ宮温泉郷を通って、鳴子温泉に抜けて、そのあともバイパスを並んで走ります。ほんとうに県境を超えて街と街をつなぐ道ということです。

岩出山バイパスの、ガソリンスタンド併設のセブンイレブンで休憩にします。小腹が減って、チョコバーとゼリー飲料をサクッと買えば、ガソリンの値引券がついてきます。いまここでは給油しないけど、おぼえておくとよさそうです。

古川では市街地に向かって走るうちに、むずかしい交差点があるのをぎりぎりでやり過ごして、ひと安心してふらふら直進しているうちに必要以上に深くはいりこんでしまって、関わる必要のなかった渋滞にはまってしまいます。それを抜けて、まだ覚えきっていないにせよ往路で通ったおぼえがなんとなくある道をとって、松山、鹿島台、矢本と走って自宅に到着です。

休憩をとりながら六時間弱を走って、休憩を抜いた走行時間がどれくらいだったかというと、アース・ウインド&ファイアーの2002年のベストアルバムにはディスク2枚組のぶんの再生時間があって、それの三周目にはいるくらいのもの。聴くときはいつもディスク1の一曲目から順番に聴くので、ディスク2の収録曲はこんなものだったかと知っていたり知らなかったりするのを、ぼんやりとしたり身体をゆらしたりしながら聴いたものでした。