家から車で五分くらいのところにあるジャズ喫茶にはじめてお邪魔させてもらった。

自転車でいけるほどに近くはないけれど、ちょっとした買い物といって石巻まで出かけるよりは近い。自転車でだって片道二十分くらいかければいけるわけで、中野から新宿にいくよりも近そう。そんな近所にジャズ喫茶がある。なかなか望んでも叶わないことではないか?

引越してくる前から存在はなんとなく知っていた。そうはいってもそこはジャズ喫茶というくらいのことだから、ふらっと出かけて来ましたというよりもむしろ、道をたずねて巡礼の旅の途中なのでありますというような厳粛な気持ちでおとずれるべきかと奇妙な偏見があって、すぐにはいけなかった。

おとずれる前に電話をかけて臨時の不在になっていないか確認してくださいとウェブサイトに書いてあるのをみて、すこし緊張してその電話をかけると、ほがらかな男性の声がおだやかにはずんでお待ちしていますといってくださった。おとずれてみれば、教条主義からはまったく自由で、敷居は高くない、というかそもそも敷居を感じさせない空気があった。

小さなお店であるし、知らないひとはそう来ないという安心感があるので、私語厳禁と張り紙するような緊張感はないし、むしろおしゃべりは自由になっているみたいだ。かえっておしゃべりの声が混ざるくらいのほうがライブ感があってふさわしい気もする。人生の先輩たちがマイペースにおしゃべりしているとき、その背後で爆音でジャズが流れている情景は心地いいものだとおもった。

あらかじめ電話をしてから来店したものだから、入口をあけたら「ああ、さっきの電話のかた」と話がはやくて、スピーカーの真正面にいんぎんに通していただいた。県外からですかとたずねられて、いやすぐそこの近所から、ただ引越してきたばかりではじめてなんです、といえば、自衛官さんですかと聞かれた。自衛官さんがお休みの日にのんびり音楽を聞きにこられるのを想像して、すばらしい平和の描写だとおもった。

あったかいコーヒーでいい? と聞かれてもちろんと申しあげたあと、好きなレコードとかプレーヤーとかは? とカジュアルに聞かれて、なにも準備しないでいたのでおもわずためらってしまって、おまかせのいつもかけているようなので、といちど口走った。が、それはそれでよそよそしいとおもって、よければジム・ホールきけますかとおもいきった。するとマスターは「じゃあせっかくなので長いやつにしましょう」といって、あのブルーのジャケットのアルバムをとりだして、アランフェス協奏曲をかけてくれた。もちろんなんども聴いたけれど、もう十年くらいは聞いていなくて忘れかけていた演奏になる。

イントロがはじまるのといっしょに隣に先にいらした年上のかたとの世間話で、引越しの経緯とかを話したついでに秋田育ちとはなすと、あちらは海の仕事をされていて、一年だけ土崎に住んではたらいていたことがある。冬は雪ごと吹き上げる海風がはるかに厳しかったが、それよりもおそろしかったのは冬でも雷が鳴ったことだ、とおっしゃる。気候のありかたの違いをとらえるのにそこに強調があるのはぼくは持つことのできていなかった常識だったのを、おそれおおく学ばせていただく。

そのお父さんはマスターと話して、嘘だとおもってケーブルを換えると音がよくなるというような話をして、では試してみましょうといってお帰りになったのを、海のひとでオーディオの趣味のひとでもあるのだなとお見送りした。それと入れ替わりに次のお客さんがお越しになって、マスターがぼくのことを紹介してくれたり、いまかけているのはジム・ホールっていうひとの演奏でね、とやっぱりお話をして、そのあいだもバンドは長い演奏をつづけていた。

談話が落ちついて音楽が空間を満たしてしばらくのあと、ジム・ホールのギターの即興がやってくると、弾かずして弾く、モダンを飛び越えて幽玄のかなたに吹っ飛んでいく、禅師の一喝みたいなアドリブはため息だけ残させた。ああ、これがこんなふうに鳴るからオーディオにはまってしまうんだ、と説得力のあるパフォーマンスだった。

あとからお越しになったそのお客さんは、1年半前に同窓会で久しぶりにあった中学のブラスバンド部の同級生に触発されて、はじめてジャズにはまったということをおっしゃっていて、マスターはそこで一肌脱いで聞きどころを教える役割をなさっているのだそう。いまはビッグバンドに熱心になっているところで、といいながら次にかかったのはカウント・ベイシー・オーケストラで、こちらはさっきの幽玄世界とは真逆の、いくつものホーンがおそろしくシャープな音を吹き込むと、それはひとつの音塊になって、巨大スピーカーから空気砲みたいな衝撃波が吹っ飛んできて胸をおすのを感じるくらいのおぞましい音圧だった。なんてすごいんだろう。

そのあとも、ローリンド・アルメイダ、ウェス・モンゴメリー、デューク・エリントン、オスカー・ピーターソンという順序でマスターのおまかせをたのしませてもらった。コーヒーもおいしかった。アルメイダというギタリストを存じあげなかったけど、聴いたらすぐにわかるスーパープレイヤーだった。

ジャズへどんどんハマっている隣の席のおとうさんは、ギターという楽器の音域にはじまって、知らないけど知りたいことがたくさんあるというようにぼくに聞いてくださって、ぼくも知っている範囲でそれにお答えしていた。その音は何ヘルツでしょう、と周波数を持ち出して尋ねられたのは並ならないことで、聞けば電気の仕事を長年なさったあとでピアノをはじめて習いはじめたとき、鍵盤をみつめて周波数を思い浮かべるとすんなりおぼえることができたということのよう。ぼくにはまったく知りえない境地ではあるけれど、底しれない説得力はあったのだった。