週末の2日間は仙台の音楽祭にでかけていった。ふつかとも山下洋輔さんがでてくるのにわくわくしてでかけた。

一日目は泉中央駅前のホールで、三管のアンサンブル「スーパー・ブラス・スターズ」に山下さんのピアノが加わるという趣向のもの。

まずピアノレスの三管のステージで、トロンボーンは中川英二郎さん、トランペットはエリック・ミヤシロさん、アルトサックスは本田雅人さん。余白を活かした演奏が「A列車で行こう」を、それからブルーベックの “Blue Rondo à la Turk” を、最後といってスティービー・ワンダーの “Overjoyed” を聴かせた。

そのあと山下洋輔が白くゆったりした服にベストで引き締めてゆっくりあらわれた。自作のブルースをひとつ、それから「枯葉」をやって「ボレロ」で締めた。上手のがわのステージ近くにぼくは座っていて、手元でどんなことをやっているのかはみえなかったけど、音の塊のはげしさはきっと指と肘を同時に使って叩いていた。

それぞれが短いセットのあと、合流してセッションをする流れといって “Moanin” 続いて「チュニジアの夜」をやった。山下さんは段取りをおぼえていないようなとぼけた様子で「次はなにをやるんですか」とおじいさんの瞳でみつめて、ステージ上で曲名をいわれると「はい、はい。じゃあイントロ弾きますね」という具合にリラックスした様子でコロコロと音をころがして、スタンダードをたのしませた。自由形式で激しいスタイルの演奏のあと、オーソドックスなセッションを聴かせる趣向はこうしてメリハリが効いていた。

最後にトロンボーンがリードしておだやかなテンポの “On the Sunny Side of the Street” を聴かせた。いいあらわせない美しさだった。クールで禁欲的なニューヨークの音像はしりぞいた。みたことのないはずのニューオーリンズの光と、ルイ・アームストロングのクシャッと笑った顔がきこえた。心のリズムをもちよってジャズを作りだした何百万のひとの四百年ぶんの声を耳にしたとかんじてまぶたがすこしぬれた。

二日目は旭ヶ丘の日立システムズホールのメインホールで、山下さんだけのソロピアノのステージをみた。この日も前の日とおなじようにブルースではじまって「枯葉」をはさんで「ボレロ」で締めた。骨組みがおなじというだけで、即興のスケールはいっそうおおきく飛翔してきこえた。

曲ごとにピアノから離れて、客席に向かってマイクをもってお話をされた。次の曲はですね、といって話すのはこんな思い出だった。ある朝めがさめると頭のなかにメロディが流れてくるんですね。これはジャズの曲ではないし、ジャズのひとが演奏した曲でもない。はてなんの曲だったかなとおもって、友だちに電話をかけて、このメロディなんだけど、って電話越しに弾いて聴かせたんですね。すると、それはお前の曲で、録音もしただろうって。客、笑う。

松井守男という男が画家をやっていて、はじめパリに住んでいて公演のときに泊めてもらったりしたんですけどね。コルシカを描きたいといって引越しちゃったんですね。それで次のときはコルシカに泊めてもらって、ぼくもそこで演奏して、街のひととパーティしたんです。そこにいた地元の人間に、コルシカのメロディをやってみてくれといったら、民謡を歌ったんです。言葉はなんといっているかわからないけど「ベアトリス」とだけは聞きとれたんです。それで、この曲はその民謡のメロディをアレンジした「ベアトリス」です。

そのあと「あんたがたどこさ」をアレンジしたオリジナルを、といって「仙波山」をやった。それは「あんたがたどこさ」の原型がなくなるほどに気ままでなく、形式的な処置にはジャズのモードをいれているのも聞こえて、どちらも聞こえるときにどちらでもないあたらしさが聞こえて目をみひらいた。

次の曲は、ある朝めがさめると頭のなかでメロディが流れてくるんですね。これはジャズの曲ではないし、ジャズのひとが演奏した曲でもない……この話はもういたしましたっけね。もういたしましたか、ああ、そうでしたか、といって、健忘症を装った悪ふざけなのか、そうだとしても笑っていいのかどうかよくわからないお話をされた。アメリカのペンフレンドに書いてよこされたそのフレーズが気に入って、もうひとつの気に入ったメロディにそれをあてたという “Memory Is a Funny Thing” という曲を聴かせた。

もうひとつスタンダードをお聞かせします。ただ、タイトルが思い出せないので「タラ、タッタッタラ」というんですけどね。どなたかわかりますかね? わからない? まあ、これがその曲です。といって “Stella by Starlight” をやった。調性のはっきりしたスタンダードを無調に近づくオリジナルの合間に挿入して、ひとつのスタイルの二面性をみせるやりかたのステージ作りがエキサイティングでした。

前日に続けてもういちど聴く「ボレロ」は、あらためてきくと左手が反復する音型が旋法を提示して、右手でもって和音とメロディを渾然一体にしてぶつけているのがきこえた。ホールのいちばん後ろのならびの席だったけれども、下手側にいたから鍵盤を腕と肘が叩くのがみえた。アンコールで再登壇して、ふたたびスタンダードの “It Don’t Mean a Thing” を、一秒未満に一小節が通り過ぎていく超高速のフォービートで聴かせた。リズムもハーモニーもぜんぶ身体のなかにはいっていて、頭よりも先に指がスイングしているというのがよくわかる名人芸だった。

プログラムに名前をみつけて、これの機会に聴きにいこうとおもったときには、まだまだ現役のプレイヤーという印象があったものだった。プロフィールをよくみたらもう八十三歳になられていて、さすがに枯れた演奏をなさるかな、みられるうちにみておかないとな、と老いを先入観でもってとらえたものだった。ステージにおられたのは、話せばとぼけた様子のおじいさんで、ピアノを叩けば直感が指を走らせて、円熟は理性でたどりつける場所にはなくて、達人とは恍惚にいたることとみえた。