科学フィクションの大長編は、なにも知らずに火星で遭難した人間の子が地球の「保護」を受け、やがて自立して独特の精神的成長をとげるのを描いている。
マイク・バレンタインは地球外でうまれ火星人のあいだで育ったたったひとりの子どもとしてあらわれる。はじめ地球の文化と強い重力に二重に苦しめられてきわめて薄弱だ。しかし火星のどこか東洋的な叡智は「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、極限環境を自覚によってコントロールする能力をマイクにあたえていた。だんだんかれはミケランジェロのダビデみたいに理想的な肉体を成長させて、健康的な若者として地球の暮らしを特異なやりかたで味わいはじめる。
みるものすべてを無邪気に吸収する天真爛漫のマイクと、法的には彼に火星の所有権があるといって、それを根こそぎ簒奪したがる世界連邦との政治的かけひきが物語のはじめの山場になる。ジュバル・ハーショーはマイクの代理人として立ち回る。ジル・ボードマンは看護師からそのままマイクの庇護者となる。マイクが人間離れしているとき、このふたりをかえって主役のようにして話はまわりはじめる。
とはいえ、ドキドキする政治のかけひきの劇が隠し玉であっさり終結してしまうと、なんだかまったく別の話になる。マイクとジルは身体をみせものにしてサーカスと巡業する。いろいろあって、マイクはあたらしい宗教をひらく。誰もなにも所有しないとする教義のなかで、集団乱交の快楽が宗教的陶酔と重ね合わせられる。火星からきた若者はセックスカルトの教祖になった。
荒唐無稽とまではいかなくても浅はかにみえるところはあって、それは才気と才能にあふれたはずの青年にとって最大の関心事が乱交の自由だった、というアンチクライマクスに人並みの失望をしているのだとおもう。そこに一筋の真理があることを疑いはしないけれど、凡庸にはあたるとみえた。
あらすじに還元できない細部に作家的洞察は満ちているようにみえた。しかしそれら洞察と本筋のストーリーテリングがかならずしも噛み合わず、いくぶん失敗ともみえる。
おなじ作家の大長編を続けて読んできて『月は無慈悲な夜の女王』と『宇宙の戦士』が骨太な思想に説得力を肉付けして書ききっていたと信じることができるときに、この『異星の客』はいくらか散漫だった。たくさん詰め込まれた材料はどれも魅力的だが、芯が一本とおっていないとおもわせた。
連作短編の体裁であれば、あるいは尻切れトンボになっているところも余白に変えて違う読ませかたをさせられたとおもう。短編を直列につなげて長編として読ませるのが苦しい読書だった。