スポーツの日の祝日、午後から映画館にでかけてポール・トーマス・アンダーソンのあたらしい監督作を劇場でみた。
テンションのきいた和音をピアノを強く叩く劇伴がまずきこえる。西海岸の日没の景色、それを背中に映してパーフィディア(テヤナ・テイラー)があらわれる。黒い野球帽をかぶって走る。どこに向かったか明かす前にパット(レオナルド・ディカプリオ)の顔がフェードインする。ふたりとほかの仲間は襲撃計画のために集まったようだ。パットは爆破担当でいて信念がか細げなのに比べて、パーフィディアはリーダーの自信にあふれている。
夜。テロリストたちはオタイメサの移民勾留所を襲撃する。パーフィディアは夜警のロックジョー(ショーン・ペン)を無力化したあと、性的に挑発して手玉にとる。成功したテロリストたちの引きあげる車内で、パットとパーフィディアは舌を絡める。これが冒頭のシーン。
テロリストたちは「フレンチ75」と名乗って、裁判所の爆破、銀行強盗、など「戦いまた戦い」というさまをカメラはテンポよく映していく。並行して、パーフィディアはパットと愛しあう一方で、ロックジョーに握られた弱みを逆手にとって警官とも寝るのにためらいないのをみせる。パーフィディアは妊娠して女の子を産む。パットはパパになった。しかし彼女はとまらないで、とうとうテロ活動は彼女のミス、それから逮捕、密告によって地下においやられることになる。パーフィディアはスクリーンから完全に姿を消す。十六年後、パットはボブと名を変えて、シングルファーザーとしてウィラ(チェイス・インフィニティ)を育てている。しかしロックジョーが彼らにふたたび襲いかかる。これが長い長い導入部。忙しい筋書きだ。
本筋はこのあとにまだまだ続くのだけれど、ちょっとくどくど冒頭のあらすじを述べてしまったとおりに、ドラマの前提を示すのにしつこい説明をおいてしまっている。テンポがいいふうな編集で整理したうえでもなお、かなり鈍重なつくりになっている。イントロがとにかく長い。冗長だ。そのうえ、パーフィディアという強いキャラクターを全面に立ててナラティブを推進させたあと、彼女を退場させる変化球を投げたのが映画のリズムを殺していたとおもう。
芯のある存在感をスクリーンにあらわすキャラクターははじめ、性的倒錯の白人警官しかいない。ショーン・ペンが警官を演じるといい存在感をあらわすのは実績通りで、期待を裏切らないでキャラクターを体現していた。親子の逃げ出した家を襲撃して、誰もいないことに気がついて、ふと壁にピン留めされたパーフィディアの写真をみつけると、それを剥がして鼻にあててにおいをたのしむ。変態の加減が一周して人間性の怖さの底がしれなかった。
おそろしい警察の暴力からかろうじて逃れるのは孤独な戦いで、はじめからたよりなかったディカプリオはいつまでもたよりない。それが退屈、と書くつもりではじめたパラグラフだったけど、書いてみればたよりない姿を演じさせることこそ狙い通りだった気もしてきた。とはいえ、やっぱり冗漫で退屈なところはあったというのを素直な気持ちにして我慢してみていた。ポップコーンを持ちこんだのを食べるくらいしかやることがなくて、まだ一時間も経つ前からぜんぶたいらげてしまっていた。
ディカプリオの一貫したたよりなさが緊迫した状況に喜劇の味付けをしはじめたとき、だんだん味が出はじめたとおもった。腐っても元テロリストだったもので、探知できない1G接続の化石みたいな携帯電話だけもって逃げ出してきた。でも久しぶりに使うものだから充電がみつからなくて、警察の襲撃にパニックを起こさないように仲間がせっせとはたらいているとき、おじさんがひとりで携帯を充電したくてパニックを起こしている様子のなんとなく等身大の滑稽さが、主演男優の奇妙なハイライトのひとつになっていた。仲間に電話をかければ、自己愛の強そうな堅物の同志ジョシュのもとめるパスワードを答えられなくて、間抜けな仲間どうしで仕事が前に進まないのもバカバカしくてよかった。
カーチェイスがあるらしいというのだけ、映画をみるまえにパートナーとの電話でふわっとおそわって、最終盤にそれがやってきたとき、二台じゃなくて三台で追いかけっこする図は期待を超えてめちゃくちゃいいとおもった。先頭には敵の巣から逃げ出したウィラが奪って走らす真っ白のダッジ・チャージャー、そのあとをはなれて白人至上主義のおじさんが真っ青のフォード・マスタングのGT500で追跡して、ボブが91年式の黒の日産・セントラでおいかけている。モンスターみたいな排気音のきれいな車ふたつのあとを旧式の日産が必死でドリフトきめながら追いすがるのが劇的だった。車名は知らないひとのブログにおそわった1。
いかにも速そうなピカピカのコンピュータカーの背後から、薄汚れたアナログの日産がおいかけて追いつけない。追いついたときにはピンチはある意味すぎていたけど、それでもボブが必死でおいかけてきたことがウィラにとってかけがえない意味がある、というのがキャラクターに重なりあう効果をもっていたとおもう。
離れてみればどこまでもまっすぐのびる直線道路で、運転席からの景色はジェットコースターみたいに波打って細かいアップダウンがはげしい怪物的な道は、カリフォルニアのボレゴ・スプリングスというあたりにあって「テキサス・ディップ」という呼びかたをされているらしい。映画のスピードで爆走するのはあまりに空恐ろしいけど、流して走りきれたらさぞ気持ちいいだろうなあと惚れ惚れしてみた。
ボレゴ・スプリングスをのびのび爆走する車は最高に気持ちがいいという印象を主題はそっちのけでまぶたに焼き付けさせる映画。