秋晴れの午後を半日休みにしてバイクで鳴子峡まで繰り出した。

宮城の紅葉はたったいまがみじかい見頃の真っ盛りだ。ということを週初めにおぼえた。岩出山のおばあちゃんの家からすぐにあって実はいったことのなかった鳴子峡の紅葉をみにいくべと決めたのは、月のはじめあたりに紅葉狩りの特設ページがみえるようになってすぐのことだった。気が向くたびにながめてはまだ青葉の模様がついているのをたしかめて、月末から月明けにかけて季節がくるというのを待っていた。

文化の日の三連休のどこかでおとずれればいいかと計画も立てないでいたとき、この日は平日だけれどもすばらしい秋晴れがやってくるとおそわって、それなら半日がかりで出かけてみようかしらと計画を立てはじめたらもう連休を待ちきれずにうずうずと押し出されるよりなかった。朝から出かけなかったのは、お昼まではドジャースとブルージェイズのワールドシリーズの五戦目の中継をみておきたかったからで、試合はトロントのイェサベージ投手が大活躍して若い英雄になった。最終回を横目でみながら支度をして、試合終了のあとすぐでかけた。

真夏用のジャケットをしまってから、秋用のジャケットの季節はまばたきするあいだに通りすぎて、冬用のジャケットを着ていくことにする。なにせ朝の気温は3℃だった。着脱できる襟巻きをいちど装着して、外に出てからさすがにそこまで寒くはないかと思い直して、もういちどはずしてリュックにしまった。お日さまはあたたかくて気持ちがよくて、それでも走り出したら冷たい風が首をチクリとさす秋の気候だった。

頭をからっぽにして走っていった。矢本から鹿島台。途中でもよおさないようにと念押しのトイレを二度すませてから出てきたのに、出てから二十分もするころにはいきなり強烈な尿意にノックアウトされてコンビニにかけこんだ。お昼をどこで食べようかと考えながら走っていたけど、トイレのついでにウィダーインゼリーをひとつ飲みこんで、まあこれで一気に目的地までいくかと決めた。古川の市内を避ける抜け道をナビゲーションされるがままに通っていたら、信号待ちのところでメタリックパープルのド派手なポルシェが目立ちまくっているのがみえた。

古川からは向こうしばらくはおばあちゃんの家にいくのに見慣れた道。バイクで来るのははじめてで、二車線のまっすぐな道を、昔から変わらない田園風景と古看板をながめながらすぎていった。岩出山にすこしよりたい欲もあった。とはいえ、好きだったラーメン屋さんは閉じてしまって、さいきん教わったジャズ喫茶も定休日としらべてきたので、またこんど来ましょうといって、町への入口は横目に通りすぎた。

岩出山から鳴子までは、あるときまで東北道で帰省していた家族が、実は鳴子と湯沢の峠を越えていけば高速道路よりも早いと知るようになってから使いはじめた道で、ぼくはこのまえのお墓参りのときにもいちど使っている。なんとなくあっという間のつもりでいたのが、実は20キロ弱のそこそこ長い道で、そのあいだずっと田んぼが広がるのどかな道をふたたび頭をからっぽにして走った。遠くにみえるあの山にぼくはこれからいくのだろうかと遠い目でながめるうちに、その山なみはみるみるせまってきた。やがてヤマハのSR400のカスタムだとおもうバイクにおいついて、おだやかに走ってくれるのをいいペースメーカーとして頼って、もうまぶしい午後の西日に目をくらまされないようにゆっくり抜けていった。

テレビでみたことも何度もあるこけしのおおきな立像のあたりが湯沢に曲がっていく信号で、そこを曲がらずに鳴子峡に向かうとすべてはじめての景色となる。道路沿いには登坂不能車両多発注意と書いていて、どれほど厳しい坂道だろうとおもってのぞめば、いうほどのものではなかった。拍子抜け、というよりは、めったに運転しないひともこぞってやってくるくらいの大観光名所なのだとおもう。その坂をのぼって、トンネルをくぐったさきの立派な橋をわたるとき、きれいに色づいた峡谷が両側にひらけるのをひとあしはやく垣間みた。垣間みて通りすぎたあとすぐレストハウスの駐車場がみえて、二百円を手渡しして背の高い林の陰に駐めた。

これが東北でいちばんの紅葉かと無心になってながめた。メラメラと真っ赤に染まるというのでなくて、いちめんの緑だったものがあちらこちらでひと夏の仕事を終えて、色のない色に移ろっていくその脱落的な変化のありさまを美しいとするのにはかない情があるとおもった。ひとなみに写真に映して絵を持ち帰りはしたけれど、ひとの心を揺らす美しさは視覚的なイメージに静的に備わっているのではなかった。移ろいゆくことそのものの雄大な運動のなかにあって米粒よりかすかな存在のヒトが立って空と山のスケールのおおきさに押しつぶされそうになる。それが、そのなかにあってわれは存在すると疑わないことを徒労とおもわせて、これは美しいと指示することさえ無限の模様と米粒の対比のもとでは不毛な調子こきだったのではないかとかんがえさせる、宇宙的な自然の神秘そのものだった。没我にかたむきかけて、やすい味噌ラーメンの味が地に足をふたたび固定するのを手伝ってくれた。

レストハウスのベンチに座ってツーリングマップルをながめなおしたら、鳴子温泉駅から山のほうに向かってピンク色の道がのびているのがみえた。ピンクはそこを走ること自体を目的にしていいくらい素晴らしい道の印ということになっている。細い道のようにみえるけど、あんまり長いようにはみえないし、帰り道からもおおきくはずれないからここにいってみよう。日帰り温泉にはいるのもありかなあといって入浴道具はもってきたけど、風呂にはいっているあいだに日が暮れてそれから帰るのだとかならず湯冷めして風邪ひきそうだし、それよりは日が暮れるまでにできるだけ景色をみておこう。そうおもって鳴子峡を出て、寄り道をしながら古川にもどらないで栗原町のほうに向かってみることにした。

鳴子温泉からピンク色の道にはいっていく道はちょっとむずかしくて、古い町並みからホテルに向かわせる私道みたいになっている急な坂を登った先が抜け道になっていた。私道じゃないかねと疑いながらはいっていった道が二車線に変わって、かなりの勾配がついている坂を低いギアでぐいぐいのぼっていったら、急に景色がひらけて一面のすすき野原があった。日没がはじまろうとして、白いお月様が真上にみえて、これも紅葉とはまた別の秋だけのうつくしい景色とおもった。おもわずバイクをとめて写真をうつした。まだら模様のねこ一匹がゆうゆうと道を横切った。

目指した道にたどりつくと、それは地図上の表示でおもったよりもさらに細くて暗い林のなかへ導く道で、軽トラック一台さえうまく通り抜けるには技術がいるようなありさまにみえた。この日は朝から降っていないはずなのに水たまり、ぬかるみ、タイヤが泥を踏んだあたらしい跡がいくつもみえた。もうすこしで夕焼けの時間でただでさえほの暗くなりはじめているのに、高く生えて鬱蒼とした林がいっそう暗くしていた。あんまり細い道で引き返すためのターンもできないし、道はあるが家やひとの影はひとつもみえない。アスファルトはひびわれるだけでなく、いよいよ苔むして健康そうな緑色に光っていた。ひとの世界から外に出てきてしまったみたいだ。熊が出たらどうしようと気分がざわめいた。

林を抜けたら絶景そのものがあった。うわあ! と声をだして賛称した。それは見事な野原を林に沿ってとおる道で、視界に人工物とみえるものは足のしたにあるたよりない道のほかなにもなかった。すこし進むと稲刈りを終えたあとの田んぼがいくらかあって、ここに通うためだけの道であったのだとおもう。しかし際限なく広がってみえる野原のほんの端っこに数面のつつましい田畑があるほかは未耕作の荒地のようにみえるし、わずかな田んぼも終わってなにも残っていないから、いっそう野生の景色にみえる。

ほんとうにヒトの痕跡が希薄な空間で、おそろしいほどのさみしさがすなわち野原の崇高な広大さだった。ヘルメットのシールドをあげて、20キロも出さないで、風の音、砂を踏む音、静かにトコトコ鳴るエンジンの音を味わいながらゆっくり過ぎた。濡れたり乾いたりいそがしいゾーンに差し掛かったら、あたらしくタイヤが踏んで濡らした跡がみえて、ちゃんとこの道は出口に向かっているぞと安心してたどった。この秘密の細道を通ったことがこの日のみじかい大冒険のハイライトだった。

細道を抜けたらきちんとした道路にわたれて、そこから川渡温泉にもどった。そこからは快適な道路を鳴子池月線、登米街道とわたって、一時間かけて栗原につくころには夕焼けもみえなくなった。寒さが指先に襲いかかるようになった。雁の群れが頭のうえをクワックワッといいながら横切った。伊豆沼に帰っていくみたいだ。

その伊豆沼のほとりにあるジャズ喫茶の「コロポックル」というお店が閉店まであと一時間くらいやっているのに寄った。芯まで冷え切ってはいって、コーヒーとチーズケーキをいただいた。つけあわせの柿は近くの山で採ったものを自家製で処理してみた実験的メニューなんです、渋くないといいんですが、といっておられた。あまくておいしい柿だった。スピーカーは立派で、グランドピアノもおいてあった。音源はみなデジタルのもので、曲が変わるたびにディスプレイにデータが映し出された。ぼくはテキストがあれば読んでしまうし、テキストをみてしまうと音をちゃんときけなくなってしまう未熟者だなとおもった。

六時の閉店でお店を出た。いよいよあたりは真っ暗で、雁たちも静かになっていそうだった。襟と袖に風よけとりつけて装備した。これ以上あたたかくすることはできないのに、それでもなお指先から寒さがこたえた。

みやぎ県北道路という名前の自動車専用道路を通って、登米インターから三陸道の上りに乗った。入浴道具があるから途中の道の駅に寄ってお風呂にはいっていこうかともういちどかんがえた。ほんとうに寒くて、腹も減ったが風呂にもはいりたい。ただ、温まったあともういちどこの寒さに身をさらすくらいなら、一気に帰って冒険をおしまいにしてしまいたくもある。結局、寄り道をしないで帰るのがいちばん早いし危険もすくないとおもって、腹を空かせたまま帰った。

半日のツーリングで170キロを走った。なにを食べればいいんだっけとおもって冷蔵庫をあけたらパスタソースのあまりがあって、スパゲティもちょうと一食分あまっていたから、すぐそれをあたためてたべた。