月曜日は文化の日。朝からワールドシリーズで山本投手が投げるのをみるのに釘付けになってたいして出かけずにいた土日のあと、もう一日まで家にいてぼんやりするよりは出かけてやろうという気分になった。
南三陸、気仙沼、大船渡。どれもまだいったことのない沿岸の町で、ここにはこれがあっていってみるといいという知恵をこのまえもらったところだった。ひどい天気の予感はなかったけれども、雨上がりの朝にビオラのしおれた花を摘んでやりに外にでたら、一面曇天とまでいかなくとも重くて暗い雲がただよっているのがみえた。天気予報も小雨に注意と話していた。ということで、きょうはバイクにはお休みいただいて、車で南三陸までいって帰ってくるだけのドライブをすることに、です。
最短経路をいくならば内陸をまっすぐに横切って直線で向かえばいい。ドライブをおもしろがるなら、女川からリアス式海岸に沿って北にのぼっていくとたいした気晴らしになりそう。もちろんおもしろみのあるほうに向かってみよう。そうして女川までひとつ走らせて、だんだん前後と対向車線にバイクの群れが増えるのをみたら、しまったきょうはイケる日だったかとすこし後悔が浮きあがった。
リアス式海岸に沿って走る道にはリアスブルーラインと名前がつけられていて、海沿いの観光道路は海岸といつまでも並走する快走路ではなくて、細かいカーブとアップダウンを丁寧にかわして抜けさせる、いかにもスポーツカー向けの道路だ。女川港を過ぎたところのトンネルが入口になっていて、一気に勾配をのぼらせるとき、前にいた旧式のかわいらしい軽自動車が馬力を出せずに引っかかって、後ろにバイクの列をうずうずと待たせていた。軽が折れて消えたあと、さすがにもっと飛ばしたいでしょうとおもってバイカーたちを先に通してやったら、ぞくぞくと山道に突撃して一瞬でみえなくなった。
前にも後ろにも誰もいなくなって、紅葉のトンネルをのんびり抜けた。気兼ねのないのが楽だった。テクニカルなリアスブルーラインを過ぎて、新北上川を渡ったらこんどは堤防に沿って走らされて、長い砂州を横目に見晴らして進んだ。さいきん出たスクリャービンの管弦楽全集をたいして知らないで聴き流していたら、朗々とした声楽がいきなりあらわれて、こりゃすごいものを聴いたという気がした。交響曲第一番といった。
神割崎という景勝があるのをおぼえてきたとおりに寄り道して、どこが駐車場かしらとぼんやり通り過ぎて、たくさん車のあるところにひとまず駐めてみたら、それはキャンプ場の入口で、みるべきものは三百メートルうしろにあった。駐車してエンジンを切ろうという瞬間に、休憩にしてはいかがですかとカーナビがお節介をおっしゃった。あたたかい缶コーヒーを握って手を温めながらとぼとぼ歩いていったところに、そこを降りれば大岩が真っ二つに割れているのがおがめるという歩道をみつけた。水ぎわまで降りたら、峻とした巨大石の谷間をとおして太平洋をながめるのはたしかに荘厳で、その巨大石を取り囲んで二方向から代わる代わる激しい波が押し寄せて、右から左からすさまじいしぶきをあげているのも壮観だった。涓滴岩を穿つというときに、激しい波の攻撃にびくともしていないようにみえる岩の壁と足場こそ悠々としてみえた。
そこから南三陸市街までは20キロばかり。日差しがぽかぽかと射して、窓をさげれば空気は冷たいけれども、あげればいっそ暑かった。すっかりバイク日和じゃないか。天気予報のあてにならないこと、と口に出さないで、すこしだけ窓をさげて空気をめぐらせながらいった。
南三陸さんさん商店街、という施設があって、そこにいけば海産物を食べさせるレストランと、地産のおみやげ屋さんと、震災伝承館があつまっている。だいたいこのへんかな、とおもって横をみたら、この広さの駐車場にこんなに車が駐まっていたら、まずここがそこに違いないと信じさせる景色があって、えいやとそこにはいったらそれが正解だった。ちょうど正午を過ぎたところで、お昼を食べるおなかの準備はばっちりで、食堂にはいってカキフライ定食を食べた。ころもがきめこまかくて、みるから巨大というのではなく箸でひょいともちあがるのをひとくちで半分かじってやると、口のなかで熱い栄養が爆発するうまさだった。
震災伝承館をのぞいた。ひとつの家族の被災と避難のありさまを語った漫画をみせていた。復興にとりかかったころの商店街のひとたちのたくさんの集合写真をみせていた。津波で消えてしまった古い町の写真をあつめて景色をみせていた。悪夢のことは間接的にだけ示すようにしているのが切ない痛みだった。いい施設だったとおもう。追加料金によってさらに奥の展示をみられるようになっている様子で、そこには向かわなかった。
自家焙煎と書いてある雑貨屋さんのカフェでコーヒーをいただいた。チーズケーキもいただいた。なめらかだけど舌でかんたんにおしつぶせるほどやわではなくて、しっかり噛み砕いて味わうことを要求するチーズケーキだった。噛み砕くほど香りが増えて、濃くて苦い熱いコーヒーによくあった。しばらく鎮座して本を読んでからでた。
まだ日のあたたかいなか登米行きの本吉街道をとおった。そうでなくても西日がまぶしすぎるとき、森がさえぎる日かげにふっとはいると、激しい明暗の移り変わりに視力がひどく弱められる。日なたから日かげにはいるのといっしょに急カーブが待っているところでは、まず殺しにきているぞという気分がした。下道にはそういう危険もあることをおぼえて、とことんまで減速して走るか、そうでなければ三陸道にいさぎよく流れるのがよかったとおもう。
この日は高速道路を使わずに道をおぼえようというサブ目標もあって、いくつかのインターを通り過ぎて、新北上川に沿った一関街道にはいって南にまっすぐおりていったのだった。これをまっすぐいったらやがて石巻に出て、そうしたらあとは知っている道のはずと暗記した頭のなかの地図にしたがっていった。
その頭のなかの地図がまだ直進するはずとささやくときに、路上の標識はこれを右折したら石巻、直進したらどっか的外れの土地、と説明しているのがみえて、なにかおかしいぞとおもいながら右折して橋を渡ったら、迷った。ここから石巻市という看板こそみえたけれども、石巻市街とおしえてくれる表示は消えてしまった。あとから地図を復習して、右折すれば石巻というのは、右折すれば(もはや南三陸町ではなくて)石巻(市)というくらいの意味だとわかった。不親切だとおもうけど、地政的にそういう表現をせざるをえないということ?
だいたいの方向感覚は残っていて、具体的な曲がり角がわからないときに、これを進んだら西に流れるだけだからこれを曲がって太そうな道に合流すればいいじゃろ、と適当にハンドルを切ったら、それが三陸道の入口だった。折り返せないしもういいや、とそこから高速でまっすぐ帰ってきた。まあ、ええじゃろ。
夕飯の買い物と料理とをしないといけないけど、まだ早いし面倒くさいなとおもって、図書館に寄り道した。きのうまで制作していたサンドアート選手権の完成品がならんでいるのをみた。南三陸との往復ではとうとう雨は降らなかったけど、近所の道路は濡れていて、日はまだ残っているのにひどく冷えた。北に秋の陽気があったとき、南では冷たい雨が降っていたんだとおもう。暇つぶしの本をひとつ読み終わってから、スーパーで鍋の具材をあつめて帰った。