なにも予定のない土曜日の午後に近所のジャズ喫茶「アビーロード」に繰り出した。
いつもマスターのおまかせで聴かせてもらって満足しているけれど、こんどはリクエストをもっていこうかなと前の夜にすこしかんがえてからでかけた。チャールズ・ミンガスのかジョー・ヘンダーソンかを聴かせてもらおうかなとおもっていた。
そのミンガスの『Ah Um』を予習のつもりでかけながら家の掃除をして、車のなかでもミンガスを続けて、お店についたらドアの前でさっそく爆音がきこえた。はいったら先客がおひとり。なにもいわない先から待ち構えていたみたいにミンガスの『直立猿人』がかかりはじめた。すっごい音圧だった。もう満足して、もうきょう出かけてきた元はとれた。
それからこんな順番でやっぱりおすすめまかせで聴かせてもらった
- ウェイン・ショーターの『ジュジュ』
- ウェス・モンゴメリーの『フルハウス』
- マイルス・デイヴィスの『ESP』
- ドナルド・バードの『バード・イン・フライト』
- デューク・エリントンの『ザ・グレート・パリ・コンサート』
- サラ・ヴォーンの『アフター・アワーズ・アット・ザ・ロンドン・ハウス』
- ポール・ウィナーズの『ポール・ウィナーズ・ライド・アゲン』
演奏中の作品は楽譜台にLPのジャケットをぽんとおくので、それをみればいつでも勉強になるシステムにはなっている。まず目をつむって聴いて誰の演奏か当てるゲームをぼくは無言で試みていた。強烈な長尺のドラムソロが大爆発しているのをきいて、これはわからないけどアート・ブレイキーかな、とおもった。目をあけたら譜面台にはマイルスの『ESP』が鎮座していて「あっ」と虚をつかれた。やばいドラムを叩いたのはトニー・ウィリアムスだった。何度も聴いたはずの録音がB面から聴くとはじめてみたいに新鮮にきこえるのは、単なる勉強不足でもあたらしい発見でもあった。
こんなのはもう聴き倒してるだろうけど…とマスターがおっしゃってかけてくれたドナルド・バードは、実ははじめて聴いたと世間話をした。楽器の音域の低いところでロングトーンをたっぷり聴かせて繊細なバラード曲がすぐれてよかった。
もっとも、いちばんぶっ飛んだのは、入店すぐにミンガスを浴びせられたあと続けて浴びせられたウェイン・ショーターの『ジュジュ』だった。テーマに聴きおぼえがあるのはライブ映像のどれかで聴いたことがあったのだとおもうけれど、オリジナル版を聴くのははじめてだったかもしれない。大学のときにもこのアルバムはもっていなかったとおもう。
ジャケットの裏のライナーを読ませてもらうと、ハイチでヴードゥーと呼ぶまじないに似たものを西アフリカではジュジュと呼びあらわす。そこから表題をとっているらしい。調を判然とさせないメロディの展開はたしかにまじないじみているなとおもって一曲目を聴いた。
続く二曲目こそいっそうおそろしい推進力で、すべての音が完璧でこれ以外にありえないと信じさせる結びかたの音列を、ヒリヒリする完全即興の緊張感で運びきった。なんて天才なんだ、とぼくごときが言うまでもなく明瞭なことをあらためて耳に叩きこんで圧倒する演奏と録音だった。カルテットの人選はマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、レジー・ワークマン。バンドも盤石だけれども、若いリーダーとしてのウェイン・ショーターはあまりにもカッコよすぎる。
おそろしい神がかりの演奏のタイトルは「デリュージ」とジャケット裏に書いてあるのをおぼえて、たしかに洪水みたいな演奏だった。みせかけの手数が音の洪水を生んでいるというよりも、わきでて止まらないアイデアが自由に飛躍しながらより高い水準の秩序を守きっているのが水のようにうつくしかった。
オチは家に帰って復習してからついた。先入観がアルバムのA面がかかっているのだとおもわせたとき、マスターが聴かせたのはふたたびB面のほうだった。曲名リストのうえから二番目の「デリュージ」だと信じて、表題にひきつけられて洪水みたいだと印象付けたあのいちじるしく激しい演奏の曲名は「イエス・オア・ノー」といった。なんか聴いたことあるモチーフだしたぶんこれがタイトルナンバーだろうなとおもいこんでいたのは「ジュジュ」ではなくて「マージャン」だった。
キツネに化かされたような気持ちさえ、お釈迦様みたいにおおきな音楽家の手のひらで転がされたら降参するよりないとおもわせた。こうしてウェイン・ショーターの『ジュジュ』B面はぼくにとってただちに伝説的なお気に入りになった。