特別上映のアニメ映画をレイトショーでみる。

二時間の映画は監督を三人たてて三本立てのオムニバスになっている。ひとつめは森本晃司の『彼女の想いで / Magnetic Rose』、ふたつめは岡村天斎の『最臭兵器 / Stink Bomb』、みっつめは大友克洋の『大砲の街 / Canon Fodder』、これで三本。

宇宙に朽ちた人工衛星を映して、なにか技術がそれを空から消す。別の空間に移動させたらしい。辺境宇宙のゴミ回収といって、船は男四人を乗せていく。乗員はイワノフ、青島、ミゲル、ハインツ、とそれぞれ呼び合っている。救難信号を受けて、宇宙法がそれに応じないことを違法にしていることを示唆してみなもとをおとずれると、デス・スターみたいに巨大な宇宙船の残骸があった。ミゲルとハインツは調査に乗り込んで、ひとりの女の幻影をみる、やがて翻弄される。

これが『彼女の想いで / Magnetic Rose』の導入。これがいちばんよかった。ハインツのみる幻影が、娘のエミリーの姿をとって彼をまどわす緊張を引っ張ってみせて、もう死んだはずの女の姿をベッドのなかにみせる。それがヒッチコックの『サイコ』を経由して、フォークナーの「エミリーに薔薇を」への言及になっている。

うわ、フォークナーじゃん。いや、よく考えたらずっとエミリーの話をしていて、それじゃん。というのをみせられて、オタク的に興奮して印象を書きこんだというのが率直なところで、内容とは別にギミックだけで評価しちゃっているかも。そうはいっても、重力のない世界のぎこちない手つき、重力を得たときの心もとない足つき、みえないものがみえたり、触りたいものに触れない幻惑のもどかしさを、生身の人間を映しては満たせないやりかたで描いているのが、アニメ独特の手触りをつくっている。それは映像のわざとして秀でてもいた。

これでまだ一本だけ。あと二本これと同水準の骨太なストーリーテリングが待ち受けている、とおもってわくわくして待ったところへ、やってきたのは思いがけない転調だった。ふたつめの『最臭兵器 / Stink Bomb』は、表題に汚言症がみられるのに反さないで、リアリティとシリアスさを一気に最小にかたむけて、荒唐無稽なコメディにトーンを変えた。

田中は製薬会社の若い研究社員で、山梨の冬に風邪をもらった。所長の部屋に新薬のサンプルがあるらしいぜ、赤い瓶の青いカプセル、と同僚にきいて、解熱剤とおもって「青い瓶の赤いカプセル」を一錠のむ。勤め人たちと実験マウスがなにやら臭いがおかしいぞと気にしはじめたころ、いったい誰があれを触ったと所長は怒り狂っている。やがておそろしく静かな朝の光は、死体になった同僚たちを田中にみせた。

これが導入で、やらかしの顛末からして間の抜けた田中はいまや歩く生物兵器となった。目の前でバタバタとひとが死ぬなか、東京の本社にレポートを運ぼうとする凡庸な田中と、それが国家と世界の危機といって彼の命を狙ってことごとく失敗する背広と軍服の対比が喜劇になっている。田中のスーパーカブが無人の中央道を走って、トンネルを抜けたら空をおおいつくす軍用ヘリがいて、嘘みたいな弾幕を嘘みたいに原付がかわしていくさまは、なんというか内向にすぎるようにみえたものだった。軽いオチを最後に配してきれいに閉じたことにする手際はいいリズムをみせていた。

最後が大友克洋の手になる『大砲の街 / Canon Fodder』となって、これはまたタッチを大幅にかえて、ホモ・サピエンスではなさそうな身体をもった人間種族の家族が蒸気と鉄の要塞都市で暮らすさまをみせる。親子の名前もいわないで、おそろしくディテールに拘泥したアニメーションはファシストへの当てこすりと憧憬の両方をどことなく含んでいそうなまなざしを向けた。細部にわたる描き込みを徹底した画づくりは嘆息ものにして、心情というものをことごとく捨象して乾いたものにこだわるやりかたは、すこし退屈だった。あまり人間のことをまめまめしく話したくない気持ちで作ったのだとして、ある事柄どもへの無関心と、ある些細なことがらどもへの高い関心がめずらしいバランスを伴っているとみれば、それを作りたくさせる気持ちはわかるとおもった。

気分のかたよったままオムニバス映画は不意に終わった。レイトショーのスクリーンをみつめていたのはぼくをいれて三人だけで、終映後の映画館にはひとりの係員さんとひとりの警備員さんだけが居残りをしていて、駐車場にもどってから入口をみたらその警備員さんが自動ドアに鍵をかけておしまいにしていた。