2メートル超えのあたらしいクリスマスツリーに大小百個のオーナメントをつける。
引越して広くなった平屋の家は天井も高くて、おおきなクリスマスツリーをおいても狭くなるどころか、かえって調和のとれた賑わいができそう。それで11月の頭ころからアメリカのパートナーとふたりで計画をたてた。
候補にあがったなかでいちばんおおきなツリーは220センチで、直径も1メートル以上ある。イケアにいけば生木の販売と回収をやっていて、それもよさそうにみえたものだった。でも数年前は巨大な木をだしていたらしいのが、いまでは背より低いくらいのサイズだけになってしまっている。背より高い、とにかくおおきなもののほうが見栄えがするべし、というのをスタート地点にして、選んだのは220センチの逸品になった。
パートナーがあらかじめ注文して家に届くように手配してくれたのが先に届いた。ニトリにあるオーナメントのセットが、オンラインでは品切れになっているけど、石巻の店舗になら在庫僅少で残っているらしいとおそわって、車で買いに出かけた。彼女が帰国するまでのあいだはまだ手をつけずに待っておいて、帰国のあとも出張やらでにぎやかな予定が終わったあと、日曜日にツリーの組み立てと飾り付けをする。
リビングの壁沿いのところの空間をあけて、養生テープで印をつけたところに足をたてて、上中下のみっつに分かれて束ねられたツリーを枝ごとにひとつずつ広げていった。棒みたいにたたまれた枝をはじめ水平方向にひろげてやる。下のほうの枝ほど下向きに、上に向かうほど上向きにするのがいいはず、といって進むにつけて、なんとなく見栄えが悪いような気がして、枝を単に水平にするだけにせずに、立ち上げるようにしてランダムに動かしてやったら、にわかにモミの木らしさが前面に出てきた。さっきまでのも悪くないかとおもったけど、あとからおもえばモミの木が熱帯雨林に憧れて化けて出たみたいになっていたわね、と笑い話になった。
クリスマスの音楽集をながしながら進めて、下段、中段と完成させた。さいごに上段の枝をはめ込んでみると、なんだか恵みに恵まれた下半身から貧弱な胴体が生えてきたみたいに不格好になってしまっていた。これまたなにかがおかしいなといって点検したら、枝を展開させるのがここだけ二段構えになっていて、力で枝を押し広げなおしたら、きちんと頭から足まで立派なツリーに出来上がった。その、あれおかしいな、と気づく瞬間はビデオに撮ってあって、そのなかではボレロみたいな伴奏の「リトル・ドラマー・ボーイ」をケニー・バレルが弾いているのにあわせて演劇ぶってツリーを完成ようとしたはずが、完成したはずのツリーはたけのこの子が季節を間違えて生えてきたみたいな奇妙なたたずまいで、そのアンバランスさにおもわず笑いを炸裂させずにはいられない様子がいかにも縁起のいい傑作で、すばらしいおもいでそのものとして映っている。
やすみやすみはたらいたとはいっても、昼からはじめたひと仕事を終わらせたときには日の暮れる時間になっていた。とはいえ冬至まぎわのことで、それからニトリとセリアにすこし買い物に出かけて、たまのビールをきょうは飲みたいといったらいいねといってそのままお酒と惣菜を買って帰った。前の日からの余り物のきんぴらごぼうと、値引きになっていたお刺身とかきめしとビーフンをつまんでたべた。
ひとやすみしたあとオーナメントの飾り付けもやりたくなって、そのままはじめた。輪っかで通せばくぐらせるだけで飾れるようになっている金色の紐をまずはさみで切って、緑色の針金につけかえて、枝になじんで便利につけられるように改造した。おおきな飾りからツリーにくっつけはじめるときに、できるだけおおきいのは下のほうに、ちいさいのは上のほうにといって、飾りつけのサイズと色のバランスが目のなかにリズムを作るように指揮して、ひとつずつ吟味してぶらさげていった。深夜にかけて六割までを飾り付けて、次のお昼すぎに残りのぜんぶも配置できて、今年の立派なクリスマスツリーが完成した。
大小百個くらいのオーナメントの種類とサイズごとの個数をツリーのおおきさから見積もって、これだけあれば満足できると計画して、アメリカで手にはいるものと日本で手にはいるものを組み合わせて計画してくれたのはパートナーのこだわりで、こちらはそのたのしみを半分おすそわけしてもらうのにあずかって、近くに立ったら見あげるほかないような巨大なツリーを家にむかえられた。ふっとカーテンをあけて朝日をいれると立派なツリーがある、ふっと仕事のあいまに横をみやると立派なツリーがある、ふっと凍えて帰って明かりをつけると立派なツリーがある。という具合になにかとながめずにはいられないツリーのことをながめるごとに無言のやすらぎが湧くような気分を感じているのを発見すると、いちばんおおきなこのツリーこそいちばんここにふさわしいもので、いちばんふさわしいものを完成させられて、あとはもうひといきでこの年も平穏に越せそうだぞと積極的なおもいがするものです。