市民センターの調理室と会議室を借りてクリスマス会をするのというのに、料理を一品もちよって、会場の設営とか運営の手伝いをさせてもらった日のこと。
持ち寄りの料理は、鶏肉をクリーム煮にできるというのをぼくがいちど作ってあげたのをおもいだして、それにチーズをかけて焼いたらグラタンができるよ、とパートナーがいった。彼女はその日の午前までは盛岡に用があってはなれていたから、先に買い物と調理の半分くらいを済ませておいた。こども向けにはコーンいり、おとな向けにはほうれん草いりの二本立てにしようと作戦を立てていたのが、あんがいコーンだけでもたくさん種ができてしまったから、これひとつをもっていけばちょうどいいね、といった。ひとつだけ焼くのでも、チーズに焦げ目をつけるのにうちのオーブンはすこし手間取った。
しっかり出来上がった焼き立てのグラタンを、無印の紙袋にいれてもっていった。裏方の集合時間は13時といわれていたところ、料理の段取りのために三十分以上おくれていったら、まだちらほらとしかひとはあらわれていなかった。椅子と机を出し入れしてならべた。子どもたちがクリスマスツリーを飾り付けようとして、オーナメントに紐がついていなくてぶらさげられないとヘルプを叫んで、それならうちに針金があまっているはずだからトッテきますよ! と家まで往復して、ついでにチョコレートをおみやげに配ってあげて、ツリーができるのをながめた。
おおきな会議室にキーボードとギターをひろげて音響の設定をしていたひとは、はじめ「教会のひと」とだけ紹介された。でも「教会のひと」はほかにはまだみえなかった。それでもサウンドチェックのしごとまでこのひとがひとりでぜんぶ終わらせてしまったのをみてはなして、こんなことをきいた。きょうは埼玉から東松島まで車できた。これまでもなんどかこういう会のアシストをした。プロテスタントの教会のこの流派は、アメリカに本山があって、国内にはあまりたくさんの教会がない。教会ではたらいているというのではなくて、平日はシステム会社でコンプライアンスのしごとをして、週末にボランティアで教会のしごとをしている。クリスマス会が終わったら、その足で埼玉までドライブして帰って、あしたはまたしごとがある。
やがてお客さんがたが到着しはじめて、これはなんの料理です、といって次々においていってくれるのをきいて、カードをつけて整列させていった。調理室にいて立ち回っていると、隣からクリスマスキャロルを歌うのがきこえてきた。教会の信徒としてこられるかたが主で、こちらはその裏方のしごとをして、平和な時間のおすそわけにあずかったようだった。讃美歌のセッションと、クリスマスの説教を日英語の二本立てで拝聴した。
食事の時間がはじまるというときに、家でひと仕事おえたパートナーが徒歩でやってきたのがまにあって、配膳の手伝いとかジュースを注ぐ係をしばらくやって、やがてお手伝い係のわれらのほうでもごはんを食べていい時間になった。七面鳥の丸焼きのほか、フライドチキン、たっぷりの餃子、フィリピンの甘いおもちごはんなど、たんまりたべた。正月みたいに満腹になってなお、デザートがまだありますよといって追加があって、フルーツ類をいっそうおなかに詰め込んだ。はじめて連れてきたパートナーも、おばちゃんたちの輪のなかにいて、たのしそうに談笑していて、ああよかった、とぼくはそれをながめていた。
使い捨て容器をだれかがわけてくれて、余ったごはんを好きに持ち帰っていいというので、七面鳥と餃子と煮物とかぶの浅漬をいただいた。子どもたちが頭に紙コップを乗せて落とさないようにしずかに歩くゲームをして盛りあがっているのを、あついコーヒーをもらって飲みながらしずかにみた。ゲームはほかにもふたつくらい用意していたというらしいのだけれど、ひとつやったらもう後片付けをはじめなければいけない時間だ。集合写真をひとつ撮って、お客さんたちはお帰りいただいて、われらは会場の後片付けをして、よいお年をといって、帰っていった。
手作りのいくらを少量だけRさんが持ち寄ってくれていたのを、これはちょっと取りづらいかもしれないわねといってテーブルには並べずに温存してしまっていて、でもせっかくなのでどうぞといわれるままにいただいて持ち帰って、次の日の朝ごはんはうちで余っていた焼き鮭をほぐして、ぷちぷちのいくらをまぶして、これはうまいぞといって食べた。煮物も浅漬もうまかった。年末のごちそうは実にうまい!