リッチモンドホテルで冬の夜明けとともに目が覚めるとただちに目がパチンとさえている。
ゆうべ深夜に到着した街をふらりと散歩する。西口から地下道をわたって東口に出ると、飯坂線と阿武隈急行線への道がある。改札の外からながめて、きょうはこれに乗り歩くのだと決める。駅構内のマクドナルドで朝をたべる。
ゆっくりチェックアウトしてから、県立美術館まで二駅二十分をあるく。曇。雪は道端にすこし残っているだけで、スニーカーで散歩するのには上等となっている。
県立美術館は県立図書館と隣りあっていて、石畳と芝生のひろい空間のむこうに宮殿のような建築がある。プロイセンの地味な宮殿からいっそう修飾をとりのぞいてモダンに仕上げたみたいにみえる。
企画展は、ともに福島県人の若松光一郎と鎌田正蔵をとりあげて、時系列にふたりの芸術家の作品をならべてみせている。ふたりともお亡くなりになっている。
戦前に東京美術学校の同窓生として歩みはじめたふたりは、戦後ともに帰郷して、いわきと郡山でそれぞれ制作した。油絵、洋画からはじまった芸術探求は、前衛へのあこがれに結んでは離れて、最後にはふたりにそれぞれ異なる自分だけの抽象を発見させたようだ。
企画展示場には出口がない。最後までみとどけたら、入口まで引き返して退出することになる。晩年の作品が色彩と記号にビジョンを還元する身軽さにいたったのをみたあと、入口にもどりながら冒頭の油彩をふたたびみる。するとそれはいかにも油彩教育の同時代的な規範に沿った表現にみえてしまうもので、そこに教育があたえたとどうじにそこに縛りつけた鉄のくびきの存在感をうかがう。そうして自由な表現の探索は人生ほどの長い時間を要求して、それは賭けるに値するものであることをみる。
晴。美術館図書館前駅で紙の切符を買って、飯坂線に乗る。飯坂温泉駅までゆっくり走る。
駅前の観光案内所で観光地図をいただいて、観光通りから一本はいったところにある食堂で、店名ものれんも出さない、くもりガラスでなかもみえないが「営業中」とだけ札のかかっている、笑楽庵というお店にはいる。はいると女性ふたりでやっているようにみえるその食堂で鶏チャーシュー麺をいただく。
観光通りにもどって、鯖湖湯にはいる。公衆浴場で、入口でタオルを売ってもらう。扉をあけると脱衣所と湯船がいちどにみえて、あいだに仕切りはない。かけ湯をしてからはいろうとして、かけ湯が熱湯のように熱いので、ちびちびとあびる。しかし浴槽ももちろんおなじ熱さだ。
熱湯風呂にちがいないのを「きょうの湯はちょうどいい熱さだな!」というボス格らしい老人がひとりいて、次々はいってくる客ごとに「ちょうどいい湯だぞ!」と声をかけては、暗に水をいれるのを禁止する権力でにらみをきかせているようす。結果、いちダースばかりの全裸の男がちいさな浴槽をぐるりと囲んで座って、誰ひとり入浴しない。誰かがたまにチャレンジしては「あっち、あっち」といってすぐあがる。とはいえ、座っているだけでは冷えるからちびちびと桶で汲んではかけ湯をする。ふしぎな状況にいたったものだ、とはいえジジイが「ここらではここがいちばんヌルイんだ」と釘をさすから、こりゃ熱いという泣き言は握りつぶされるのを知って、誰も動かないで、源泉が熱湯で注がれていくのを黙ってみている。
ジジイは、自分もほとんどはいらないくせに、たまにちょっとだけ潜っては「ちょうどいい!」とさいさん繰り返したあと、ひとり満足して去った。するとさっきまでジジイとの上下関係を守るみたいに白い肌を真っ赤に茹であげていた、どうやら格としては二番手の(ということになる)ジジイが「これは熱いよ!」とさわぎはじめる。きっと全員が「は? いまさらなにを」と呆然とするなか、番頭を呼びつけて温度を測らせて、「48°C、いつもどおりですね」というと「なんで誰も水いれねんだ!」とののしりざまに立ち上がって、湯船につながっていない水道を全開にした。しかしそこは湯船につながっていなかった。それから「だから、なんで誰も水いれねんだっつの!」といったら、誰かがホースを引っ張ってきてやっと冷水をひけた。
そのころにはぼく自身もなんどか試すうちに足がひりひりして、こりゃたぶんやけどしたわとおもって、ぬるくなるのは待たないで出た。たいしたクソジジイどもだったなと愉快な気持ちで出ると、すっかり温まったというほどではなくとも、寒さは感じなくなっていた。
観光地図にあるわたなべパンというお店で、駄菓子屋をおもいださせるちいさな棚からあんぱん、ちくわパン、ラジウム卵パン、と選ばせてもらって、えらいご高齢のおとうさんに会計してもらう。駅のコンビニであったかい緑茶をもらって、帰りの飯坂線のなかであんぱんをかじる。
飯坂線で福島駅までもどったら、おなじホームから阿武隈急行に乗りかえる。ローカル線で移動するのがたのしそうにみえたものだったけれど、阿武隈急行にはガラガラ空きの風情はなくて、かえっておおくのひとに乗られていて、車両もあたらしく静かなだけでなくポケモンの絵柄でラッピングされている。ぼんやりしているうちにすぐ到着する。
終点の槻木まで一時間超かけてついたら、ふたたびおなじホームから東北本線の仙台行きに乗り換える。仙台の丸善で本をながめて、諸星大二郎の初期二作がコミック文庫化されているのを手に入れる。
日が暮れるのといっしょに雪がふる。風もある。