日曜日、ファーストデーの割引で映画をみる。

レイ・メンドーサ監督はイラク戦争に従軍した元ネイビーシールで、その経験した戦場を「わずかな写真をもとに限りなく記憶を忠実に再現して」作ったらしい。これは宣伝文の引用ではなくて、劇中イントロとアウトロで暗黒に浮かび上がる字幕がそういって繰り返している。

冒頭は大胆な体操服を着た白人女性がカセットテープの再生ボタンを押すと四つ打ちのダンス音楽がかかって、それにあわせて尻肉をゆらしながら踊るのがビデオテープのざらついた画質と縦横比で映される。ちょっと待ってから、若い兵隊たちがそのビデオにかじりついて大騒ぎするのが示される。不意のカットでシーンは転換する。

月の光しかないような夜更けに兵隊がコソコソ移動して「この家にしよう」といって静かに押し入る。眠っていた家族に銃を向けて「悪いようにはしないから、ほかに誰かいるか」とささやき声で尋問して、壁の向こうにもうひと家族いるのをきく。ハンマーで壁をぶち破る。部屋の角でちぢこまる家族に銃を向ける。

ふたたび転換。昼の街を行き交う町のひとびとを狙撃銃のスコープ越しにみせる。さっき家族をおびやかして接収した住宅を拠点にして、兵隊が見張りと報告の仕事をしている。しばらく宙吊りの緊張感を粘り強くみせて、この建物が戦場になって、いき絶え絶えの兵隊が撤収するまで、一時間ばかりの泥沼をみせていく。

こういう映画で、まあご覧ください、これからみせるものがすべてです、といって黙ってみせようとするスタイルの映画になっている。ひとの目の前にあらわれた地獄を作品にしようというのはあっぱれなことだ。それはそれとして、質はおのずと高くない映画。

ひどい血みどろの生き地獄をみせて、ほんとうにあれは意味のない戦争だったと総括することくらいしか得るものはなさそうなときに、エンドロールは白い肌の巨漢たちがみずから破壊し征服した古い通りに居並んで全員で中指を立てた集合写真をみせる。こうして古きよき平和は取り戻されたと映画が主張して幕引きにかかるのをみて、いったいどうしようといって目をそむけるほかなにかできることはあったのかな?

やばげな職場に就職してしまったけど、一生懸命はたらいた、あっぱれなこと。最低な仕事だったけど同僚は最高だった、あっぱれなこと。ところが「真実をはなしましょう」といって、再現できるはずもする必要もなくそうさせないことくらいによってしかあがなえない滅ぼしあいを虚構のレンズに映して世界の隅々まで届けましょう、となると、これはほとんど常軌を逸している。どうやらその常軌を逸しているほうに属する映画。

とはいえ、身内でやるぶんには結構なものとおもってみれば、あるひとびとに向けてのみ独特に親密な空気を伝える映画は、かえって映画という形式の極端な自由さをおしえる。もともと映画といえばあやしげなもの好きがつくった動く写真くらいでしかないはずで、そのごときを自分でも撮ってみようと着想することじたいがそもそも常軌を逸した営為とおもえば、いまではなかなか巡りあうのがむずかしい原始的な狂気を鮮やかにスクリーンに焼き付ける稀有な映画。