春分の日のある連休は青森に出かけます。県立美術館にウィリアム・ブレイクの『ヨブ記』連作が出ているのをおがみにいくのと組み合わせて、ふるい温泉街をおとずれます。
まず仙台駅からはやぶさにのって新青森駅にいきましょう。車内はかなり混みあっています。三人掛けのならびの通路側に腰掛けると、通路をはさんでひとつ前の席でおじさんがみもせずにビデオをたれ流しにしているのがちらついて、ホワイトハウスの応接室あたりで首相と大統領がだらだら話しているのがいかにもつまらなそうにみえたのでした。うたたねしているうちにあっというまに新青森です。
新幹線をおりたら奥羽本線の青森行きに乗り継いで、青森駅まですぐです。美術館に向かうまえに腹ごしらえです。港のほうにある繁華街のほうにあるいて、通りはあまり混雑はしていないところ、黄色い看板に「おさない」と出ている食堂ひとつに行列ができているのをみます。それをとおりすぎていけば市庁舎と図書館を兼ねる施設の地下を指す矢印が市場と書いているのをみておりていきます。
正午よりすこしまえの市場はのどかなようすです。とおりがかりに試食をすすめてくる干物屋さんのおばさまにイカ耳とかニシン燻製とかを食べさせてもらって、そのままそれらをさっそくおみやげにします。これはおまけね、といって市場も名産もぜんぜん関係ないみかんの飴もいただきます。
その裏すぐにある「丸青食堂」でお昼にします。海鮮丼とお寿司のセットが十種類もあるほか、唐揚げ定食とか数量限定のワンコインのカレーも人気のようで、それよりもぐっと津軽らしい貝焼き味噌の定食をごちそうになります。だし汁と味噌でコクを増したふわふわのオムレツで、ホタテ肉がごろごろはいっています。定食のごはんはまたツヤツヤでおいしく、わかめのお味噌汁は素朴にみえて複雑な魚介の香りがしてどれひとつ飽きのこさせないものでした。
並びもせずに腰掛けたあとになってお客さんは増えはじめてやがて列ができていました。みるともなくみればあやしげな装いのひとのおおくおられます。
たとえばある都会風の三人組は、ペラペラのロングコートのおっさんが三十前の肉付きのいい若者ふたりを従えてきて、おっさんも背筋はのびてそれなりに壮健にみえるけど、若者たちのほうがハイブランドのアイテムを振り回して見かけの年齢より幼稚にはしゃいでいるのにならべて見比べてしまうと、状況に振り回されてかわいそうな刑事コロンボみたいにみえます。
いくらか高齢のおばさんと中学生くらいの娘が向き合っていて座っているところからは、娘が同級生の愚痴を友達に話すみたいにするのを、おばさんの側では友達みたいに話しあえる関係性のわたしたちは親子なのよと強調したがるみたいに妙に声高に私的な会話をまわりみんなに聞かせて、娘にしてもそれを恥とはおもわないようす。
騒がしいようすがして行列のほうをみれば、なにか列の規範が乱れたようすながら、乱したそのひとはどうやら馬耳東風のようす。妙なファッションだなとおもってまじまじみれば、市場に似つかわしいようにみえなくもないかとおもった長靴はよくみればココ・シャネルとひけらかすみたいに書いていてぜんぜん似つかわしくないのがおもしろいギャップでした。
腹ごしらえをすませて美術館に向かいます。美術館のウェブサイトは青森駅前からバスが出ているといっています。それで駅前にもどってみれば、いちにちに三本ばかりしか便がなさそうで、これから次を待ってはかなりの時間を無駄にしてしまいそう。別の路線をうまく乗り継いで近くまでいくことはできるようだけど、東北にいるとグーグルマップの乗り継ぎ情報の精度がかなり低いこともわかっているので、それに従うのもギャンブルになりそうです。
というわけでタクシーに乗ってしまいましょう。適当に乗せてもらえば「成長タクシー」と会社名が書いてあって、なんか都心の新興企業家とかにありがたがられそうな屋号です。とはいえ精算してもらったレシートをみれば、ナリチョウタクシーとただしい読みをルビが振ってあるのにひとつ土地の固有名詞をおそわることにもなります。二十分弱を乗せてもらって二三〇〇円の運賃でした。
青森県立美術館コレクション展でウィリアム・ブレイクの『ヨブ記』連作をみる - ユユユユユ
温泉宿を予約して17時にチェックインすると伝えてあるので、それに合わせてはやめに美術館を去らないといけません。車があれば機転をきかせられても、電車のダイヤはそうはいかないので、間違いなく遅れなく動かないとだめです。というわけで、ブレイクにかじりついてながめたら、展示をもう一周みてまわる余裕はなくて、タクシーで新青森駅にもどりましょう。
奥羽本線に乗ります。青森発秋田行きです。秋田までいこうとすれば三時間弱かかるようすです。コンコースのドトールで飲みものをもち帰るくらいの時間はえられて、あたたかい甘いカフェオレをもって乗り込みます。
大鰐温泉駅まで40分です。車窓をながめてぼんやりしているうちについて、あっというまなのでした。
降りた駅の案内がこんなことをいっています。ここはスイカの利用域外です。もしスイカで乗ってきてしまったら、利用証明書を出すので、このあと降りる駅で精算してください。
しかし夕方五時前に着いたら窓口はもう閉まっていて、とがめるひともいないわけなので、あした許してもらおうというわけで、いちど黙って下車とさせてもらいましょう。
宿までは十分ばかりの散歩です。新青森駅からいっしょだった、モスグリーンのコートを着てカメラをぶらさげた若いひとり旅のひとが途中で追い越して、しばらく先でこんどは折り返してきてまた駅にもどっていくのをみました。なにか写真にとって大事な地点があるのかな、とそのひとが出てきた曲がり角をのぞいたら、真っ赤な欄干が雪景色に浮かんで美しい橋の景色があったのでした。
ヤマニ仙遊館というのが宿泊先の温泉宿です。150年前からやっている宿で、太宰治が有名になる前に最初の自殺未遂のあと療養をしたとか、明治天皇が御幸したときに大臣以下を泊めたとか、建物そのものが重要文化財になっているとか、逸話にはことかかなくて格のあるようです。大臣がここに泊まったとして、天皇を泊めた宿がよそにあるのかなとおもえば、天皇はひとの宿には泊められないといって、仮屋を建ててそこに泊めたというので、ここあたりではここがいちばん格調高いといって支障はなさそうです。泊まれなかった天皇こそ気の毒ながら、神であることは非人であるということで、人間社会にとっては仕方のないことのようにもみえます。
古い構造とのことで、直感的でない階段と曲がり角があちこちにめぐらされているのがおもしろい建物です。風呂、洗面所、トイレは共用で、部屋にはついていません。不便といえば不便で、ロマンといえばロマンです。
夕飯まで時間があるのでいきなりお湯をあびにいきます。大浴場というよりは共同浴場のサイズです。ちいさいとはいっても、ポルトガル風のタイルが壁と床を色とりどりに装飾して、豪華絢爛です。現代風にすぎないあたりに昔のひとの創意とあこがれをゆたかに表現しています。これはすごいと嘆息です。そういう浴場をだれもいない時間にひとりじめするのもぜいたくそのものです。お湯は熱めです。
部屋でしばらく涼んだら、夕飯のために出ます。玄関を出て二十歩いけば古い蔵があって、これも重要文化財とのことです。そこの二階が古い素材をリノベーションしたレストランになっています。
席について大皿の料理をまず供してもらいます。サラダを取り囲んで、鶏ハム、ミニカプレーゼ、スモークサーモンです。白い鶏ハムに薄ピンクのソースがかかっているのはどうやら梅と麹をあわせたもので、コクがあっておいしいです。続けてあたたかい鴨のローストと西洋わさび。ちらしずしといってミニ海鮮丼。鍋はしょうゆ味の鶏鍋で、そこで煮てもいいし鍋をつけ汁にしてもおいしいですよといってきれいなそばを一玉いただきます。ゆずのシャーベットまでいただけば、おなかはいっぱいです。
三組の客がいて、一組ははやめにはじめてはやめに終わって帰っていかれました。もう一組は還暦くらいのおじさんの三人組で、東京の別々の会社づとめのひとたちのようで、あちこちに旅行しているようだけど、昔からの友だちが還暦までなかよく付き合っているのはうらやましくもみえました。もっとも、すぐそこに別のひとり客(ぼく)がいるとみえているとき、もうすこし声を落として静かに過ごしてくれてもよかったけど、そうすることをしくじってしまうのもやっぱり還暦あたりの仕上がりでもあります。ほんとうは四人組の友だちだったのが、どうやらこのごろひとり早死してしまって、その墓参りの予定も立てないといけない、という話題はあきらかに空気を暗くして、不意の沈黙を聞かせられて食事するのは居心地わるくもありました。
高校を出たくらいの年齢にみえる若いふたりが給仕してくれました。ごちそうさまでしたといって出るときに、三階に延びる階段があったことを話すと、そこもぜひみていってくださいというので上がってみれば、そこは座敷席になっているのでした。ついでに太宰治のゆかりを述べるパネルがあるのを読ませてもらいます。県内から大鰐に旅行するのはいまでいえば海外旅行に出かけるくらいのぜいたくだったようで、温泉宿にいくのは地主階級の特権だったようです。教員の初任給が月に三十円という時代に、太宰は月に百円の仕送りをもらっていたというのに目をまるくしたのでした。
外はにわかに大雨です。宿まで二十歩をはしります。廊下の窓から稲光がみえます。部屋で大相撲大阪場所のきょうのぶんの結果をみて、しばらくパートナーと電話できょうの話をはなして、23時に浴場が閉まるまえにもうひと風呂あびにいきます。こんどはひとりじめとはいかなくて、四人ばかりが肩をならべて浸かっています。
目が悪いから素性はもとより表情もわからなくて、なにかボソボソ話しかけられたかとおもえばぼくに話しているのではなくて、外国語を小声で話しているひとたちでした。中央アジアか東欧の知らない言葉かなとおもって聞き流したものがドイツ語だとわかるのにはしばらくかかりました。しかしそうとわかれば錆びついたボキャブラリを久しぶりに取り出してつかってみることに、です。東京ではたらいている家族のために親と兄弟がウィーンから招かれてきて、蔵王、仙台、盛岡とまわってきて、あしたから北海道に旅行するとのことでした。よい旅を、とぼく自身がなんども知らないひとに見送ってもらったのとおなじ別れのあいさつをします。にこやかに満足するおもいが半分あって、もう半分はどれだけ言葉を忘れてしまったかと戦慄するものでありました。
ふたたび部屋にもどれば古くしずかな建物でオンラインにだけはなりたくないと願って、家に転がっているのをもってきたブレイクの評伝をパラパラみていたら、明かりを点けたままうたたねしてしまっていました。ちゃんと消して寝なおすとき、小窓から廊下の明かりがはいってきてしまっているのに気づいて、廊下を暗くするのもどうやら客の務めと判然して、そのスイッチがどこにあるのかもよくわからなくて寒い廊下をすこしばかり行き来したあとにようやく暗くすることができて、冷えた足を布団のなかでこすりながら眠ります。