パク・チャヌク監督の新作で、イ・ビョンホンが主演をしている映画をみる。全編が韓国を舞台にしていて、全編韓国語で撮られてある。

マンス(イ・ビョンホン)はおおきな製紙会社の中年社員で、会社員としての人生はかれにマイホームを手に入れさせた。妻(ソン・イェジン)、ふたりの子ども、二匹の大型犬と暮らしているのをほこりにおもいながら、会社から勤続表彰にもらったうなぎをバーベキューにしている。妻もそれを誇りにおもうし、自分では「うなぎなんてもっと働かせるためのエサだよ」とうそぶいても、どうやらまんざらでもないようすは、しあわせな家庭のありさまだ。

勤め先がアメリカの投資会社に身売りして失業すれば、三ヶ月で再就職するのを目指していたのに、うまくいかない。ムーン製紙での採用面接は単に失敗しただけでなく、ひどくかれのプライドを傷つけるものだった。面接官を憎んで、古いビルの屋上からそいつの脳天に花瓶を落として殺してしまおうかというところまでいく。そうすればこいつのポストが空くはずだ。そのとき気づく。ポストがひとつ空いたとして、競争相手は何人いる? おれより優秀なやつは皆殺しにしないと、意味がないじゃないか…

といって、ひとりの失業者の入念な計画はふたりの失業者を標的にして、製紙業界のベテランにして失業者のおじさんたちが、ひとりは仕事がなくて飲んだくれ、ひとりは靴屋でアルバイトをしながら再起をはかり、ひとりは残りのふたりを殺そうとしながら、それぞれの中年の危機をみせていく。

全体的に暗い動機に支配されているプロットであるときに、沈鬱にさせないユーモアがあって喜劇的にみせるところがよかった。その反対に、バカバカしい映画という感想をもたせておかしくない瞬間こそあっても、失業、アル中、不貞、北朝鮮製の銃、嘘、少年犯罪、発達障害、過労、ベトナム戦争のレガシー、みたいに深刻なトピックがてんこ盛りになっているとき、現代の受難がリアリズムとしてあらわれているから、コメディに寄せた娯楽作品と言い切ってしまうこともたぶん不義理になる。いりくんだ人間関係の機微を複雑さはそのまま織り込んで、むずかしい糸を一本とおして成立させていることの技巧的な映画。

コリアン・フージョンが爆音で流れているのに乗じてオーディオ部屋へと暗殺に押しかけるシーンがよかった。これから殺されようとするアル中の失業者は、ほんとうなら心当たりもなく殺されるだけのはずなのに、目の前の暗殺者を妻の不倫相手だと信じこんで、怒りをぶちまける絶叫をしても爆音の歌謡曲がかき消してほとんどきこえない。暗殺者が困惑してひるんだとき、急に視点が切り変わって、暗殺者の背後にその不倫妻が夫を守るために鈍器を振りかざしているのがみえる! こうして静かな暗殺になるはずだったものは三つ巴の泥沼になって、疲労した中年男女が醜くも必死に命をあらそっているあいだ、韓国語の歌謡曲は爆音で流れ続けている…という演出がじつにおもしろくて、声を出して笑いっぱなしにさせられていた。

自分が暗殺のたくらみをこじらせているあいだ、テニスもダンスも習い事はみなあきらめて、パートに出れば家計の支えになるといってはたらいてくれている良妻が、一夜だけパート先のダンスパーティに出かけたら、妻のパンティをひとつ残らずあさって「あの黒の薄いやつを履いてヤッてきたんだろ! おい、その履いてるやつのニオイを嗅がせてみろ、嗅げばわかるんだ」といっていろんな意味での倒錯をむき出しの垂れ流しにしている情けないおじさんの姿もよかった。ビョンホンは変わらず二枚目やなとおもいながら、そうはいってもさすがにバカすぎる、こじらせすぎている情けないおじさんの悲哀を克明に出せてしまっていることのギャップがおもしろかった。

ひとを殺すにしてもあちこちにやばいミスを残しすぎてきた主人公は、それでも豪運によって完全犯罪を達成してしまうというのもおもしろい。かれのみならず何人もがする嘘の供述がピタリとはまって、ありもしない事実が勝手に立ち上がっていくとき、それぞれがついた嘘が「しあわせな選択」であったことに気づいたら、これはうまくハマった邦題だなとめずらしく嘆息させられるほど満足のいく映画をみる。