空想科学小説のベストセラーを映画化したやつが春のおおきな見世物になる新作映画としてかかっているのをみにいく。
グレース(ライアン・ゴズリング)は知らない病室で目覚める。ロボットと自動音声がかれの世話をしていたようだ。生きた医者のかげはみえない。かれがそこで目を覚ましたベッドと似たベッドにはふたつの死体が横たわっていた。いまどこにいるか、どうしてここにいるかはなにもおもいだせない。
そこが孤独な宇宙のまんなかであること、地球に帰るには十年以上もかかること、それより地球を救うための博打みたいなミッションに押し出されたことをだんだんおもいだす。それといっしょに、もともと学校教師にすぎなかったこと、それより前はエリート学者だったこと、学会に排斥されたこと、太陽が死につつあるときにかれの過去の実績が再注目されたこと、こうして遠洋航海プロジェクトに動員されたことをおもいだす。
航海に向けてかれの訓練した乗組員がみな事故死したあと、ほかに人員がいないからといってかれ自身が宇宙へと押し出されたこともおもいだす。孤独な心の傷をやさしく癒すような異星の科学者とやがて出会い、おなじ課題系をもってもことばの通じないふたりのエンジニアは宇宙の果てで奇妙な信頼関係をつくりだしていく…
三時間弱もある尺のなかでこれはと強い印象を焼き付けるショットはひとつもみられなかった。かといって最低映画といいたくなるほど悪くもなかった。かえって悪いところがあったほうがまだしも印象に残ったかもしれないのに、現実にはなにひとつ印象に残さなかったことほど映画にとって致命的なことはないようだ。まあ、嫌悪感をもよおさせるシーンがすこしならあった。
もともと不条理に学会から爪弾きにされていたグレースをつかまえて、好奇心につけこんで都合よく利用してやろうというプロジェクト・マネージャ(ザンドラ・ヒュラー)の態度ははじめから怖気だたせる独特な存在感があった。そのマネージャの口から出てくることといえば、これは地球のため、全人類のため、といかにも偉そうな理念を語って、いっぽ退いてみれば単にビジネスマン気質のエリートがパワハラを正当化する話にみえる。
知識も技術もない管理職気取りが場当たりに技術者を追い込んで絡め取っていくやりかたは、個人的な嫌な記憶をおもいださせて不快だった。嫌いな顔をおもいださせる顔がスクリーンに映るたびに両方の手で中指を立てながら目をつむってやりすごして、耳は閉じられないからセリフだけきいた。終わってみればそれでもなにひとつ理解に支障がなかった映画とおもえば、その程度の映画でしかなかったなと納得はさせられる。
搭乗員が全滅したあとの会議のテーブルで、みんながこっちを向いて「お前が乗れ」という同調圧力のメッセージを伝えるショットはむごかった。ことばの通じない異星人とのあいだに信頼を築けることを楽観的に示そうとする主の軸よりも、滅んだほうがマシな人間の醜さを知らせる副次的なグロテスクさのほうが勝っていた。病的に内向してよくわからない話になっているのは、単に語りの軸をつくるのに失敗しているだけだとおもう。