三陸沖にマグニチュード7の地震があった。ぼくの町も揺れていた。ぼくは東京に出かけていた。

朝の新幹線で東京入りしてオフィスにはいった。午後をとおしてワークショップをして、飲み会が終わったら八時の新幹線で日帰りの予定にしていた。催しがひととおり終わって、宴会場にはいれる時間まで休憩となって、同僚たちとエレベータで出かけたとき、スマホをオフィスに置き忘れていた。まあいいやといってしばらく息抜きしていた。

席にもどってパートナーからのメッセージで揺れたのをしった。クリスマス会をしたときのグループチャットで、新幹線が停電で止まったらしいというのもしった。母から不在着信がきていて、折り返したら安否確認の電話だった。津波注意報もでていた。オフィスのエレベータがメンテナンスモードになっていますと館内放送をきいた。それでいて、揺れはなかったものだから、行き交う影は平和そのものだった。

新幹線まであと二時間以上あっても、いずれ安全確認はしばらくかかりそう。東京駅は終電まで大混乱だろうなとおもうと、そこに首を突っ込みにいくのはそれを考えるだけでげんなりしてしまった。これから宴会がはじまるときに新幹線のことを気にしたり計画するのもかったるいな、といって、母をたずねて泊めてもらうことにした。乾杯の前に切符の振り替えをすませた。

もともと欠席する予定だった二次会はそのまま欠席にして、同僚が神田に泊まるというのでそこまで付き合って、八時過ぎには中央線に乗って西に向かっていった。吉祥寺から井の頭公園を抜けていった。セブンで歯ブラシと下着を買った。いちど会計を済ませてから、手土産がなかったとおもって、ハーゲンダッツをふたつもっていった。

風呂を借りて、エアーマットレスを膨らませて寝かせてもらった。おばあちゃんの相続税の処理はほんらい円滑に終わってしかるべきだったときに、乱心を深めた父は金へのぶざまな執着でおじさんたちにもいよいよ見放されるようになっている。葬式にもあらわれなかった妹は、誰にも告げずに住所を変えて、あやしい流れの金をあとさきなく燃やしている。こうして拝金主義は身近なひとびとを故障させ、換えのきかない家族を破壊して飽きない。おばあちゃんには申し訳が立たないが、正気を装った狂人を止めるためにできることもどうやらなにもなかった。せめてこれを見届けずに俗世を旅立っていただけたことがいい知らせだったのかもしれない。無言でかんがえはじめてしまえば今夜は眠れなくなってしまうぞとおもっているうちに、眠っていた。

朝ごはんにお惣菜のサラダとパンをわけてもらった。コーヒーもいれてもらった。そのあいだ野球でもみてなといって、カブス対フィリーズのインターネット中継をプロジェクターで壁に映してみせてもらっていた。ペットの小鳥たちは枝豆とかバナナの欠片をもらっていそいそかじっていた。こんどまた遊びにいくからよろしくといわれて、はやめに東京駅に向かった。新幹線は復旧していた。

昼には仙台にもどって、ひとつミーティングに出るために駅前のシェアオフィスに向かいながら、在来線が運休しているのを知った。石巻で線路沿いの道路が陥没していた。地震で水道管が破れたらしい。よくみれば石巻行きの快速は運休で、矢本までの鈍行は走っているというので、ダイヤも変わっていそうなのをよくみながら帰っていく。

鈍行に揺られながら早川文庫でヴォネガットの『タイタンの妖女』を読みあげたら、ぶざまな人間の悲壮感を語りながら楽観主義を崩さないのがふしぎと沁みた。とどこおりなく走って、夕方には家に帰れた。