大仰なタイトルよりも濃いかと説得する力のある空想科学小説を読む。原題は Quarantine で、発表は92年。山岸真の日本語訳は99年とある。

ニック・スタヴリアノスは脳内ナノマシンで依頼を受け取る。ローラ・アンドルースの謎の失踪を追うようにと、匿名の依頼主はいった。脳に障害のあるローラは幼いときからヒルゲマン病院に入院している。脱走する能力はないが、誘拐させる動機もない。身代金をゆすられてもいなければ、なんの手がかりもない。さしずめ病院か製薬会社の弱みを握りたいやつがいるんだろう。ニックは報酬のためにはたらきはじめる。

オーストラリア北部のアーネムランド半島、そこは新香港(ニュー・ホンコン) と呼ばれている。アボリジニ連合が独立しておこしたかつての新興国家が、中華人民共和国に弾圧されて難民化した旧香港のひとびとをその半島に受け入れた。やがて台湾侵攻の難民たち、北京で受難した中産階級もまたそこをめざせば、新香港は自由と繁栄をたのしむようになった。ローラは西オーストラリアの病院から新香港へと拉致されたらしい。

地球は星空を失ってひさしい。2034年、ニックが8歳のとき、太陽系は黒いベールに包まれた。ひとはそれを「バブル」と呼んだ。暗闇がおとずれたというのではない。ベールが張られているのは冥王星の向こう側のことだから、太陽も月も宵の明星もよくみえて空はあかるい。でも地球は恒星を観測できなくなったし、冥王星の向こう側まで冒険することは人類にとってまだ不可能なのであった。

ニックは新香港の企業がローラをさらったことを突き止めようとする。その探偵の仕事はナノマシン企業連合の先端研究に彼をみちびいていく。やがてかれは治験ボランティアの錘玻葵(チュン・ポークウイ)が銀イオンの制御実験(シュテルン=ゲルラッハの実験 - Wikipedia)にとりくんでいるのをみる。その実験に成功すれば、ひとは未来をあやつり、たったひとつの望ましい状態へと世界を「収縮」させることができる。そのような科学をニックは知るのだった…

プロットは章をあらためるたびにかならず新事実を知らせて飽きさせることなく、それまでの筋書きをおもいきってねじ曲げても、そのたびそれらしい論理の裏付けは惜しみなくあたえている。支離滅裂か荒唐無稽におちいりかねないところ、そうはさせずに最後までいちどに読み切らせられてしまっているから、これはたいした傑作なんだとおもう。

これを読んでいないひとにこれを説明しなおそうとしてもそうはいかないだろう。それは科学による理屈の混みいった部分を正確に再現できないからそうだというよりも、たとえば谷崎潤一郎の作品をてきとうにあげてそのあらすじを語り直したところで、それをほんとうに語り直したことにはならないのとおなじ意味で、この小説に一回性なり完全性がすぐれて備わっていることを指し示しているようにみえる。すばらしい読書のもっともよい時間を体験する。

ローラ・アンドルースが失踪したことを追ううちに、銀イオンを観測するというせせこましい話にテーマはすり替わる。宇宙が観測不能になったことはそれとは別に、わりと冒頭にちかいところで提示されている。すでにそうなっている地球にとって星空がみえないことごときはいまさらどうでもいいことのように振る舞わせて、ドラマチックな事件を抜きにしていつのまにか宇宙の神秘をおびきよせるのがおもしろい。世界と宇宙をまたにかける陰謀が、アボリジニと華僑の歴史が混ざりあった(欧米からみた世界の)辺境でおこるというのも、時代錯誤で足止めさせずになめらかに飲みこませる装置として上出来なのが心地良い。

太陽系をつつみこむ「バブル」のことを宗教的現象と信じるひともあらわれれば、科学的現象と信じるひともあらわれる。科学的な立場をとったとしても、では誰がなんのために築いたのかと問えば、太陽系の外側にある意思を仮定しないとなにも語れなくなる。これは科学か空想か、現実か夢か、と綱渡りをさせて、よくかんがえればオチが弱かったような気もするけど、どれだけおおきな風呂敷をひろげたこととおもえば、結末がついただけでもたいしたものになる。納得させたかどうかというより、失望させずに読み終えさせたことがなによりすごい。

イーガンは名前はきいたことがあるけどはじめて読む作家で、これは東京に出張にいったら地震で新幹線が止まって次の日に帰ってきた仙台駅前の丸善で、乗り継ぎまで短い時間でてきとうに一冊えらぼうとしたときにすべりこんできた本なのだった。年をとってしまって現代文学はもう読めないなとあきらめているときに、こんなにたのしく読めるものがSF文庫のなかにあったことを知ると、本を読むのがおもしろくてしかたなかった若いころの幸福感がまた帰ってきたようになる。