京都コンサートホールに京都市交響楽団の音楽をはじめてききにいく。
このオーケストラの70周年のお祝いといって、常任指揮者の沖澤のどかさんの熱心な企画によって全三回の連続演奏会があるというのを半年前から気にかけて、そのたのしみな第一回に出かける。
プロコフィエフは20世紀のロシアの作曲家で、崩壊する帝政ロシアからアメリカに亡命してパリで活躍したあと、ソ連に復帰して晩年を過ごした。晩年といっても、四十代で母国に帰り、六十代で死んだ。
プロコフィエフはスターリンとおなじ日に死んだ。プロコフィエフのほうが三時間だけはやく死んだ。ショスタコーヴィチにはスターリン以後の時間があったが、かれにはなかった。
その手が古典と前衛を統合したことを近藤浩平さんはこういいあらわしている
ロシア・アヴァンギャルドの作曲家達、ロスラヴェッツ、ルーリエ、モソロフ等は、「自分たちの新しい音楽性」と「新しい社会の支配者と民衆の音楽的素養」とのギャップを埋めることなくソビエトの音楽生活から姿を消した。
一方、プロコフィエフは、チャイコフスキーに匹敵するような意味で妥協のない大衆性を幸い兼ね備えていた。「新しい社会の支配者と民衆の音楽的素養」が受け入れられるぎりぎりの音楽語法をとり、古い器に新しい酒を隠して飲ませ「気づいた時には飲んで酔った後」という巧妙さで新しい音に聴衆を慣らしてしまう。
[..]ピアノ、バレエといったレパートリーでプロコフィエフの音楽が無かったら、多くの聴衆と演奏家の耳は今よりもっと保守的で、20世紀音楽の語法と日常の音楽の語法にさらに大きな断裂が生じていたのではないだろうか。
全3回の交響曲演奏会の第一回で、この日は第一、第二、第三をかけた。コミカルとシリアスのどちらにもつけられてモダンな音楽をきく。
第一番はベートヴェンより古い形式という意味での古典主義をよそおっていて、わかりやすさをおしだして祝祭的にもきかせる。一聴してわかりやすさが備わっているうえ、尺も十五分ばかりだから、そうめんみたいにするっと流れこむ。あの「古い器に新しい酒」という戦法もここにはそなわっていそうで、それよりもよくまとまって、全曲マラソン開幕のための合図のような演奏をきく。
それからすすむ第二番は前衛の極に転じて、冷たい熱病のような音楽。しかし四時起きプラス長いドライブがここまで引きずってきた疲れほど素直なものもなくて、まぶたを重くさせ通しだったのは、めったにない機会にもったいない。第二楽章の第六変奏で、オーケストラがまるごと打楽器のように激しく鳴ったのは、眠気を散らしたあとそれをきいた気もするし、それが眠気を追い払った気もする。いずれにしてもすさまじい響きに目をみひらく。
中休みのあとの第三番こそいちばんのたのしみにしてきていたもので、期待にたがわないすごさをきく。第三楽章に、いくつあるのかわからないリズムがいくつあるのかわからない調子の調子外れを統合したようにきかせてしまうところがあって、録音できけばなにが起こっているのかわからなくも何度きいても新鮮としかおもえない音像にやたら興奮するばかりでいた。目の前で楽団がその音をつくりだしているのを間近にみればいっそう集団即興集団のようにみえてしまうのに、どうして音楽はみごとに成立して響いていた。すんなり理解を超えるものを目撃しておもわず笑うばかりとなる。
京都コンサートホールは磯崎新の建築ときいていて、奥ゆきのある長方形が均整をとっているときに、パイプオルガンの意匠が目をひいてモダンで、しかも正面にそれをドンと据えて伽藍のようにせずに、右奥にはめ込んで左右対称を崩しているのがふしぎとかっこいいホールだった。
いつものように喧騒が去るまでぼうっとひとり余韻をあじわって、立ち去り際にそのかっこいいホールを写したら、遠く背後で「写真撮影はお断りしています!」と叫ぶ声がホールを満たした。はるばるおとずれた知らない場所でローカルルールに刺されるのはショックだった。恥ずかしさが余韻を塗りつぶして居心地わるく去る。