夏休みのお楽しみをひとあしはやめにと一週間の北海道旅行に出かけています。三日目は小樽へと移動していきます。

9時すぎに起きて、チェックアウトは11時です。レンタカーを予約してあるのは札幌駅前の営業所というわけで、身だしなみに手間のわりあいかからないぼくが車をとりにいって、そのあいだに荷造りとチェックアウトを済ませてもらって、ホテル前で再合流してから小樽に向かおうと作戦をたてます。

そうと決まればさっそく中島公園駅からひとり南北線に乗って、札幌駅の地下道を横切ってだんだんひとの流れが落ち着いてきたとおもえば、ほんらいなら通れる通路がいまは工事中で臨時の封鎖中となっていることをやがて知ります。時間に余裕をもって出たはずが、レンタカー屋さんに着けば数分の遅刻となっています。コンパクトカーの予約を無料でアップグレードしてもらえて、日産ノートの白を借ります。まだ3000キロも走っていないような新車です。

これまで往来していた街は地下鉄に乗っても数駅ばかりというわけで、車に乗ってしまえばホテルまでは十分もかからないのでした。ホテルの裏の駐車場でチェックアウトを済ませてくれたパートナーと落ち合います。スーツケースを積み込んだらすぐそこのセイコーマートで腹ごしらえをします。おかかチーズおにぎりとジョージアの北海道ラベルの缶コーヒーとしました。20分を過ぎたら有料と駐車場がいっているのに捕まらないうちに、札幌から次の街へと出発です。高速道路は使わずにいきます。

西野、宮の沢、手稲(ていね)といった地名をぼんやりみながら、いま走っている道は国道5号と気づきます。道路上の案内は函館まであと二百何十キロといっています。銭函というあたりを越えたら海岸線と並んで走る山道がはじまって、まぶしすぎるくらいの日差しが緑を深く照らして鮮やかにみせていきます。ちょっとしたワインディングが気持ちよくてたまらない道です。バイクのひとたちとすれ違えばみんなのびのびと走って清々しそうです。

助手席でうとうとしていたひとを海がみえるよと起こしてあげて景色をたのしみながら、山を降りきればそこが小樽市です。いちどに降りきったら、すぐ横に港がみえて、海面はほとんど道とおなじ高さにあるかとみえるくらい海抜の低い街です。防波堤もなくて海と直結しているような景色に、この街がそうやって長く守られてきたことの歴史がうかがえるようです。

回転寿司のお店「とっぴ〜」にいってみます。この日も平日ながら広いお店に数組待たされるくらいの繁盛ぶりです。つぶ貝、ホタテ、イカ、タコ、たらこ。キンメダイ、ブリごま、タチウオ、道産サーモンなど、たっぷりいただきました。ぼくよりも先に満腹となってしまったパートナーはぼくが好きなだけ食べるのを待ってくれて、それでいて車にもどれば彼女はきのう六花亭でおやつに買ったバターサンドをうれしそうにたべはじめるのでした。

二時過ぎになって小樽水族館へやってきます。駐車場代を小銭でお支払いします。すぐあちらに見える海に向かってすこしかしいだ駐車場で、サイドブレーキをしっかりかけます。階段をのぼっていくと正面入口のところで幼稚園のちいさな子たちが集合写真をとっています。

チケットを切ってはいれば入口ホールの奥のプールにウミガメがいます。アカウミガメとアオウミガメがあわせて三頭いて、たまにぶつかったり折り重なったりしながらゆっくり泳いでいます。扇形のプールは大人の身長があればじゅうぶんうえからのぞきこめるようになっています。

ウミガメプールの脇にある催し物のタイムテーブルをみれば「いるかのじかん」がちょうどはじまるところだというので、エレベータで順路をショートカットしていってみます。別棟になっているイルカのプールへ向かう途中にはペンギンのプールもあって、ペンギンらは日差しを避けてプカプカときて、ガラス越しにまるでこちらに興味津々のよう、かわいらしいです。イルカショーの演目は「採血をしてもらうときの姿勢」のようにして高度なしつけをみせたり、それをするにはまだ若いイルカが練習中の技をできるところまでがんばってみせてくれます。

本棟にもどるときに「あざらしのじかん」という催し物の矢印がのびているのをみつけて、それは丘をおりて海獣公園と呼んでいるところの区画でもうすぐはじまるようすです。向かう道すがらに、あざらしにあげてもいいエサを販売していますよとチラシがいっているのをみれば、あざらしファンのパートナーはますますうれしそうに海獣公園への長い下り坂をおりていくのでした。

まずちいさなプールに寄って弁慶のごとく直立不動でおやすみなさっているあざらし一頭をしばらくおがみます。それから緑のテントでほっけのぶつ切りバケツひとつ千円というのをちょうだいします。こことそこの区画でならどこでもエサやりしていいからね、カモメがおこぼれ狙って寄ってくるから気をつけてね、とおそわっていきます。

パートナーはおだやかなまなざしで弁慶あざらしをながめてリラックスしたあと、かわいいあざらしたちにエサやりができると喜んで、ちいさなピンクのバケツをぶら下げて海とつながった岩場の区画におりていきます。カモメらは好都合といわんばかりにさっそく低い位置で示威の飛行をはじめます。クークーとカモメが煽って喉をならしながら頭のうえを横切っていくありさまは、いまにも手元のバケツに特攻され食い荒らされるんじゃないかと臨場感たっぷりです。

おびえながらも飛べないあざらしのためにこそエサを奪われてなるものかと勇みつ祈りつ「たべてー」とほっけを一切れ柵の向こうに投げ込むと、あざらしたちは海獣の面目躍如といわんばかりにぐわりと水面から半身を投げ出して、空中のぶつ切りほっけめがけて激しい跳躍をみせて、飛び出した身体を海面に叩きつけながら落ちていきます。ホームランボールが飛んでくるとみるや外野席の観衆がわらわらと群がって、みんながいっせいに手を伸ばすようすにそれは似ているのでした。彼女はカモメのみならずあざらしたちにも獣性が備わっていることに判然として、怖い怖いと首と肩と背中を固く丸めながら後ずさってあざらしプールからいちど撤退します。

もうひとつあげてごらんといったらトングからヌラリとほっけがこぼれて地面に落としてしまって、カモメはすかさずそれをひっつかんで飛び去っていきます。示威飛行の度も強まって、さっき頭を蹴られたといって、パートナーはいくぶんしょげてしまいながら、あとはたのむとピンクのバケツをこちらにわたしてくれます。たぶんカモメはこのバケツを標的に攻撃しているようにおもわれて、とんだ爆弾を受け取ったものとおもいながら、いっしょにおびえてもしかたないので平気なふりをしてぼくもエサやりをしてみます。眼の前には三頭のあざらしがいて、ヒレで海面をひっぱたいている様子は「とっととそれをよこせ」という意思表示なのでしょう。せっかくのエサやり体験をもうすこしのんびりやりたかったというのはそうとして、カモメが襲来する前に三切れ続けて投げ込んであげます。ひとりひと切れで不平等にならないようにたべてもらえました。人間の悲鳴がきこえたほうをみれば、ほかにも二組ばかりがピンクのバケツをぶらさげてカモメに襲撃されているのでした。もうこちらのバケツには残っていないというのまで見極めて次の戦争をはじめているのだとしたら、したたかとしかいいようがないです。

空っぽになったバケツをエンガチョしようと返しにいったら、エサ売りのおじさんは向こうからまだ悲鳴がきこえてくるのにウインクするみたいに「たいへんだったでしょ」といいます。手を流してからあらためておりていくと、獲物をもたずにながめるだけのあざらしの群れはさっきの獣性ならもう忘れたというごとくで、優雅におよいで美しいのでした。

いちど休憩所にはいって、屋根のしたでジュースを飲んで仕切り直します。パイレーツ・オブ・カリビアンの音楽が流れはじめたのは、トドのエサやりでもはじまったのでしょうか。遠足の子どもたちが往来して平和な景色です。

落ち着いたころをみはからってトドのプールをみにいきます。ふたつのプールをさえぎって渡した歩道からのぞくと、あざらしよりふたまわりもおおきい海獣が泳ぎ回っています。泳ぎながらみせる身体のしなやかさもあざらしより柔軟にみえます。そして奥のほうまでいけば鉄格子でさえぎった先にいっそうおおきな個体がいて、それはカムイという一頭のオスなのでした。トドはオスがメスよりも顕著におおきい肉体を持つ特徴があって、こちらに背中を向けて立つカムイの迫力は、大関琴櫻の巨大な身体を彷彿とさせます。カムイひとりが鉄格子で隔てられて、たまにメスがおとずれると檻のあいまのせまいところでたがいに顔をのばしてまるでキスしようとする様子も切なげです。とはいえ、水族館の外から野生の個体が傷ついて迷い込んでくるのをむやみに止められないときに、水族館の内で繁殖をうながすのもできなくて、オスメスを隔てるのはしかたのないことのようでもあります。

あざらしのプールをもうすこしながめます。エサやりをすることのできた競争的な水場のほかに、よりちいさな赤ちゃんプールのようなところがあって、そこではいくぶん弱ったあざらしがケアを受けているのでした。通りがかりに、若い男性の飼育員さんがエサやりをしているところをみかけます。レラちゃんごはんだよ、といいながら食べやすいおおきさの魚を投げてやっても、レラちゃんは動きません。眼の前に魚が飛んできては落ちるのを目で追うだけで、食べようとはしません。飼育員さんはあきらめないで次々に投げては、食べてくれないかなあ、弱っちゃうよ、と声をかけるのを止めないで、たまにレラちゃんが魚に興味を示すそぶりをするとますます励まして、ようやくひとつかふたつを飲み込むのを見届けます。人間の上司筋のひとらがそこを通りかかれば、きょうは食べた? とみんな心配しているようすです。レラちゃんはすこしだけ食べて、食べられなかったものは飼育員さんがバケツに拾い直していきます。さっきのエサやり体験で獣性の争いをみたことに対比するといかにも静かで、元気であったりなかったりすることを人間の身にひきつけて、慎ましくさせられます。

まだみていなかった奥のほうのゾーンにはセイウチがいます。あざらしは海豹、トドは海馬といって、セイウチは海象と漢字で並べてわかるように、セイウチはオスのトドよりもいっそう巨大です。立派なキバをたずさえているのもひとめでわかる特徴です。おおきな身体を水に浮かべて、泳ぐというよりも浮き沈みをおだやかにたのしんでいるようにみえます。ガラスに顔を押し付けてくるのをみれば、短いヒゲが口のまわりをおおっているのもよくみえます。このヒゲで海底をなぞって顔の触覚でエサ探しをするのだそうです。

もっと奥にいけば最後にあざらしのプールがもうひとつあって、ここには弱視だったり老いたりしたあざらしたちが静かに暮らしています。トドたりの遠吠えからもはなれた場所であまりたくさん泳ぎもしないあざらしがみえます。水底にはりついて休んで、数分にいちどだけ呼吸するこがいます。白内障で目を濁らせてどこか遠くにある違う世界をながめるようすのこもいます。野生にかえることはもとよりできなくて、この一隅に静かにひきさがっている生き物の姿もまた、人間の身にひきつけて慎ましくさせるものがあります。

気がつけば賑やかだった海獣公園のさいごの一組とぼくたちはなっていて、蛍の光が流れるのを聞きます。五時の光はまだ夏のことで夕方と呼ぶには白すぎるようであっても、昼の光よりはずっと弱くやさしいことがわかります。獣たちの姿を噛みしめるようにしてしずかにぼくたちも去りましょう。本館に住んでいる魚たちのことはウミガメのほかはとうとうみられないまま閉館となってしまったけど、いちじるしい満足感を得ています。

夜ごはんをどうしようかと悩む前に、水族館の近くにある岬の展望台へとのぼってみます。のぼるといっても、車で三分ばかりのところにそれはあります。トド島という奇岩がそこからはみえて、傍らにはさっきまでそこにいた海獣公園の区画もみえます。トドの遠吠えがはるかに響いてきこえてもきています。

向こうの崎にみえる旧商家のような建物はなんだろうといえば、それはニシン御殿といって、かつて盛んだったニシン漁の栄枯盛衰をいまでは伝える資料館らしいことを知ります。その崎のふもとに料理屋さんがあって、ホッケも出しているならそこで夜ごはんにしようかというアイデアもひとつありながら、どうやらそれはここ数年でインバウンド向けのお店として経営のやりかたを変えたらしいという話をインターネットでみて、それより別のお店をもうすこし探します。

市内のろばた焼きのお店にいってみようということで、岬の展望台を発ちます。きたみちを戻るよりは反時計回りに巡ってもどるのが乙かとみていきます。すこしのぼればリゾートホテルがみえて、これは宿泊地の候補にしていた場所なのでした。その奥の小道にはいると、車一台分の幅しかない道となってしまって、もう夕方といって十分な時間のことであるから、対向車に鉢合わせ内でつつがなく抜けられるよういっそう注意深く祈っていきます。細道を抜け出したらおおきな墓所がみえて、そのおおきさは街のひとの二人にひとりはここの檀家かとおもわせるほどです。あの細道を抜けてお墓参りをしにくるというのではなくて、ここを終点に見立てた路線バスも走っているようです。ホテルとお墓をつなぐあの細道は、夏にだけ使うことのできる抜け道でしょう。観光客の通るみちではどうやらなかったようです。

夕飯は「鶴吉」というろばた焼きのお店とします。お店のわきの駐車場にいれる準備をしながら、パートナーに空きをうかがいにいってもらうと、五分だけ待ってもらえれば大丈夫とおしえてもらえたので、駐車を済ませた車で古い繁華街のようすをしばしながめます。地元の飲み屋さんに欧米の観光客が消えていくようすをみて、よくよくこんなお店まで調べてきてすごいねというと、それもソーシャルメディアの使いようで、きっと欧米のインフルエンサーが取り上げてるんだろうねとおそわります。

5分後にはいれた「鶴吉」で、彼女にはサッポロクラシック、ぼくにはノンアルコールビールをたのんで乾杯をします。大繁盛の様子でなかなか料理はこなくて、おなかがみるみる空いていくのをわびしく待ったあと、おおきな真ホッケの焼き物をガツンといただいたのがいちばんの思い出となります。シマホッケよりも控えめな脂質をもっていて、肉肉しい食べ応えを存分にたのしみます。ニシンのお刺身、トウキビの天ぷらもたいへん美味でありました。

八時をすぎてチェックインしますという電話をあらかじめホテルにかけておいて、九時すぎに「鶴吉」を出て、セイコーマートに寄ってビールをひとつおみやげにもって帰ります。

朝里川温泉ホテルはスキーヤーのための温泉付き宿舎にオフシーズンの料金で泊まれるということで、今夜からここへと二泊します。無人のチェックインはカウンターから鍵をもっていくだけの仕組みで、長い廊下のいちばん奥にある角部屋をお借りします。リノベしたばかりの友だちの家にあそびにきたみたいだね、といわずにおれなかった部屋です。というのは、コンセントの配置をみれば、ここにはきっと冷蔵庫があった、ここにはきっと洗濯機があった、というのが見通せるようになっています。とはいえ、十分な広さがあって気楽なお部屋です。

露天風呂を浴びて、サウナと水風呂も一往復だけして、ロビーでパートナーと落ち合って部屋にもどります。なんとなくテレビをつけたら、ウィンブルドンで大坂なおみさんがちょうどこれから勝負にのぞむ場面を映しています。芝のうえに長い真っ白の着物をきて凛としているのがあんまり格好よくて、そのまま二セットを連取してベスト8に進むまで、かじりついて見届けたのでした。