夏休みのお楽しみをひとあしはやめにと一週間の北海道旅行に出かけています。五日目は小樽から積丹へ向かいます。
八時に起きて朝風呂をあびて、存分あたたまったあとチェックアウトします。この日もありがたい天気に恵まれて、ドライブをはじめます。
長橋なえぼ公園を散歩しようといって向かってみます。前の日に博物館を見学しているときに、パートナーがこの公園を見つけて、積丹にいくまえに寄ってみようと提案してくれていました。朝ごはんをセイコーマートにもとめてからピクニック気分でいってみます。
駐車場からすぐそばにあるロッジ風の建物を横切ったところに園内図がかかげてあって、どうやらおもったよりもずいぶんおおきな公園です。ひとまず目の前にまっすぐ伸びた道をいってみます。原っぱを右手にみながらいくこの道は林を切ってずっと奥まで深々とあります。ひとの姿もみえなければかすかな話し声もきこえません。すこし先まで踏み込んで、この先に進んでも林が続くばかりで、たぶん腰を落ち着かせて朝ごはんを食べられるような腰掛けはなさそうだねと想像して、ちいさくぐるりと回って引き返します。
ビオトープの脇をとおりぬけてもとの原っぱにもどります。見晴らしのいい丸太の腰掛けにやすみます。バーベキューの後片付けをきちんとするようにいっている注意書きがみえて、そうといわれなければここでバーベキューをやろうなんておもいもよりませんでした。セイコーマートの朝ごはんをゆっくりかじります。おおきな生たらこおにぎりがあんまり絶品と、口の横に米粒をつけたパートナーはおいしそうに食べながら、よそのコンビニのたらこおにぎりは食べられなくなっちゃうといっています。
さきほど通り過ぎたロッジ風の建物にはいってお手洗いを借ります。公園でみられたきのこの写真がずらりとあって、これは可食、これは不可食、これは不明などと説明しています。地元の写真家さんが公園でおさめた美しい作品をながめます。丸太から切り出した重い椅子に腰かけて、背中にある本棚からエゾリスの生態観察のちいさな本をとりだしてまじまじながめます。静かな建物でしばらく過ごしてから出れば、自然観察会を終えたらしいグループのかたがたがちょうどお戻りになったところで、入れ替わりにぼくたちは出ていきます。
国道5号を余市に向かって三十分ほどいきます。おなじ国道でもこのあたりの道路には日本海追分ソーランラインと名前がついているようです。だんだんと交通量が増えていくのをみれば、それは市内からソーランラインに出るための信号で詰まった車がとりわけ反対側の車線に密集しているものなのでした。行きはよいけど帰りはどうかしらとおもいながら市内にはいっていきます。
朝ごはんがゆっくりだったもので、お昼ごはんを先にとることにです。タイ料理のお店で、余市でとれた食材を食べさせてくれるところがあるようだよとパートナーにおそわって、余市川をわたったところの「モリンガ」へいってみます。十人もはいらないちいさなお店を、快活な女性がひとりキッチンに立って切り盛りしています。手作りのメニュー表はその表紙に「ほんとうはおしゃれなお店にしたかった!」といっているのがみえるけど、気持ちのいい風がすだれを揺らしてみごとにリラックスした料理屋さんです。ぼくはカオマンガイを、パートナーはトムヤムクンを、それからヤムウンセンをふたりでわけていただきます。
カオマンガイのほうは、パクチーの代わりになにかしら爽やかで芽のついているハーブが添えてあるのがおいしくおもしろい工夫にみえます。見た目はディルのようで、ディルとも違う味がするようで、いずれにせよパクチーほど強くない香りがお肉にやさしく合っています。お味噌にもなにやらいろんな食感のものが混ぜ込んであって、強めの塩味はすこしずつだけごはんとまぜて食べるのにピッタリです。
ヤムウンセンや春雨の冷たいサラダで、シャキシャキしたりコリコリしたりするのがたのしく、酸っぱいのがはじめ舌に乗ったあと、甘いようなしょっぱいような後味がじわっと残るのが美味です。ただちょっと辛さもあって、冷たいサラダなのにだんだん汗をかきかき食べるのでした。
辛いのが好きなパートナーにとってはトムヤムクンは想像よりマイルドだったようで、これなら大丈夫だから食べてごらんといわれてひとくちもらうと、口にいれたとたんにむせることもなくするりと飲めてしまいます。はじめて安全に食べられるトムヤムクンをみつけた、とおもったものです。とはいえそれは彼女のもとめた味ではなかったので、辛さの調整できますとメニューに書いてあったとおりに、辛くできますかとカウンター越しにたずねたら、別皿に唐辛子を出してくれたようです。はじめから辛くないように作っているようすなら、グリーンカレーを試してもよかったとあとからかんがえているのに気づきます。それはつまりここの味をぼくは気に入ったということで、こんどは違うメニューを食べにきたいものです。
狭いカウンターの足下にちいさなハチが迷い込んでいて、次のお客さんも続々とやってくるようすにつき、ぼくたちは席を立ちましょう。みていると地元の顔見知りのお客さんが代わる代わるやってくるようで、本格的であるようで食べやすくもあるこの味のことをみんな気に入っているのかなとみえます。どのみちすばらしいお店のことでありました。
ソーランラインをすこしだけ引き返して、ランチのためにいちど通り過ぎたフゴッペ洞窟へいってみることにです。きのう手宮洞窟で縄文時代の壁画を拝見したときに、はじめ文字だとおもわれていたものが壁画だとわかったのは、このフゴッペ洞窟に壁画がのちに見つかったことで研究が発展したというのをおぼえて、やってくることにしたのでした。
翼の生えた人間をあしらったような壁画の部分をかたどった洞窟のロゴマークのそばに立って、肩を斜めにかかげておなじポーズを奇妙に試みてから建物にはいっていきます。壁画をみに進む前に展示をみれば、戦前に線路をひくために山を割ったら壁画が出たとか、その壁画は開発のため破壊されたとか述べてあります。戦後すぐに中高生が洞窟遺跡を発見し、そのなかに壁画がみいだされた、それが現存するフゴッペ洞窟だと述べてあります。
あらゆる戦前の学者が旧壁画をでっち上げだと論証しようとしたことが述べてあるのをみて、みたところ論理のはかなさは痛ましいほどです。でっち上げたと証言する者がいる、おれはたしかにそれを聞いた、ゆえに偽作なり、という論法になっています。情緒にまかせて権威におおきくかたむいたやりかたをとって学者であることのできるようすは、いかにもおおらかな時代をおもわせるものであります。
洞窟をみせる部屋は左右と正面にガラス越しに岩壁をみせていて、ガラスのそばのボタンを押すと照明を点けたり消したりさせてくれます。人間のようにも昆虫のようにもみえる陰刻画が手前から置くまで、したからうえまでずらりとならんでいます。人間を描いているのだとして、それはひとりのリーダーをおおきく描くというのではなくて、集団で暮らしている「われわれ」のコミューンを描いているようすです。目にみえるままを描いているというより、その「われわれ」俯瞰できるところに視点をおいてひとりずつをちいさく、そして集団をおおきく描くのが独創的にみえるね、とはなしながらながめます。
チケットを売る窓口のところに、この近くへある西崎山環状列石という古代遺跡への訪れかたが白黒刷りでおいてあります。一枚いただいて、せっかくなのでそこもおがんでみましょう。
建物を出たときに踏切の鳴る音がきこえて、それは駐車場の奥、建物の裏からきこえて、電車の通っていく音がきこえます。道路らしい道路もないのにはて、といってみると、歩いてしか通れない藪の向こうに線路がはしっています。そして「古代文字踏切」と木板に打ち付けてあるその踏切は、遮断器もなければ車のための敷板もない踏切で、どうしてもここを歩いて通らないといけないひとが注意してわたるためだけの踏切なのでした。小樽から余市に向かってまっすぐ伸びて果てしなくみえる線路は『スタンド・バイ・ミー』さながらです。この線路のためにここにかつてあった山は切り崩されて、戦前にあった洞窟壁画は失われたのでしょう。
西崎山環状列石へ車で向かってみます。ソーランラインから堺町温泉線、さらにフルーツラインと短く乗り継いで、五分ほどで着きます。細い山道をのぼらされると、それは一台分の幅しかない小道となっていて、向こうから誰もきませんようにと祈りながらいけば、着いた駐車場にはそもそも誰もいなかったのでした。
ここから階段を百段のぼっていけば縄文時代のストーンサークルがあります。熊がこないようにしようといって、パートナーは熊笛のアプリをスマートフォンにいれるのをあきらめて、代わりになつかしいデヴィッド・ゲッタのヒット曲を大音量で鳴らすのにまかせていきます。やかましい4つ打ちをかけながら「こわい、こわい」といって進んでも、どうせほかにひとは誰もいないのです。熊はもしかしてダサい連中がきたといって退いたかな。
階段をのぼりきったあと、丸太の敷石のある道をわたっていけばストーンサークルです。森を切り開いたような円形の場所に、打ち捨てられているようでたしかに直立している大石には人為がうかがえます。これらの大石は余市川の向こう、シリパ岬からはるばるこの山のうえまで運ばれたともされるようです。大石のしたには深い穴があって、そこから土器がでた、またリンを検出できたことをもって埋葬地とかんがえられる、と説明してあります。
どうしてリンすなわち墓といえるのかとあとで調べてみると、骨や歯に含まれるリン酸カルシウムを土が分解してリン元素を残すと、それは雨に流されづらく土中によく残るのだそう。単なる骨塚ではなくて墓場といえるのは、副葬品としての土器が出土することをもってそう推測できるのだそう。へえ〜と勉強になりました。
ちいさな遺跡のことで、ぐるりとめぐったら長居はせずに下山します。ソーランラインにはもどらずに、フルーツラインの快走路を西へくだっていきます。西と向かっているとおもっているうちに南のほうにそれているのに気づいて、適当なところで余市川をわたりなおして、ソーランラインに乗り直して積丹へ向かいます。
信号ひとつないのんびりした道をひたすらいけば、古平の街にはいる手前のところで車の列がピタリと止まって不意の渋滞となります。どうやらお祭りをやっているようすで、山車のとおるあいだ車はとおれません。お祭りの名前は「天狗の火渡り」というらしいと助手席のパートナーがその場で調べておしえてくれます。やがて十分も待てばようやく車列が動き出して、片側交互通行をゆっくりいけば、ワッショイワッショイといいながら山車がめぐっていくその横を通らせてもらって、その先が古平の街です。
喉でもうるおしましょうといって道の駅の案内にしたがってはいろうとしたら、駐車場がいっぱいだから裏にまわってくださいとうながされて、町役場の駐車場へ駐めさせてもらいます。坂の下の道の駅へとおりていくと、そこはたらこを特産とする町の事情を踏まえた「たらこミュージアム」といってあります。たらこラーメンとかたらこソフトクリームを売っています。こうしてなりふり構わぬ販促施設を道の駅というにはどうにも鼻白むもので、ミュージアムというのも名ばかりのようです。お茶ひとつ売っていないかとおもわれたとき、黒豆茶だけおいてあるのをひとつ買ってもらって、そそくさと去ります。
積丹町の中心部から奥にはいれば、海沿いの道はおおきく左にまがりながら山へと舵をきらせます。どんつきのところで右にいけばきょうの宿があります。左に折れて、神威岬へといってみます。これはぼくがいってみたいとリクエストしてパートナーには同伴してもらうものであります。
神威岬の駐車場には想像をずっと超える数の車があって、みんなここを目指してきたがるのがよくわかります。ここから岬までの道は歩いてだけ向かえるようになっています。
巡礼路はまず女人禁制の地と書かれた門をめざすだらだら坂をのぼらせます。ゆっくりのぼっているうちにパートナーのお尻を異変が襲います。急に激痛が走ったといって、とても歩けないという彼女を、その女人禁制の門のかたわら、小広場のベンチに座らせます。かねがね運動不足のひとであるから、上り坂で肉離れでもしてしまったかしら。そうだとしたら、岬をわたって歩かせることはあきらめよう。そうおもいながら、すこしやすまないことには帰ることもできないわけで、五分ばかり待っていたら、もう直ったとケロッとして、平気で立ち上がっています。どうもお尻をつったようで、軽度の脱水だろうから水を飲んでもらおうとおもっても、黒豆茶は車のなかです。取りに戻ろうかというと、大丈夫だからいこうといって、むしろ積極的に女人禁制の門を得意げにくぐっていきます。
おおきく海にせりだした岬の稜線に沿って歩かせる道は、右に左にどこまでもひろい海をうつくしくみせています。遊歩道はひとがやっとすれ違うくらいのひろさで、ある程度までは稜線を切り開いてひいた道がふっと切れて、鉄の足場を渡してようやく通らせるくらいの険しさです。アップダウンははげしいけれど、ときおり高い位置からはるかに岬の先端をみはらす景色は比類ない壮大さでもあります。
終点までいきつけばちいさな灯台と広場があります。ひとはおもいおもいに記念写真をとっています。ぼくたちも突端までおしだして、海面からぬっとそびえた奇岩を背景に写真を撮ります。神威岩というようです。灯台のところにある説明書きによると、遊歩道のまだできる前のこと、灯台長の家族が余別の町に買い出しに出かけた折、上には断崖したには荒波の難所を越えるのに失敗して岩場に溺死した。これを繰り返さないようにと数年がかりでトンネルを掘って、ようやく安全に渡ることができるようになったといいます。両側から掘ったトンネルがうまくつながらないかというとき、唱えた念仏によって位置を探り当てて接続できたというので、念仏トンネルといいます。
突端からの帰り道は、その念仏トンネルはどこにあるだろうと探しながらいきます。よくみれば旧道の残骸のようなものがみえます。いまでこそ毎日何千人も通る便利な遊歩道をぼくたちは歩いておとずれているけれど、かつてここを通ったのはきっと月にのべ何十人というぐらいだったろうと想像しながらいけば、左右の自然はいま雄大にみえる以上にかつて過酷だったことがわかるようになります。
中腹までもどってきたあたりに、念仏トンネルの由来を語るちいさな碑文がみえました。絵図も添えてあって、根方のほうにみえる穴居人の遺跡のような、洞窟にもみえるあの穴がトンネルの出口かとわかります。トンネルのすぐわきを見やれば、たしかに過酷な岩場が痛々しく剥き出しになっていて、この日のように風のない日がかえって稀なことをおもえば、いつも荒波の打ち付けるあの小岬をわたるのはたしかに命がけだと判然します。
三十分の帰り道を帰って、ようやく舗装道にもどってきます。お尻をつった坂まで戻ってきて、再発させずにもどってこられてよかったねといいながら車へと向かいます。もう六時前で、これからの入場はできないようになっています。駐車場もきたときよりまばらです。
宿に向かう道すがら、電話がかかってきます。宿のひとが到着時刻の確認のためにかけてくれたのでした。五時に着くかなとみていたところ、神威岬をじっくりみて遅くなってしまっています。来た道をもどりつつ、奇岩をながめながら海にそっていきます。
この日の宿は銀鱗郭です。三年前の北海道旅行のときに、宿のひとに病気が出たといって予約はキャンセルとなって、泊まりに来ることはできなかったのでした。積丹をおとずれる代わりに旭川滞在を延ばしたのでした。いずれ宿泊料はお支払いしていないのに、お詫びといって生ウニを東京までわざわざ送ってくれたのでした。そのときのお礼に仙台からおみやげの支倉焼も持ってきています。
宿について車をとめようとすると、女将さんが飛び出してきておっしゃいます。きょうはほかに誰もお客さんいないので、広いほうに駐めてください!
もう夕飯の支度ができているとおしえていただいて、二階の部屋に荷物をいれさせてもらったらすぐ、階段下の十二帖ほどの宴会場にお邪魔します。テーブルには御膳が並んでいて、お刺身とウニにはラップがかかっています。はやくから準備していただいていたのに、遅刻してごめんなさい…とおもいます。
女将さんがお盆にのせた別皿をはこんできてくだされば、それはまだヌメヌメと運動しているアワビです。女将さんが固形燃料に火をつけて網焼きにしてくださいます。クネクネと踊って焼かれるアワビふたつと、そのまわりにめぐらされたあまりに豪華な御膳とをならべてながめ唖然としながら、海の幸に感謝と嘆息するばかりです。
こんな料理がならびました。ナマコの酢の物。イカのサラダ。アワビのお刺身。アワビの網焼き。鮭の粕漬。甘エビ、つぶ貝、タコのお刺身。お皿いっぱいのウニ。名前のわからない白身魚の塩焼き。名前のわからない貝。エビ。ムール貝。茶碗蒸し。
サッポロクラシックの瓶をいただいて、おつまみにすこしずついただきます。とりわけナマコがおいしいのに感動します。アワビのステーキとお刺身を食べ比べさせてもらうのも、どうしようもないぜいたくです。ウニなんてバチが当たるほどの盛りです。比べちゃ悪いけど、高級レストランで食べるのより、この静かなお宿でいただくのが何十倍もおいしいに違いないです。おひつのごはんもとどけていただいて、おいしくたいらげます。
ごはんを食べ終わったら、今夜は貸し切りの宿ということで、お風呂は男女で別に沸かしていないから、女湯をふたりで使ってくださいとなります。長い一日の汗を流して、女将さんがたにお礼をいって部屋にさがります。寝息が廊下までこぼれるかというほどしずかな部屋で布団にからだがとけていくくらいぐっすり眠ります。