ガンマ線バーストの恐怖におびえるわれわれの銀河系から別の銀河系へと、ソフトウェア化した精神たちが「ディアスポラ」する数千年の歴史を語る空想科学小説を読む。発表は1997年。山岸真訳。
前置きなしにはじまる序文は視点人物の謎めいた使命を三人称で提示する。
ヤチマは、ポリスをとりまくドップラー偏位した星々を見渡した。天空を横切る凍りついた同心状の色の波を、膨張から収束へとたどる。自分たちが追っている相手とついに出会ったとき、どう自己紹介すればいいのだろうと思いながら。 (13)
こうしてヤチマの物語がはじまる、とみせかけて、序章が語るのはこうだ。人類のおおくは「移入 (Introdus) 」を経て肉体を捨てた。意思をソフトウェア化している。ソフトウェア化した「ポリス」のなかで随意に「市民」を再生産している。ソフトウェア化した意思たちがソフトウェア上で子孫を作っているということ。
ヤチマは「孤児」だ。誰の随意によって生み出された意思でもなく、基盤によってあらかじめ設計されたランダムネスから発生した意思だ。親をもたない。細胞の分化を計算機上で模倣したプロセスが精神らしきものを生み出し、精神はシグナルの入出力から言語とイメージの操作を模倣し、やがて自我を生じさせる。いわく、
「わたしは自分がなにを考えているかを知っている。」 (54)
これを同胞の証としてみとどけて応答する声がある。
「ようこそ、市民ヤチマ」 (55)
こうした対話もソフトウェア上でだけ起こっていることだ。メモリのなかにある広場にあるアイコンたちの知遇をヤチマはえる。ポリスそのものはシベリアのツンドラの地下深くに埋まっている。九世紀前のポリス創設者たちがとりしきったことで、そのことはたいして語られない。
肉体をともなわない精神にとって、自我をえることこそ成熟であり、成熟とは自我のあることのようす。ヤチマはいまやたしかな理路をもって数学の勉強に打ち込んでいる。空間の曲率のことがわからなければ、手元に球を作り出して検討する。それでわからなければ円環を作り出して検討する。作り出した円環の表面に意識を移動させて、そこからみえる景色をたしかめる。円環を分割したり、半透明にしたりしてみえかたを任意に検討できるのは、世界がソフトウェアでできているからだ。
この世界で物理学は、それに従うのもそれを歪めるのも任意だ。それでいてヤチマは、数学こそがみずからが依ってきたる不変の価値、アイデンティティのみなもとだと決意をえる。
小説を動かす事件はヤチマのあずかり知らないところでおこる。それはソフトウェアの外にある地球のさらに外側の、月のうえでおこる。月のうえの施設で重力波を観測していたロボットがちょっとした異変に気づく。
トカゲ座G1は中性子星の連星で、地球から百光年先にある。晩年の天体は向こう七百万年かけて衰微し、互いが互いに墜落していくようにして衝突することがわかっている。衝突のエネルギーはニュートリノのおおいな輝きとわずかなガンマ線として放たれ、ブラックホールが誕生する。そのわずかなガンマ線も、百光年を隔てた地球の生命には致命的な苦痛をあたえるだろう。
そのトカゲ座G1からの信号がおかしい。はじめナノ秒の狂いとして観測したそれは、ほんらいはナノ秒の狂いもあるはずのない天体運動の法則を裏切っていた。重力波の周期はナノ秒どころか、にわかに三分の狂いとしてあらわれはじめている。百光年先でいったいなにが起こったのか? ガンマ線バーストが地球を襲うまでに残された時間は?
あたらしいデータで予測を修正することならできた。残された時間は七百万年あらため、96時間だ。
ヤチマたちを動かすハードウェアは地下深くで難をのがれられるとして、おなじ祖先をもつ人間の生き残りがまだ地表にいる。彼らに急を告げるためにロボット化した肉体を送るが、肉体人にとって選択肢はふたつにひとつだけだ。ガンマ線バーストに肉体を焼かせるか、肉体を捨ててソフトウェア化するか。とはいえ、もともとソフトウェア化にあらがった生き延びた系譜の末裔なのだ。そして地獄の釜の蓋がひらく。
ヤチマは死体を見おろしたが、見当識を失ってあとずさった。この黒焦げの頭蓋骨は、ポリスのつまらない芸術作品におけるなにかのシンボルではない。生きている精神が心ならずも消去された証拠なのだ。物質世界にはこういう真似ができる。 (189)
こうして肉体人は絶滅する。
ポリスの市民たちには課題が突きつけられる。トカゲ座G1の誤算はなぜ起きたか? 人間が作り上げてきた力学のモデルはなにを見逃していたか? 広い宇宙の文明という文明はみな不意打ちのバーストに焼かれて絶滅するばかりなのか? それとも、星々の向こうにいるかもしれない高等文明は、さらなる大災厄から逃れるすべをわきまえているか?
ソフトウェア上で生きる不死の精神たちは宇宙旅行を容易にするためのワームホール実験に千年を費やす。ワームホール実験がうまくいかなかったことを千年後に知ると、ひとつのポリスから千個のスナップショットを作り出して、恒星間旅行をはじめる。千にひとつでも先行文明に出会うことができればと。
小説の前半はヤチマを視点人物に据えて、きらめくようなかれの経験を描く成長譚だった。ガンマ線バーストのあとは千年単位を一息にジャンプして、加速でもしなければ語るに値することはないとでもいうかのように、あわただしくなる。異星生物があらわれてその興味深い生態を語っても、高度な知性がそこに宿っていなければ価値を低くみる小説内人物たちの態度が文体をとおしてあらわになってもいる。
語りかたそのものの変化はヤチマを後景に退かせる。何人かの思慮深い科学者が多元宇宙の独特なありさまを語ることによってワームホールの失敗を理論づける。トカゲ座G1のバーストを生き延びてソフトウェアに「移入」した精神は永遠に生きることをあきらめ五次元世界のヤドカリとの命がけの意思疎通に身をささげる。
キャラクターと彼らそれぞれの挿話が充実して活劇にテンポをあたえているともいう。ヤチマのことを孤児と印づけて、ことさらその出自を強調して晦渋にした序章との一貫性は乱れたかともおもう。筆が運びすぎて読み物として破綻しているところがあるとはいっても、スケールのおおきな作り話。
あの「わたしは自分がなにを考えているかを知っている」という命題に自我をいいあてさせることによって、そこに意思が備わっているかどうかを外から観察していいあてようとすることのパラドックスを破るところがいい。
機械のなかに精神があって、その精神は機械のなかに「移入」する前の肉体の記憶と、そこにつながる先祖の記憶をたずさえている、という着想も傑出している。およそほとんどの知識がライブラリ化されていて常時アクセス可能となった世界のことなら現代社会に似ているようで、現実の世界に生きるわれわれのほうは知識未満のゴミで脳を埋め尽くされて、肉体と先祖の記憶は薄らぐばかりなのであった。
ソフトウェアで精神をつくる。精神らしいものを模倣するのではなくて、精神そのものを信号化する技術を発明して、そのうえで永遠に生きる。地球も宇宙も飛び越えて真理を探求して飽きない。こういう着想が1997年の想像力の最前線にあったことを知る読書をする。
計算機技術の空想的なポテンシャルを雄弁に語れば語るほど、こちらの世界のほうでは誤った方向づけでそれを応用しつくしていまだ飽きることを知らない、そのことも判然とさせられる。
記憶と体験をまるごとソフトウェア化して永遠に生きる…それが暗黒世界の夢ともみえてしまう瞬間がふと生じるのは、小説家の甘い楽観によるものというよりも、それを読むこちらの側で、技術は金に奉仕するものと予断する貧しさによるものか。
とはいえ、インターネットバブルに踊り狂っている経済をそっちのけにして、独特なやりかたでヒューマニズムの未来を示そうとした小説がこれとおもえば、世界がどうなろうと我が事にあらずとして空想にはげむのも悪くはない。